第41話 和やかな病室

 

 地下に造られたホロウたちの基地、オド。


 そこは十三にも及ぶ階層で構成されている。一から十層まではアークに所属するホロウなら自由に出入りすることが出来て、多くのホロウが食堂や談話室といったスペースを利用している。


 しかし、残りの三層はその限りではない。


 “上層”と呼ばれる十一から十三層は、下位ホロウを管轄する上の立場のホロウ、彼らの居住スペースだ。また、厳重な管理が必要な施設もここには設置されている。ゆえに下の立場のホロウは、原則的に立ち入りが禁止されていた。


「はい、これ」


 そんな上層の入り口に立つ警備ホロウに、ヒソラは自身のタグをかざした。身分証代わりのソレは、一般的なホロウが身につける黒色のものとは異なり、赤だ。


 無言で敬礼を返す警備ホロウ。ヒソラはヒラヒラと手を振った後、上層へと足を踏み入れた。彼の足取りに迷いはない。カツカツと歩いていき、ある一室の扉を開ける。


「やあ、ちょっとお邪魔しに来たよ」


 ヒソラが明るい口調でそう言うと、目の前のホロウは怪訝な表情を浮かべた。


 それは白衣を着た女性ホロウだ。目元に刻まれたクマが印象的な彼女は、ポケットに突っ込んでいた手を外に出した。


「消灯直前の時間じゃない。明日にしてもらっていいかしら?」

「ごめんね。ちょっと今日中に片付けたい用なんだ」


 ヒソラが胸の前で小さく手を合わせると、彼女はハァと溜息を吐いた。


「一体何なの? 言っておくけどわたしは……」

「ああ、君じゃなくてね。患者の方に」


 それを聞いた女性ホロウの眉が大きく吊り上がった。


「まさか、コクヨさん?」

「正解。よく分かったね」

「……どういう風の吹き回しなのよ。まだコクヨさんに訊くことでもあるの?」


 コクヨはシヅキとトウカ同様、“絶望”について何があったのか質問攻めに遭い、おまけに報告書の作成が義務付けられていた。彼女の反応を見る限り、今日中に行われることはすっかり終わったのだろう。


 しかしこの問いに、ヒソラはゆっくりとかぶりを振る。


「いいや、私情だよ」

「仕事じゃないなら余計に謎。 ……ヒソラ、あなたコクヨさんのこと嫌いでしょう?」

「嫌ってるから、だよ。盗み聞きはしないでね」


 ヒソラが奥の方へと歩き出そうとしたところ、女性ホロウはその手を伸ばした。ちょうどヒソラの歩行を遮るように。


「まだ何かある?」

「あなたが私情でコクヨさんに会いに行くこと、上層部に報告してもいいのよ?」

「……ああ、そういうことね。いいよ。飲み代くらいは出そう」

「羽振りがいいわね」

「診ている2体が無事で、機嫌がいいからね。じゃ」


 ヒソラはヒラヒラと手を振り、部屋の奥へと消えていった。


 その背中を見送りながら彼女は呟く。


「……何を企んでいるのよ」




※※※※※




「やあ、失礼するよ」


 黙々と報告書を書き連ねていたコクヨ。ノックも無しでズカズカと入ってきたホロウの存在にペンを走らせる手を止めた。


「ヒソラか。珍しいな」

「うん、そうかもね。中に入るよ」

「……非常識な時間であることは言及しないでおこう」


 ヒソラは眼に入った丸椅子に腰を掛けた。一方でコクヨはその手に持つペンを置き、書きかけの報告書とともに机の隅へとどかせた。そして細い眼をゆっくりと閉じ、息を吐く。


「それで、どうかしたか? “絶望”関連のことは、昼間に雑務型のホロウへ伝達した通りだが」

「あはは。急だね、コクヨは。世間話の一つくらいさせてよ」

「……身体に支障が無いのに、医務室のベッドで横になっていると神経質になるものだ。不快にさせたのなら謝ろう」

「それはごめんね? でも今回の一件で久々に多くの魔素を吹かせたでしょ。コクヨはオドの砦のようなものだからね。大事に扱わせてほしいな」


 ヒソラが軽い口調でそういうと、コクヨはその口元をへの字に曲げた。


「要らん気遣いだ」

「純粋な善意は、純粋に受け取ってほしいけどね。 ……まぁいいや。2つ話をしたいことがあるんだ。いいかな?」


 コクヨは何も言わぬまま、ほどけた黒髪を手櫛でツーと、根元から先端にかけて梳かした。考え事をする時に彼女がする手癖だ。30年以上の付き合いとなるヒソラは何度も見かけたことがあった。


 間も無くしてコクヨは首を縦に振った。


「いいだろう」

「ありがとうね、手短に話させてもらうよ。ちょうどシヅキとトウカにしたように、ね」


 シヅキとトウカ。その名前を出したところ、ベッドに腰掛けていたコクヨが少しだけ前のめりとなった。


「意識を取り戻したのか?」

「うん。2体とも無事だったよ。シヅキなんて、起きた勢いでトウカに抱きついたくらいだよ」

「そうか。 ……安心した」

「まあこの報告が話の1つ目だよ。どうやら喜んでもらえたみたいで、何より」

「今日訪れた誰よりも、ワタシにとって意義のある話だった。礼を言おう」

「シヅキはコクヨのお気に入りだったもんね、確か」

「……? 話したことがあったろうか」

「さあ? 出自しゅつじは覚えてないや」


 座る丸椅子をクルッと回したヒソラ。その勢いに任せて立ち上がると、その場で大きく伸びをした。


「さて。場の空気も少し和んだところで本命に入ろうか。2つ目の話だよ」


 指でピースサインを作ったヒソラ。人差し指と中指をくっつけては離しを繰り返す。


「今度はなんだ? まさか“絶望”まで無事だった訳じゃあるまいな」

「はは。もしそんなことがあったなら、またコクヨに頑張ってもらわないとね。 ……まぁ、は置いといてね」


 ヒソラの言葉に、コクヨの目尻がピクッと上がった。


「どういう意図の発言だ?」


 両肩を少しだけ上げ、ヒソラは答える。


「なに、他意は無いよ。ああ、ちょうどよかった。話したいこと……もとい、訊きたいことがあってね。まさにこのことだよ」


 ドカッと丸椅子に座り直したヒソラは自身の左足を右膝に乗せた。その左足の上で頬杖をつく。


 ヒソラは軽く息を吸い、こう言い放った。



「コクヨさぁ。“絶望”と対峙したのは、薄明の丘が2回目だったよね? ……何の不自由もなく浄化出来たくせしてさぁ。初めて遭った時は、なんで手を出さなかったんだよ。 ……罪のないホロウが3体、ころされているんだけど」


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