第34話 迫りくる危機を知らず

2018年12月・東京


既読のマークがついていたのに、返事は帰って来なかった。


次の朝まで待っていたが、慎也からの連絡が予想通り来なかった。やっぱりだね、一言で帰れないかどうかも寄せてくれないなんて、いったいどんな大事な仕事をしていたの?でも、真琴は今になって、もうそれを知りたくなかった。昔はこういうことで慎也に追い詰めても、彼からの答えはいつも曖昧で、時に「お前に言っても分からないだろう」みたいの言葉が投げられた。そもそも説明しなきゃ、どうやって分かってくれるでしょう?


どうしてもこの件を長引いて欲しくないので、向こうが来てくれないなら、こっちから行けばいいと真琴はそう思った。未希を学校へ送った後、真琴は慎也の法律事務所にあるビルへ向かった。


慎也の法律事務所の受付に到着した真琴は、興味津々な様子で周りを見渡した。ここに訪ねることは初めてで、多分最後にもなるでしょう。慎也は大学卒業してからここで働いていたけど、今まであまり会社のことを彼女に言わないから、こんなに立派なところで働いているとは知らなかった。この意味で、妻として失格とも言えるでしょう。


受付の人に慎也の妻ですと申した後、事務所にいる人たちは何だか慌てて慎也に連絡しようとした。職場の人は慎也が既婚者であることを知ってでも、誰も慎也の妻と実際に会ったことがないので、真琴はまさに幻の存在だった。まさか、噂の窪田夫人がいきなり現れるとは予想しなかった。受付の人が誰かとの電話を終えて、すぐ真琴を慎也の部屋まで案内した。


真琴は慎也の部屋に入った時、彼は彼女を睨みつけた。受付の人が部屋から出ていた後、慎也はすぐカーテンを下した。


「何でいきなりこっちに来た?」

「あなたが返事しなかったからです。」

「忙しいなのに、何度も連絡してくるなと言ったはず。」

「用事が済んだらすぐに帰ります。」

「家に帰るまで待たないのか?」

「あなたが家に帰る気はないでしょう?」


まさにそうだった。それで真琴は仕方なく事務所まで押し掛けた。


「じゃ、話は何?」


真琴は鞄から記入済みの離婚届を慎也に渡した。その書類を見た瞬間、慎也の目は大きく開いた。


「どういう意味?」

「離婚してください。」

「またそれ?いい加減こういう脅迫をやめなさい。」

「もう記入済みだから、あなたの部分を書けばいい。提出は私がやるので、その辺は心配しなくてもいい。」

「本気で言ってる?」

「なるべく穏便に済ませたいだから。どうせ私たちのことを家族として思ってないから、別れてもあなたにとって何も変わらないはず。」

「じゃ未希はどうする?」

「私は彼女を育てます。もちろん、あなたはもし彼女と会いたいなら、いつでも静岡へ来てください。だけど、同じく東京にいるにも関わらず、未希とあまり会わないから、静岡まで来る時間はないはずですよね。それで私が親権を持つことに異議はないですね?

「実家へ帰るってこと?」

「それはあなたが心配するようなことではありません。」

「じゃ、戸籍は?」

「私はもちろんあなたの戸籍から離れます。未希の場合は、しばらくそのまま移動しないけど、将来はもし彼女は苗字を変えたいとか言い出したら、また話し合いましょう。」

「今回は本当に万全の準備をしてきたな。」

「一応弁護士の妻ですから。」


目の前に真琴はちょっと怖い、笑顔を見せたのに、心から笑っていない気がした。でも、やっぱりまたの張ったりではないか、慎也は真琴の言ってることをまったく信じてなかった。どうせ今回は離婚届を利用して、彼を驚かせようとするつもりじゃない、だからここで引き下がるわけにはいけないだ。


慎也は自分の椅子に座り、離婚届の空白欄を記入し始めた。真琴は今回結構用意周到だなと感心したけど、彼女はこれを提出する勇気なんかないと確信した。だけど、慎也は気づいてないのは、冗談のつもりなら、真琴は他人を巻き込まないタイプだ。証人欄に晴夏と真琴の母親の名前があることで、本気じゃないと彼女たちにをここまでさせないはずだ。


慎也の様子を黙ったまま見守ていた真琴の表情は複雑だった。もうこうなったのに、慎也は多分真琴がやったことは本気じゃないだと思い込んでいたでしょう。それに、一番肝心な離婚理由を一言も聞いていなかった。


この男、やっぱり私のことを何も分かっていない、もう17年間一緒にいたのに。そう考えた真琴は何だか虚しくなった。


書き終えた慎也は、真琴に離婚届を渡した。真琴はすこし震えていた手でそれを受け止め、そのまま鞄にしまった。しかし、慎也は彼女の動揺を気づきなかった。


「弁護士にこれを渡して、手続きを代わりにやってもらいます。すべてが受理されたらまた連絡します。今までお世話なりました。」


そう言った真琴は深くお辞儀をして、慎也の顔をまともに見ないまま、彼女は風のようにすぐ去っていった。


さっき何か起こったがあまり実感が湧いてこなかった。心の中にちょっと不安を感じていたが、慎也はこの胸騒ぎを無視することにして、真琴が宣言したことを事実ではないと捉えていた。真琴は自分から絶対に離れられない自信があるから、慎也は彼女の一連の行動の真意や離婚の理由を聞く考えはなかった。


一方、真琴は事務所から出た時、息が切らしたように緊張した。慎也は予想より短時間で離婚届を記入してもらい、もうちょっと問い詰めてくると想像してたのに、本当に何とも思ってないかそれとも無関心か。息が整いて、真琴は記入済みの離婚届をもって、自分の弁護士に会いに行きました。


一週間後のクリスマスイブ、慎也はようやく家に帰ることを決めた。あの日以来、真琴からの連絡が途絶えた。彼女は離婚届までを利用し、慎也を自分の言うことを聞かせるの作戦であっても、すで失敗だということを観念したかもしれない。しかし、家に着いた慎也は驚いた。


真琴と未希が待っているはずの家に明かりはついていないし、人の気配も感じなかった。残されたのはダイニングテーブルの上にある置き手紙、書類が入っていた封筒と真琴の結婚指輪だった。

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