売れないギターリストと狐男

まめつぶいちご

 売れないギターリストと狐男

「うーおーおおー 熱湯かけて! 三分待ってよ! 湯切りはしなくていいからね! うーおーおおー!」


 三年前、実家の家業を継がずにデビューを夢見て田舎から上京。日中はバイトをして、夜は人通りの多い駅で路上ミュージシャンをやっている。才能がないのか場所が悪いのか一向にファンも増えず、音楽関係者から声をかけられた事もない。


 一度、話題の曲を練習して弾き語りしてみたら、いつもより足を止めてくれる人が多かった。嬉しかった俺は次に自作の曲を披露したが、一瞬で観客はいなくなった。自分を見てくれているのではなく、その歌の歌手の匂いに誘われた人たちだけだとわかると、虚しさと悔しさで胸がいっぱいになった。


「うーおーおおー お揚げは最後に食べたいな! スープも全部! 飲んでよね! うーおーおおー」


 さっきから歌っているのは俺の自信作「赤いきつねうどん」だ。昔食べた即席麺から着想を得たのだが、歌詞良し曲良しなのに誰も共感してくれない。


 じゃ〜んとギターを鳴らし、曲の終わりを告げるが遠巻きに聞いてくれている人はいても、賞賛の拍手はない。誰に対してなのかわからないが、笑顔でありがとうございますとお辞儀をした。


 もちろん投げ銭などはほとんどない。これが海外なら多少はチップを貰えるんだろうけど、日本人は消極的な部分が多く、おひねりをくれる方は少ない。


 時刻は午前二時、金曜日とはいえ飲み歩いているサラリーマンの姿もほとんどない。不景気の煽りやイクメンなどの流行語により家庭を大事にする人が増え、結果的に夜中まで飲み歩く人の数は減っている。


「今日のおひねりは二百円だけだったな」


 季節にもよるのだろう。夏から秋に掛けては一日多い時は三千円ほどもらえる日もあったが、冬になると極端に減った。寒くて足を止める人も減るからだろうか。


 機材を片付けて終わった俺は、荷物を背負い借りているボロアパートへと足を向けた。


 家に帰る途中のコンビニで、最近はよく肉まんを買っている。暖かい食べ物の中で一番安いからだ。寝る前だろうと関係ない。歌った後は猛烈に腹が減るのだ。


ピーローリーローリリーン


 軽快な電子音とともに入店すると、顔馴染みの定員であるブラジル人に声を掛ける。


「よう、アンディ。いつもの肉まんくれ」

「ナイ」

「ない? 売り切れか?」

「コワレタ」


 見ると蒸し器の電源は落とされており、つたない字でコツヨウと書かれている。ツとシの違いがわからなかったか。故障しているなら仕方ない。別の物でも食べるか……。冬だってのに、この店には気の利いた熱々おでんもない。


「お湯はあるか?」

「アルヨ」

「んじゃ、これくれ」


 俺はレジに『赤いきつね』を出した。俺は完全に赤いきつね派だ。異論は認めない。値段的にも肉まんと同じくらいリーズナブルだし、冷え切った身体と心を癒してくれるだろう。


 購入してビニールをペリッと剥がす、蓋を開けたら粉をぶちまけお湯を入れると店を出た。深夜で店内に人がいないとはいえ、店の中で食べるほど常識はずれではない。


「ううー、さむっ」


 店の駐車場の車止めブロックに腰を下ろすと、出来上がりまで五分待つ。本当は十分派だがこの寒さの中では待てない。


 街中のコンビニと違って、住宅街のコンビニは来客が少ない。店を開けておくメリットがあるのか怪しいところだが、恐らく店を閉じても設備の電源は切るわけにはいかないし、店員一人置いておくだけなら大したコストではないのだろう。


 それよりも、いつでも開いているという安心感を利用者に与えることで信頼性向上を狙っているのかもしれない。


「よし五分!」


 蓋を開けると、もわもわと湯気が吹き出し、鰹節の効いた匂いが俺を誘った。嗅いだだけで涎が止まらなくなる。


「いっただっきまーす」


 うどんを口に運ぼうとふーふーしていると、誰かが俺の隣に座った。


 なんで隣に座るんだ? という疑問もあるが、俺はとにかく腹が減っていたために、視線を上げることなくそのままズルズルとうどんをすする。うまい!


「コンばんは」


 隣に座った男が話しかてきた。なぜか若干不快感を覚えるその声に嫌悪感を抱きながらも、男の方を見上げると、狐の被り物をしていた。


「うわあ!!」

「おっと、あぶない」

「熱っ!」


 その妙にリアルで不気味な被り物に驚いて、カップを落としそうになるが、狐野郎が俺を支えてくれたおかげで一滴ズボンにこぼすだけで済んだ。


 狐の被り物はテーマパークにあるような結構しっかりした物で、コンビニの明かりに照らされて不気味に見えた。


「な、なんだよ。その被り物……あー、びっくりしたぁ」

「あー、これ? ……まぁ気にしないでくれ、趣味だ」


 いやいやいや、明らかにやばい奴だろ。こんな深夜に狐の被り物をしてるって……。頭では冷静さを取り戻したものの、うどんの熱さと驚きで身体中から汗が噴き出した。


 逃げよう。頭の中にはそれしかなかったが、もし追いかけられたら怖いし、刺されたりしたらどうしよう。悩んだ挙句、狐男の物腰からするに悪いやつでは無さそうだし、俺は狐男を警戒しつつも座り直しうどんを啜った。


「うまいよな。赤いきつね」

「ええ、まぁ……ズルズル」

「君、ギターやるんだ? 有名なの?」


 早く食い終わってこの場を去ろう。そう思いながらも、うどんが熱くて一気に食うのは無理だった。狐男を無視してデスゲームなんかに参加させられても嫌なので、俺はしぶしぶ会話に付き合うことにした。


「……いや駆け出しの無名」


 愛想良くする必要はないと判断した俺は、ぶっきらぼうに答えた。自分で言っておいて無名という響きに嫌気をさして勝手に弁明する。


「一応、三年頑張ったけど、音楽関係者の人から声をかけられた事も、名刺を貰ったこともない」

「そうなんだ。大変だね」

「もう諦めて実家に帰ろうかと思ってたところさ」

「え? 諦めちゃうの?」

「まぁな」

「大体ミュージシャンなんて、なりたくてなれるもんでもねぇし。本物になれるやつはひとつまみさ」


 こうして言葉にしてみると、いつも自分が心の奥底ではそうなんじゃないかと思いつつも、見ないふりをしていた真実が露わになった気がして、胸が締め付けられた。


「名刺なんて無くても、音楽事務所に突撃してみたらいいのに」

「そんな失礼な真似出来るかよ」

「そもそも、なんでミュージシャンになりたいの?」


 どん兵衛を食べながらも、次々と質問してるくる狐男に若干苛立ちを覚えながらも、俺は答えていく。もしかしたら俺も誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。


「昔、俺の田舎に超有名なミュージシャンが全国ツアーで来たんだよ」

「ふんふん」

「その人は『音楽は自由だ。金のあるやつしか聴けないなんてのは間違っている』というのが信念でさ」

「すばらしいね」

「ライブはいつも屋外でやってたから、会場の側まで友達と自転車漕いで行ったんだよ」

「近くに行けば音楽は聞こえるわけか」

「ああ、歌詞は難しくて何言ってるかわからなかったけど、その音楽がスッと身体に入ってきたら感動で泣いちゃってさ。その時に俺の夢が決まったんだよ」

「それはいい体験をしたね」


 言い終わるとスープを飲み干した。寒い夜空で冷え切った身体に暖かい汁が染み渡る。


「もう一度聞くね。ここで諦めて、悔しくないの?」

「悔しいに! 決まってんだろ!!」


 思わず狐男野良胸ぐらを掴んだ。さっき会ったばかりのこいつの言葉がグサグサと心に突き刺さる。ふざけた被り物してるくせに。


「プロになりたいならチャレンジしたらいいじゃないか」

「どうしたらいいか……もうわからねぇんだよ」


 狐男の胸ぐらを掴んでいた手が緩む。これが俺の本音なんだろう。どうしたらいいかわからない。


「それじゃぁ、僕がきっかけをあげるよ」


 いつのまにか狐男の手には名刺のようなものが握られており、それを無造作に放り投げた。


 な、名刺!? まさかこいつ音楽関係のスカウトだったのか?! 拾った名刺の紙面を見た俺は目を見張った。


『ベイベックスエンターテイメント所属ミュージシャン。ワイルドフォックス』


「やっぱりお前!」


 驚いて思わず顔を上げたが、そこに狐男はいなかった。さっきまで確かにそこに存在し、会話をしていた謎の男は影も形もない。


「……消えた?」



 翌日――

 俺はベイベックスエンターテイメントの本社ビル前に来ていた。数ある音楽事務所の中でも最高峰として長年君臨するのが、ベイベックス。プロのミュージシャンを目指す者なら誰もが憧れる会社だ。


 俺の頼みの綱は、怪しい狐男に貰ったこの名刺だけ。俺はギターを片手にベイベックスの正面ゲートをくぐった。



――三年後


「はは! すげー! 確かにこんな感じだった!」


 俺は一人、楽屋で大きめの箱から狐の被り物を取り出しはしゃいだ。あの夜、コンビニで出会った狐男が被っていたのと同じデザインで作ってもらった。


 というのも、あの日……ワイルドフォックスなんていうミュージシャンは在籍しておらず、偽造名刺と判断された。本来ならその時点で追い返されるところを「せっかくだから弾いてみてよ」と言われ全力で演奏した。結果、条件付きでお試し採用をしてもらう事になった。条件は、芸名をワイルドフォックスとし、狐の被り物をして歌うことだった。


 それから三年、ボイトレに作曲に励み、明日からデビューすることが決まった。明日からこいつが俺の相棒か……。


「はぁー、せめて素顔は出したかったなぁ」


 箱から出した狐の被り物を被ってみる。ミュージシャンが被るものだから、口まわりの空洞は広く。息はしやすい。視界は……ん? 何も見えないぞ?


 目の部分開け忘れたのか? と思ったら不思議と視界が開けてきた。狐の被り物越しに見えた光景には見覚えがあった。コンビニ……? あれはもしや……。


「ううー、さむっ」


 赤いきつねを片手に、コンビニから出て車止めブロックに腰をかけたのかつての自分だった。その姿を確認すると俺は隣へと座った。


「コンばんは」


<了>

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売れないギターリストと狐男 まめつぶいちご @mametubu_ichigo

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