第54話 もう二度と、別れない(上編)

2020年3月・静岡


クリスマス旅行から帰って来た真琴と慎也は、彼女の実家で一緒に正月を迎えた。


二人の復縁に一番喜んでいるのはやっぱり未希だった。しかし、再婚はしないと聞いたら、未希は望んでいた弟や妹がしばらく生まれてこないと分かり、ちょっとがっかりしていた。真琴の両親は特に何も言わなかったが、娘の幸せな顔を見て、ただ二人のことを暖かく見守っていた。そして、慎也は静岡に来る度、最初は真琴の実家にあるゲストルームに泊まっていたが、いつの間にか彼女の部屋で一緒になった。


慎也はクリスマスの旅行中、真琴に大阪の異動の話をした。


「本当にいいの?」

「何が?」

「だって大阪へ行ったら、企業法務部のトップとシニア・パートナーにもなれるよ」

「そうだけど、やっぱりあなたと未希から離れたくないだ。もちろん、あなたと未希が一緒にそこへ行けば、それでいいかもしれない。でも、あなたはここに事務所があり、未希だって中学で友達もいるし、そう簡単に静岡から離れない」

「確かにそうだけど、でも勿体ないよ…せっかく長年頑張ったのに…」

「それで、俺が思いついたのは、静岡へ移住することだ」

「ええ?でも仕事は?」

「事務所から辞めて、こっちで就職するか、あるいは自分の事務所を立ち上げるか」

「でも…」

「前はずっとお金や地位のことを追いかけてきたから、結局初心を忘れて家族を失った。だから、今は別に仕事のことを完全に諦めたわけじゃないけど、ただもっとバランスのいい方法で仕事と家庭の両立をしたい。真琴は俺を応援してくれる?」

「もちろんですよ!」

「それで、東京の家は処分しようと思う。あそこは確かに俺たちが一緒に築き上げたものだけど、あまりにいい思い出が残ってないから、それを売ってここでやり直したい」

「そうね、もし移住したら、東京の家を残っても意味がないね」

「俺はもうすぐ職なし、自宅なしになるんだなあ…それでもいい?」

「何言ってるの?家ならちゃんとあるじゃない、私の実家でしばらく居候してもらえばそれでいい。職だってすぐ見つかるし、慎也の才能に信じてるから」

「ありがとう、真琴。そばにいてくれて心強いだ」

「うん、一緒にいれば怖いものがないからね」


そしたら、慎也は新年早々辞表を出して、3月末に20年近く勤めていた事務所から出ていくことになった。幸い、東京の家は2月中旬にバイヤーが見つかり、手続きも無事に終わった。引き渡しの前日、真琴は東京に戻って、慎也と一緒にこの家とお別れをした。


慎也は静岡へ移住する前に、昔の同じ法学部の同級生と連絡した。その人は司法試験を受けた後、故郷の静岡へ戻り、そのまま就職した。数年前、彼は同僚であった奥さんと一緒に法律事務所を立ち上げた。彼は刑事事件の専門で、奥さんは企業法務の弁護士であった。しかし、奥さんは今第3子に身ごもっていて、夏に出産する予定だ。その後産休に入って、しばらく3人の子供の育児に専念しようと思った。そういうわけで、彼は今企業法務の弁護士を探している最中だった。


慎也は彼に相談したら、向こうは出資パートナーにならないかと誘い出した。


「せっかく東京で長年の経験があるし、ここにしばらく住むだろう?なんなら、いっそのことうちの事務所に出資し、パートナーにならないか?」


慎也は真琴と相談してから、同級生のオファーを受けて、4月からその事務所に働く予定になった。新居はなるべく真琴の実家の近くにしたいが、なかなかいい物件が見つからなくて、慎也はそのまま彼女の実家で一緒に暮らすことになった。



2020年5月・東京


真琴と慎也は安定している生活を送っていながら、晴夏と陸翔のバタバタした日々は今進行中の状態だった。


映画の撮影は2月から始まって、予定通りに進めば、今年の7月までクランクアップする予定だ。最初はもっとゆっくりしたの撮影日程だったが、陸翔の引退発表で全部を繰り上げることになった。公開日は12月のクリスマス直前に決められ、そして映画の初日舞台挨拶は陸翔の最後の仕事になる。


ストーリーは20年近くの年月を描かれていたので、四季の風景や各シーズンの要素を取り入れなければいけなかった。だから、2月から4月までは主に冬と秋のシーンを撮影していて、それから春と夏のシーンを撮る予定だった。


しかし、コロナ禍のせいで、計画は大きく狂っていた。


緊急事態宣言は4月から出されていて、1か月後の5月にようやく解除されていた。自由に他の県へ移動することはできず、ロケの予定地が撮影できない状態は続出、3密を防ぐためにもいろいろの感染防止措置をとらなければいけないから、撮影に多大の影響を与えてきた。


晴夏は3月からずっと東京で映画と小説の仕事をしていたため、緊急事態宣言が出された後、しばらく静岡へ帰ることができなかった。カフェの経営を真琴や店長たちに任せられるので、そっちは心配することがなかった。しかし、長期間東京でいるつもりはなかったため、ずっとホテルの暮らしに不便なところが現れづつになった。それで、陸翔からの誘いは来た。


「しばらくの間、うちに泊まる?ホテルだと、いろいろ不便だろう。料理もできないし、毎日出前とかルームサービスとかは食べられないでしょう?それに、静かなところで執筆したいだろう?」


これは確かに魅力的なオファーだけど、陸翔と同じところで住むってやっぱり彼にとって不便になると思った。特に、引退宣言の後、彼の動きを追いかけまわるマスコミは前より多くなってきた。この時、もしスキャンダルが出てきたら、彼にとって悪い影響を与えてしまう。


「今住んでいるところは前と違うなんだ。あなたと別れた後、そこで居続けるのはあまりにも辛くて、だから他のところへ引っ越した。ここならセキュリティは以前よりよく、しかも1階ごとに一つの部屋しかないから、近所の人と顔合わせることなどのリスクは少ない。安心して一緒に住もう」


晴夏は陸翔に説得され、彼の新居でしばらく居候することになった。今回は二人にとって初めての「同棲」なので、仕事の打ち合わせも大体ネットでやるから、二人はステイホーム期間中ずっと一緒にいた。昔付き合っていたころ、お互いの家に泊まったことあったが、こういう形で長時間で過ごすのは新鮮だった。しかし、陸翔の料理の腕前は20年に経っても、相変わらず下手なまま、仕方なく晴夏は二人の食事を作ることになった。


二人の関係は複雑のままだ。陸翔の思いを知ったとは言え、晴夏はいまだに彼ともう一度付き合いたいという申し込みにOKを出していなかった。一方の陸翔は、言葉では何も言ってないが、行動的にはもう彼氏気取りになった。彼はいつも予告なしで彼女とのスキンシップをして、特に後ろからハグして顎を彼女の肩に乗せるのが好きだった。晴夏は最初から彼のことを拒否しようとしたが、段々ガードは弱くなり、陸翔との距離が少しずつなくなっていた。


晴夏と陸翔の状況を見ていた真琴は彼女に聞いた。


「ハルは今陸翔とどうなってるの?」

「どうって…分からない」

「付き合ってる?」

「ない」

「でも、彼の気持ちはもう分かってるよね?」

「分かってるけど…どうしても、その一歩を踏み出せないよ…ねえ、マコはさあ、どうして慎也さんのことをもう一度受け入れたの?だって、一年前まではあんなに彼と一生関わらないという態度じゃない?」

「やっぱり、彼の行動かな?彼の誠意を感じてるし、それに自分の気持ちを抑えきれないかな?でも、ハルは躊躇した理由が分かったよ。家庭の理由もあるし、陸翔は前にしたことでまだ引っかかっているでしょう?もう少し待てばいいけど、私から見ると、ハルはもう陸翔のことを受け入れたみたいじゃん。無駄な抵抗はほどほどにしてね~」


真琴の言う通りかもしれない。意地なのか、それとも恐怖なのか、晴夏は陸翔の思いをもう一度受け入れたくないのはそんな理由だったかもしれない。でも、今はそういうことを悩んでいる場合じゃないと思って、やっぱり映画が完成してから、二人の関係を整理しよう。


映画の撮影は5月下旬に再開して、それから何とか8月中旬に終わらせた。後期作業はタイトなスケジュールで行われいた同時に、キャスト、原作者と監督はすぐに宣伝の方の仕事に入った。陸翔の引退が迫っているともあって、取材の量はいつもの作品より遙かに超えていた。


そして、いよいよ映画の初日舞台挨拶の日がやってきた。


コロナの状況を踏まえて、劇場に入れる観客の数は制限されていたが、みんなは無事にこの映画を世に送り出せることが本当に良かったと思った。集まってきた観客を前に、晴夏はとなりにいる陸翔を見つめた。彼は本当に約束通り、二人が何年か前に掲げた夢を実現させた。そして、彼はもうすぐこの仕事を辞めて、自分の第二人生をスタートしようとする。


最後のコメントで、陸翔はこう話した。


「最後にもう一度、ここへ来てくださっていた方に感謝いたします。これで俳優人生最後の仕事になりますが、悲しさよりも前向きな喜びの方は強かったです。これからは一般人として、自分のもう一つの夢を追いかけるつもりです。特に今のご時世に、そういうことをできるのはもう当たり前ではないと思います。だからこのチャンスをありがたく掴んで、将来は違う形で社会貢献ができたらいいと願っています。20年間、ありがとうございました。」


たくさんの拍手に見送られ、陸翔は舞台から降りた。晴夏は事前に用意した花束を彼に渡した。


「お疲れ様、よく頑張ったね」

「ありがとう、晴夏がいてくれたから、俺は頑張られた」


二人はお互いを笑顔で見つめた。


今回は通常の打ち上げをすることができず、みんなは会場で小さな感謝会を挙げた。晴夏は陸翔が共演者とスタッフたちにあいさつをしていたところを遠くから見ていた時、牧野先輩は彼女のところへ来た。


「お疲れ様」

「お疲れ様、匠さん」

「本当、あいつに巻き込まれて、こんな短時間で映画を作り出したのは初めてだ」

「無理を言ってすみません」

「まあ、結果的には大丈夫ならそれでいい。で、君たちはどうなってるの?」

「うん、もうすぐ決着をつけると思う」

「そうなんだ。それならいい」

「ご心配をかけしてすみません」

「あいつはあなたに対する思いは本気なんだ、だからみんなは協力してくれたと思う」

「分かってますよ」

「ああ、でもあいつは嫉妬深いだから。ほら、俺たちが話しているところを見て、こっちへ向かってる」

「それは困りますね。でも、大丈夫、私は対処できる。じゃ、先に失礼します」


そう言った晴夏は、自分の方へ歩き出した陸翔にストップをかけた。


「牧野先輩と何を話していたの?」

「それより、私についてきてくれる?」

「何を企んでいる?」

「まあ、それでも一緒に行く?」

「あなたに誘拐されても平気だから、行こう!」


晴夏は陸翔の腕を掴んで、そのまま会場から連れ出し、二人は地下駐車場にある晴夏の車に乗った。陸翔は目的地を知らないけど、晴夏と一緒ならどこでも行けると思った。

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