アノナツノヒノ夜

 小さい頃は野をかけ山をかけるのが子供の遊びだった。


 例に漏れず歳が近い者同士で集まり鬼ごっこやかくれんぼをして俺とアゲハちゃんも遊んでいた。


 アゲハちゃんは昔は勝ち気な性格では無かったと思う。どちらかというと半歩後ろから周りを眺めているような子だった。


 本が好きでよく俺に内容を教えてくれる聡い子。


「ねぇ、魔法使いって知ってる?」

「魔法使い?」


「うん! ヒロインがピンチの時に助けてくれたり、お洋服をくれるんだって!」

「へぇ〜」


「もうっ真面目に答えてよ!」

「ふぅ〜ん」


 当時の俺は本の事なんて興味が無かった。アゲハちゃんに対しては適当な返事をしていたと思う。

 今思えば女の子として意識していたからこそ表に出すのが恥ずかしかった。それが変わったのは小学3年生の夏休み。


 いつものように友達同士でかくれんぼをしていた俺達は日も暮れるのを忘れて遊び回った。


「今日は帰ろう」

 誰かがそう言った。


「最近この辺にイノシシが出るんだって」

 父さんと母さんから聞いている。


「怖くなってきたから俺達先に帰るね」

 解散する友達に手を振って見送る。




「さて、アゲハちゃんを探すか」


 かくれんぼ上手のアゲハちゃん。

 彼女は隠密の一族かと思うぐらいかくれんぼの才能がある。それは恐らく周りの状況を見るのに長けていて鬼の思考を読んでいるからだろう。


「ホントにイノシシが出たら怖いよな」


 子供の冗談であって欲しいけど大人達まで騒いでいるので真実だろう。なので早くアゲハちゃんを見つけて彼女を家に送らなくちゃ。


「おーい、アゲハちゃーん! もうみんな帰ったから出ておいでー!」


 何度呼んでも返事が無い。

 もしかして罠だと思っているのか。


 街灯もろくに無い森の中は薄気味悪い。お化けが出てきても誰も助けてくれない。そして獣が出てきても一緒。


 声を出し探し回る事1時間。いよいよ闇の時間が深まって俺は焦っていた。


「アゲハちゃんどこ行ったんだよ」


 こんなに探しても見つからないのはおかしい。もしかして……と頭の中を過ぎった俺は大人達を呼びに戻ろうと引き返そうとする。


「――――」


 何かの音が聞こえた。


「――――」


 まただ。


 近くの木々の向こうから得体の知れない音がする。恐怖に打ち震えそうになりながら俺は音のする方へ進んで行く……すると。



「……やぁ! 来ないで!」



 大きな木を背に震えている女の子がいた。それは紛れもなくアゲハちゃんで服が所々破れている。そして俺は彼女が何から逃げているのか見てしまった。



「イ、イノ……シシ」



 当時の俺はその圧倒的な図体に臆してしまいそうになる。けれど目の前には大事な女の子が震えながら泣いている。



 動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け……動けよっ!!



 ガタガタする足に力を込めて手近にあった棒きれを掴む。


『ねぇ、魔法使いって知ってる?』


 頭の中にアゲハちゃんの声が蘇る。そしてあの時は見られなかった彼女の顔が今度はハッキリと瞳に写る。


『ヒロインがピンチの時に助けてくれるの』


 なんの為にここに来たんだ?

 なんの為にこの棒を持つ?

 なんの為に己を鼓舞した?

 頭の中に誰を写した?

 そうだろう?

 なら行け!



「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」



 渾身の力と大声で俺はイノシシに立ち向かう。一瞬怯んだかに見えた獣はターゲットを俺に変えただけ。


「アゲハちゃん逃げてっ!」

「――――っ!」


 大きく目を見開いた彼女だけどその足が動く事はない。なぜならチラリと見えた彼女の足首は腫れていた。恐らくイノシシから逃げる時に挫いたのだろう。


「……堅志かたし……くん」


 涙を溜めた瞳で俺の名前を呼ぶ。なんとかイノシシの初撃を躱した俺は彼女を背にして無理やりの作り笑い。


「へ、へへ……ま、魔法使いの参上だぜ!」

「……かだじぐん」


 傷だらけの肌からは彼女の赤い想いが溢れ出していた。


 怖かっただろう。

 泣きたかっただろう。

 寒かっただろう。

 絶望しただろう。


 でももう大丈夫。


「俺が守るから」

「……ぐすっ……ゔん」


 彼女をこんな目にあわせた獣を俺は許さない。


「うわぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」



 ――――――――



「うわぁぁぁん! がだじぐぅぅん」



 結局俺はイノシシには勝てなかった。



 体当たりを受けて吹っ飛ばされて、それからアゲハちゃんと一緒に逃げようとした時に崖から落ちた。

 幸いその影響でイノシシは追って来なかったけど、アゲハちゃんをだき抱えて転げ落ちた影響で俺の体は無惨なもの。唯一の救いは彼女の傷が増えなかった事だろう。



「アゲハちゃん……俺、強くなる……から」

 絶対に君を失わないように。


「強い……魔法使いになる……から」

 何度倒れても君だけは幸せにする。


「だからその時は……」

 俺の――――。




 アノナツノヒノ夜。

 俺は自分の無力を呪った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る