第32話 有す価値


「なんて……こと」


 茫然の声を上げたソヨの身体は左右にフラフラと揺れ動き、やがて崩れ落ちてしまいそうになった。


「ソヨさん!」


 しかし、そう呼びかける声とともに、ギリギリで支えられた。支えた手の主は、ソヨと同じ雑務型のホロウだった。


「しっかりして下さいよ!」

「え、ええ……ありがとう。もう大丈夫よ」


 肩を掴む手を優しくほどいたソヨは、近くの壁に身体を預けた。 ……クラクラとする視界が捉えたのは騒然とする現場だった。


 雑務型のホロウ達は持てる手段全てを使って対応にあたっていた。ある者は通心を行い、外へ出向いているホロウ達とのやりとりコンタクトを。ある者は専用の装置を使い篝火の一斉操作を。そしてある者は自らの足を運び、オド内のホロウたちへと伝達を。魔人と対峙するホロウのサポートを行う雑務型たち……通称“管理部”は大きな焦燥と緊張で満ちていた。


 ――それもそうだった。予想にし得ない事態が勃発してしまったのだから。


「まさか、廃れの森に“絶望”が現れるなんて……驚きましたよ」


 先ほどまで肩を支えていた女性ホロウがどこか演技味のある声で呟いた。


「……そうね」


 空返事で答えたソヨは、意味もなく天井を見上げた。思い返したのはほんの十数分前のことだ。 ……あるホロウから“絶望”出現の旨の連絡があったのだ。ホロウは2人組というごく少数のチームであり、報告の場所は廃れの森。 ……そう。廃れの森だった。棺の滝周辺に居ると予想されていた“絶望”は大きく移動していたのだ。


 現在管理部は、廃れの森周辺のホロウへと、“絶望”出現の連絡を流布している。しかし、具体的にどう対応するのかは指示していなかった。 ……というよりは出来なかった。現場で動くホロウたちの指揮を取る司令官らは、絶賛緊急の会議中だ。その結果が出るまで管理部はまともに動けやしない。


「慎重なのは結構だけど、間に合わなかったら本末転倒よ。 ……シヅキ」

「連絡があった浄化型って、確かソヨ先輩の……」

「昔馴染み、ね。減らず口を叩き合ってばかりのね」


 サラッと流すように言ったソヨ。しかし、女性ホロウは眉をひそめた。


「心配ですね」

「誰からの通心でも関係ないわよ。私たちは、私たちに出来る最善を尽くすだけ……そう。全ては人間の為、ね」

「それは……分かってますよ」

「ならいいのよ」


 ソヨが溜息混じりに答えた時、管理部奥の扉からゾロゾロと複数のホロウたちが現れた。管理部一帯を包む喧騒が一瞬だけ落ち着いたかと思うと、すぐに私を含めた雑務型の面々は、姿勢を正した。


 退出したホロウの1体が、張り詰めた空気の中で言った。


「皆ご苦労だ。どうか楽な姿勢で聞いてもらいたい……と言いたいところだが、そうも言ってられなくてな。事態は急を要する。単刀直入に言おう」


 毅然とした態度で雑務型に呼びかけたのは、糸目で大柄の男性ホロウだった。 ……司令官である。


 ソヨは軽く空気を吸い込むと、唾液と混ぜて飲み込んだ。鼓動がジンジンと脈打つ感覚を自覚した。


「通心内容『ゼツボウ ノイズ オカ タイヒ キュウエン シジ コウ』について、上層部で話し合った結果だが……対象ホロウ“シヅキ”と“トウカ”については、丘で待機をするように指示をしろ。2体を除くホロウについては、オドへの避難命令を出せ。以上だ」


 淡々と指示内容だけを述べる司令官。 ……ソヨにはその声が酷く冷たいものに聞こえてならなかった。


「さて、では各自――」

「……司令官。身勝手ながら、お聞きしたいことがあります。宜しいですか?」


 場の視線が一遍に集まったのが分かる。前方はもちろんのこと、後方にいる同胞たちからもだ。目の端に、一体の雑務型の表情が映った。 ……ギョッと見開いた眼でこちらを見ている。


「ソヨか。なんだね?」


 酷く穏やかな口調だ。 ……だからこそ怖いと思ってしまう。ソヨは自身の爪を掌に食い込ませた。再び口内の唾液を飲み込む。 ……よし。


「司令官の……仰ったことは、2体のホロウについては救援を出さず、ころされることも止むを得ないということですよね?」

 

 震える声で言い切ったソヨ。当然のことながら、場は驚愕の息遣いで包まれた。声にならない声が管理部の面々から上がる。


 それでもソヨは動じない素振りを見せた。気が抜いたら崩れ落ちてしまいそうになる足で床を踏み抜く。震える身体は、千切れるほどに舌を噛んで我慢しようとした。そして、両眼は……貫くほどに司令官を直視する。


 司令官である男性ホロウは「ふん」と鼻を鳴らした後、自身の顎髭を2度撫でた。彼は何も話すことなく、少しだけ時間が過ぎる。 ……永遠のような時間だ。


 しかし本当に永遠の訳はなく、やがて司令官は大きな口を開いた。


「そうだ。我々は、シヅキとトウカ……この2体をと取ってもらって構わない」


 本当に率直に言い切った司令官。後ろに立つ上層部の連中が口を挟もうとしたが、彼は手を伸ばし、彼らを制止した。


 ソヨは自身の唇を噛み、言う。


「ありがとうございます。正直に述べていただいて」

「ソヨ、お前はシヅキと古い付き合いだったな」

「……私情が入っていると?」

「それを詮索する気はない。このような場だ」

「……お心遣い、痛み入ります」

「しかし、勘違いはするな。我々の決断がくつがえることはない。これは、確定事項だ。 ……理由は必要か?」

「……はい」

「済まない。ソヨ以外のホロウは先ほど述べた指示通りに頼む。決断の理由については……そうだな。後ほど共有しよう」


 司令官が右腕を大きく払うと、管理部の面々は「はい!」とだけ返事し、各自の持ち場へと戻っていった。


「すみません。後ほど合流と言う形を取らさせていただきます」


 司令官が後方に居る上層部に呼びかけ、大きな背を折り曲げた。彼らは何も言うことなく、ただ頷くと、管理部を出て行ってしまった。


ソヨは大きな背中に向かって、恐る恐る声をかける。


「申し訳ありません! 私の――」

「もういい。次の酒代ででも誠意を見せろ。 ……理由だな。ソヨ、お前が考えていることと大方一致していると思うが」

「そう、ですか」

「言ってみろ」

「……天秤にかけたのですよね。シヅキたちの帰還率と、救援によるリスクとを」


 それは聞くまでもなく、当然のことだった。相手はコクヨの大隊を追い込んだ魔人、“絶望”だ。 ……救援のためにホロウを寄越すことは、大きな代償を払いかねない。



 ――そんなことは、分かっている。ソヨは、分かっているのだ。



「ソヨ。分かることと、呑み込むことは全く別の話だ」

「え……」

「今にも結界しそうな表情を見れば、何を考えているかくらい理解できるつもりだが?」

「…………」


 何も言うことが出来ないソヨ。司令官は構わずに話を続ける。


御託ごたくをつらつらと並べてもいいが、それは本望ではないだろう? ……だからオレが言うことはただ一つだけだ。 ……割り切るんだ。ソヨ」

「今までと同じように、割り切るんですね」

「そうだ。 ……全ては人類の為だ」


 それは先刻前にちょうど自身が発した言葉だった。後輩のホロウを諭すために使った言葉……自分は今、一言一句同じ言葉で諭されているのだ。


「司令官、最後に……一つだけいいですか?」

「なんだ」


 嗚咽が漏れ出すのを必死に耐えながらソヨは言う。


「もし人間なら……人間だったら。私たちと同じように……見捨てる決断を……選んだと、思いますか? ホロウと比べて! 人間の有す価値はよっぽど上です! なら人間は同胞を見捨てる決断をするのでしょうか!?」


 感情を抑えることが出来ず、声を荒げてしまったソヨ。何体かのホロウが眼を向けたのが分かった。


 ここまで毅然と答えてくれた司令官も、ソヨのこの問いかけには言葉を窮しているようだった。


 捻り出すかのように、彼は言おうとする。


「……それは、とてもじゃないが――」

「司令」


 その時、そんな声がソヨから見て左側から聞こえてきた。反射的に視線を向けるソヨと司令官。意外なホロウの影に両者とも眉を上げた。


「ワタシから提案があるのだが、一つ耳を貸してもらえないだろうか?」


 飄々とした態度で、そのホロウは言ってみせた。耳を疑うようなその言葉を。


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