第37話 一閃


 今日だけで何度行ったろうか? 再び、魔素を脈立たせる。先程走るために使用した魔素の熱が未だ身体に残っている。そのせいで、体内がまるで沸騰しているようだ。


 熱い、痛い、苦しい。


 空気を喘ぐ。調子が良かった筈の身体は、既に擦り切れていることに気がついた。それでも、やるしかない。やるしか、トウカがいきのこる手立てはない。


「やる、やる、やる…………」


 呪詛のごとく、何度も何度も繰り返し吐く。あからさまにシヅキが臨戦態勢に入っているというのに、“絶望”から攻撃を仕掛けて来なかった。奴は出方を窺っているというより、シヅキを見くびっているように思えた。


 ……いや、実際にそうなのだろう。初めから本体が現れなかったことも、蔦が5本しかないように見せていたことも、「ミィ」という耳につく鳴き声も。全て、シヅキの心を弄んでいたのではなかろうか。


「浄化型……舐めんな」


 ボロボロの身体を、それでも動かす。息を一つ吐いた。


(ぶった斬ってやる……)


 最後に心の中で吐いたシヅキ。灰色の大地をその脚で踏みしめる。姿勢を低く落とし、重心を一歩前に出した左脚に預けた。


(3……2……1!)


魔素を一気に脈立たせようとした。 ……脈立たせようとはしたのだ。



「ミィ」



 ――鳴き声が聞こえて、その後何が起こったのかすぐには分からなかった。



 一瞬だけ腕に振動が伝わったかと思うと、手にかかっていた重みが、全て消え失せていた。ゆっくりと首を動かすと、その手の中にある大鎌をナニカが貫通していた。 ……トウカを刺したものと同じ、枯れ枝だった。


 間もなくして、バリンと音を立て大鎌は粉々に砕け散った。刃も、柄すらもバラバラになっていた。漆黒の欠片たちが、地へと落ちてゆく。


 それを見届けることしか出来なかったシヅキ。 ……眼前に突きつけられた現実は、度し難いほどに無慈悲だった。


「…………」


 何も言わず、何も言えず、シヅキは前側へと崩れ落ちた。


 “絶望”が鳴く。



「グギャオオオオオォォォォォォアアアアアア!!!」



 襲われたのは、途方もない虚無感だった。思考したって、争ったって、何をしようとしたって……無意味なのだとシヅキは悟った。


 退路はない。“絶望”には勝てない。救援も来ず。


 シヅキの口元が歪んだ。


「はは……」


 乾き切った笑いが溢れた。視界が霞み、歪む。小刻みに震える身体は、まともに動かなくなっていた。


 言葉が漏れる。


「トウカ…………ごめん」


 シヅキは一つの記録きおくを思い出した。



『……そう。私は無理してたの。今日一日ずっと。頑張って、作り込んだキャラクターになろうとしたの。でも……全部バレてた……。初めて来たのに……ソヨさんにもたくさんのボロ出しちゃった。これじゃあ……計画が……』



 トウカと初めて会った日のこと。彼女は“計画”なんて言葉を漏らしていた。 ……結局のところ、彼女が求めるものは何だったのだろうか? ただシヅキが知っていることは、彼女が確固たる意志を持っていることと、褪せやしない琥珀の瞳をしていることだけだった。


「トウカ……お前、何がしたかったんだよ。こんな世界で、何を見ていたんだよ」


 背負うトウカの重みを背中に強く感じる。彼女はまだ存在している。 ……存在しているのだから、これから起こることが余計に辛い。


「ミィ」


 頭上から聞こえた鳴き声。見上げた視線の先に一輪の花が居た。漆黒の花弁が畝り揺れている。


 苛立ちも、あるいは激昂も無く、シヅキはただそれを見るだけだった。大鎌は物語った。奴の前で、シヅキというホロウはあまりにも無力なのだ。何も出来ず……空っぽで…………。


「ああ……」



 ――これが絶望か。



 カサカサと脚部の役割を果たす枯れ枝がうごめいた。枝先がシヅキへと向く。トウカの胸を、シヅキの大鎌を瞬く間に貫いた枝だ。ボロボロの身体が、それに抗える筈なかった。


 ハァ、と溜息を吐いた。ゆっくりと眼を閉じる。 ……シヅキにはもう、を待つだけだった。


 “絶望”が、シヅキをころす。そのための枯れ枝を伸ばした。



 グシュ、と。鈍い音が走る。



………………

………………

………………。



「……え?」


 強烈な違和感に、シヅキはバッと眼を開けた。そして、目の前の光景に大きく眼を見張る。


「シヅキ、それにトウカか。どうやら間に合ったようだな」


 そこに立っていたのは“絶望”ではなかった。いや、正確に言えば“絶望”とシヅキの間に1体のホロウが居た。そのホロウは……彼女はシヅキに背を向けていた。手には1本の刀を携えている。風が吹き、一括りにされた黒髪が靡いた。


「あ、あんたは……」

「酷い声だな。魔素の過剰使用で身体中が損傷しているか。無理はするな」


 淡々とした声で述べ続けるホロウ。こんな状況下だって、いつもと調子は変わらずに。だからこそ、シヅキは圧巻された。



「グガァァァァァァァァァ!!!」



 “絶望”が叫ぶ。先程までより音圧が高い。怒りめいたものが篭もっていると、シヅキは感じた。


 間も無くして、枯れ枝が蠢き、膨張した。 ……攻撃の合図だ。


「マズ……!」


 シヅキは叫ぼうとしたが、上手く声が出ない。咄嗟に伸ばした右腕は、何も掴むことなく、ただ空を斬る。


 瞬間。


 シン、という甲高い音ともに、シヅキの眼前に白色の光が真横に一閃走った。遅れて、“絶望”の態勢が大きく傾いた。見ると、枯れ枝の一部分が真っ二つに切断されている。 ……大鎌を一瞬でぶっ壊した、あの枝共がだ。


「有り得ねえ……」


 シヅキは口をポカンと開け、首を横に2度振った。呆気に取られたシヅキを知ってか知らずか、ホロウはやはり淡々とした口調で言う。


「ワタシのことは気にかけるな。後のことは全て任せろ」


 今まで背を向けていたホロウ。彼女はこちらを振り返った。その真っ黒な左眼が、シヅキのことをハッキリと捉える。



「……魔人は全て、根絶やしだ」



 先程までとは異なり、随分と低いトーンで述べたホロウ。彼女は瞬く間にシヅキの元から消えた。そう思わせるほどのスピードで動いたのだ。


 気づいた時には、シヅキの背後から鈍い音が連続で鳴った。退路を塞いでいた蔦共が一遍に斬られたのだ。


「グガァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」


 再び、“絶望”が鳴いた。斬られた枯れ枝を再び伸ばし、ガサガサと動き出す。その行く先には先程のホロウがいた。いつの間に、あんなに距離を取ったのだろうか?


 間もなくして、けたたましい金属音が鳴り響いた。ホロウは、無数に伸び続ける“絶望”の蔦と枯れ枝共を捌き続けていた。 ……明らかに善戦している。


「なんだよ、あれ……」

「そっすよねー! 初めてコクヨさん見たらそうなっちゃうすよねぇ!」


 突然後ろから聞こえてきた陽気な声に、シヅキの肩がビクリと跳ねた。


 振り返った先には赤毛のホロウが。ボサボサの髪で、目鼻立ちがハッキリとした男だ。しかし、その表情からは軽薄な印象を受けた。彼はニッと笑い、ヒラヒラと手を振る。


「雑談などしてる場合か。迅速に命令を遂行するぞ」


 そいつの隣には眼鏡をかけた堅物そうなホロウ。こいつは見たことがあった。


「あんた……大ホールで喋ってた……」

「貴様も貴様だ。コクヨ隊長から『無理はするな』と指示をされていたのではないか? 口を開いて無駄に体力を消耗するな」

「……なんで、こんなところに」

「はァ。救援の通心をしたのはお前じゃなかったか?」


 救、援……救援。 


 ――あぁ、そうか。


 呂律が回っていない口でシヅキは呟いた。


「トウカは……助かった…………の……か」


 一気に身体から力が抜けて、唯一その身体を支えていた両腕すら折れてしまった。


「うっわ! だいじょーぶすか!?」

「ふん……気を失ったか」


 赤毛と眼鏡のホロウがそれぞれ言葉をかける。しかし、既にその言葉はシヅキの耳に届いていなかった。


 微睡みを飛び越え、深い、深い眠りの世界に沈んだシヅキ。彼が次に目を覚ましたのは、それから丸2日後のことだった。

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