赤虹

小欅 サムエ

或る母子

 クリスマス・イヴの朝、都市郊外に佇む一軒家————


「いってらっしゃい」

 寒空の下、出勤する亭主を見送った小太りの中年女性は、急ぎ足で家の中へと戻る。そしてかじかむ手をさすりながら、リビングでくつろぐ娘へ声を掛ける。

「ああ、寒い寒い! こんな日に出勤なんて、お父さんもツイてないわね!」

「うん」

「あんなに働いてるんだから、もうちょっと給料も上がってくれたらいいんだけど。はあ、死ぬまでに一回くらいは、友達と豪華な旅行に行ってみたいもんだわ」

 早口で喋り終えると、母親は椅子にどっかりと座り、朝のニュース番組を観始めた。精悍せいかんな顔立ちのニュースキャスターが淡々と事件を報じていくこの番組が、彼女は好きなのだ。

 番組を観ていくうちに、お喋りを我慢できなくなった母親は、番組内で報じられる事件ひとつひとつに対し、思い付いた感想を口にし出す。

「あら汚職だって! あの政治家、絶対に裏があると思ってたのよね。そう思わない?」

「うん」

「へえ、あの夫婦ったらもう離婚なの? やっぱり、お笑い芸人と大女優じゃ、住む世界が違うものね。アンタも、相手はちゃんと選ぶのよ」

「うん」

「……」

 このような無意味なやり取りを何度か重ねるうち、母親はついに大きく溜息をいた。テレビに映るニュースキャスターばりに淡々と、しかもスマートフォンから視線を外すことなく返答する娘の態度に、さすがの彼女も堪忍袋の緒が切れたのだ。

「アンタね、話しかけてるんだから少しくらい止めなさいよ。朝からずーっとポチポチ、ポチポチ。お父さんだって呆れてたわよ?」

「ポチポチって、表現古すぎ。ガラケーじゃないんだから」

げ足を取らないの。もう、そんなのばっかりやってたら、絶対に頭がおかしくなるわ。アンタ、この前テレビで言ってた『スマホ脳』ってやつなんじゃないの?」

「もう、うるさいな!」

 娘は母親の言葉に苛立ち、反論しようと顔を上げた。

 しかし喧嘩する二人の不意を突くように、いつになく神妙な面持ちのニュースキャスターの声が響く。

「次のニュースです。本日未明、日々野ひびの市の郊外にある空き家から、複数の遺体が発見されました」

「えっ?」

 その途端、母子は揃ってテレビへと視線を向けた。

 二人が大きな反応を示したのは、この娘の通っている大学が、遺体の発見された空き家と同じ日々野市の郊外に存在するためだ。

 驚く二人をよそに、番組では事件の詳細が次々と報じられてゆく。

「警察によると、発見された遺体は合計十二体で、いずれも損壊が激しく身元の特定に難渋しているとのことです。また、付近には防犯カメラも設置されておらず、複数の事件が関与している可能性も含め、慎重に捜査が進められているとのことです」

「十二体……」

 食い入るように画面を見つめた母親は、その遺体の数に恐怖し、娘に真剣な眼差しを向ける。

「怖いわね。田舎でもこんな事件が起きるんだから、アンタも本当に気を付けなさいよ。こういうのって、派手な子が狙われやすいんだからね」

 すると、不安そうな母親とは対照的に、娘は全く表情を変えずゆっくりと口を開く。

「ここ、大学のすぐ近くだよ」

「ええっ⁉ ほ、本当なの?」

「うん。裏山の、ちょうど真ん中くらいだったかな。体育会系の部活に入った一年生、新歓の時にここで肝試しさせられるから、うちの学校ではけっこう有名なんだ。でも、ホントに死体があったなんて、ちょっとビックリだね」

「ビックリって……」

 そう言うと、娘はテレビ画面に映し出された空き家からスマートフォンへ視線を戻し、目にもとまらぬ速さで友人たちと先ほどのニュースを共有し始めた。

 母親は、娘の他人事のような姿勢に目を丸くし、また一つ溜息を吐いてテレビへと向き直った。彼女もまた、不愛想な娘のことよりもテレビを優先したのである。

 こうして無言のまま、朝の穏やかな時間は経過していった。

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