最外殻への応援コメント
(無沙汰してます)読み違いだったらごめんなさい。
>作者様であるインターの指示で
インターじゃなくネストでは? と思ってしまったので、確認させていただきたく。
括弧いくつ出てきたんだろう、と、三周目で腑に落ちました。
いくつもの世界がいくつもの物語として構造化しているような錯覚を起こしつつ、これが純粋な劇中劇の輪唱なら〝きょう読んでいる〟私(ノンフィクション)と物語(フィクション)としてシンプルに区分けすることもできそうです。
作者からの返信
(ごぶさたです)
読み間違いではなくご指摘の通り反対です、ありがとうございます修正します。
なるほどフィクションのつもりで書いていましたが、確かに日記だからこそ『私』からすればノンフィクションかもしれません。この今日を本来の意味で読み得る人(=読み手)は外にいて、この今日を書いて読んでいる『私』はまだ物語の中の一番外側に置こうとしていました。日記の形式が思わぬ線をまた一本。
編集済
最外殻への応援コメント
構造が分かってくると、非常にぞくぞくしました。そして、文中に書かれているように、一度最初に戻って見たり、別の括弧を探してみたりもしてみました。
ゲームの世界に転生してしまった系の話を、個人的にはすごく怖いと感じます。想像した世界が存在していて、そこの中で人間、あるいはそれ以外の生き物が暮らしている――と考えると、眩暈がするのは、括弧の内側の存在は括弧の外側を認識できないからかと思い当たりました。
ここまでも面白いのですが、括弧を閉じないという方法で、現在の「私」を書くという方法も、目から鱗でした。そして、最後で本当に括弧を閉じないという演出も、非常に心憎かったです。
最後に大変遅くなりましたが、自主企画への参加、ありがとうございました!
作者からの返信
お読みいただきありがとうございました。このお題は波長が合ったのかピコンと構想が浮かび、そこからは滑らかに書くことができました。
“怖さ”というのは新鮮な感想で、確かに認識できないものがそうだとか、安全に思われていた自分の足元が揺らぐような構造になっているかもしれないと気付きました。それはスリルなのか、では私が怖さを感じなかったのは慣れてしまっているからなのか、もっと使いこなせないのか。云々。
お気に入りの作品となりましたが、同時に良い材料(資産?)になりそうです。