第42話 分かりきっている


「別にボクは見えない鍵穴を回したつもりも、複雑な迷路を突破したつもりもないよ。ただただ、誰の眼にも見えている事実を突きつけただけさ」


 ヒソラが小さく差し向けた人差し指が、コクヨに刺さる。


「だってそうじゃん。コクヨが初めて“絶望”と対峙した時に浄化していたら、ころされた3体の存在は助かっていたかもしれないでしょ? 僕の眼からは……いや、誰の眼から見ても、君の力の振るい方には大きな違和感があるよ」


 普段よりもずっと低い声で言い放ったヒソラ。コクヨは殆ど表情を変えることなく、ずっと黙っていた。


「ただ、そのことを指摘するホロウは少ないよね。結局のところ、君は強敵である獣形けものがたのホロウを浄化した英雄なのだから。結果を出している以上、仮定は言及されないものさ。まぁ、例外のホロウは居るけれど」

「……ヒソラは、そのことを訊きに来たわけか」

「まぁね」


 ハァ、と小さく息を吐いたコクヨ。ヒソラは彼女と古くからの付き合いではある訳だが、表情や仕草から彼女の感情や考えを探ることは出来なかった。それは十数年も前に、とっくに諦めたことだ。


「……」


 コクヨは暫くの間、その口を開くことはなかった。 ……病室内にはどこか重苦しい静寂が襲う。ヒソラがコクヨから視線を外すことは1秒たりともなかった。


 そして、数十秒の後に、コクヨは真一文字に結ばれていた口をおもむろに開く。


「特に深い理由は無い。初めてだったか、二回目だったか。不意を突かれたか、突いたか。地形の問題、ノイズの有無……そういった戦闘状況下での違いが結果に現れただけだ」

「君が意図したものでは無い、って?」

「そういうことだ」

「へぇ」


 コクヨは再び口を固く閉ざした。もう話すことは話した、なんてふうにヒソラには見える。


 ヒソラは軽く息を吐いた後に言う。


「まぁボクは解読型だから、戦闘関連のことについて君に反論は出来ないよ。君がそう言うんだったら、少なくともこの場ではそれを信じることしか出来ない」

「やけに素直だな」

「言い方、気を付けたほうがいいよ? 嘘つきが言うセリフだ」

「……そうか」


 相変わらず抑揚の無いコクヨの声。募る苛立ちを押さえつつ、ヒソラは言葉を紡ぐ。


「ボクがこの話を持ち出した理由だけどね、何も君を問いただすためでは無いよ。忠告が目的さ。前々からだけど、君の大隊はホロウの帰還率が悪い。そりゃあ、“絶望”のような名が付けられるほどの魔人と何度も戦っているんだから、当然かもしれないけどね」


 ヒソラは順々に指を立てながら言う。


「ボクが知っている範囲で“怨嗟”、“残酷”、“嘲笑”、“憤怒”、“狂気”……過去に君が手をかけた魔人の名前だよ。そして、その戦いで存在を消したホロウの数が計58。いずれも、魔素の多量流出だ」

「……お前は、ワタシの力を買い被りすぎだ」

「だとしたら申し訳ないね。ただ、これだけは覚えておいて欲しい。ホロウは……ホロウという存在は、使い捨てていい訳じゃないよ。彼らは心があって、痛みを感じるんだよ」

「ああ。肝に銘じておこう」


 細く、どこか冷たさを感じるコクヨの真っ黒の眼がヒソラを刺す。彼は一つ首肯すると、その場に立ち上がった。


「とはいっても、君がホロウを無下にしているとは思っていないよ。現に、シヅキとトウカのことを救ってくれたのは君だからね。そのことについては礼を言いたいよ。ありがとね」

「ああ。 ……もう行くのか?」

「消灯が近いからね。まあ、ボクが言えるセリフじゃあないけれど」


 その口角を上げて笑ったヒソラ。一つ手を挙げた後に、病室の扉へと歩いた。ドアノブを回したところで、思い出したかのように言った。


「そうそう。最後に一つだけ。負傷した時だけじゃなくて、例の悪夢の症状が酷くなった時もまた医務室までおいでよ。気休め程度にはなると思うから」

「ああ、頭の片隅に入れておこう」

「ボクの言葉が届いていることを願うよ。じゃあ、お大事にね」


 バタン


 ヒラヒラと手を振ったヒソラ。ゆっくりと扉を閉めた後、こもった足音が小さくなっていき、やがて消えた。


「……」


 暫くの間、彼が出て行った扉を凝視していたコクヨ。やがてその口を小さく開いた。


「ああ、それくらい分かりきっている」


うつろな目は、最後まで虚のままだった。




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