第22話 星のモデル シティへ行く Coming To City

「・・・各クラブの出演者は、至急フォイヤーに集合してください。なお、今日のオリエンテーションには特別ゲストとして、モデルの桐嶋ナラニさんをお招きしています。講演は午後三時の予定です。こぞってご参加ください!」


 肉感的な女体を押しつけられたも忘れ、匠は耳をそばだてた。このタイミングでおよそありえなかった。

 ナラニだって!?カミが会いに行ったあのナラニがここに・・・まさか?やっぱり、夢を見ているんじゃないだろうか?

 と、ラウンジのざわめきが不意にささやきに変わり、次いで波紋のように沈黙が広がった。真弓も美紀子もチアリーダー軍団も、何ごとなの?と振り返って、ラウンジ東側の出入口に目を向けた。


 小柄な人影が小首を傾げて、ラウンジを見渡していた。

 著名な日本人デザイナーのロゴが入った洗いざらしのジーンズと、白いシンプルなデザインのゆったりした長袖のシャツ姿で、軽くウェーブした豊かな黒髪にきれいに日焼けした肌が映える。

 ナラニは、皆が息を止め見とれてしまうほどの魅惑を醸し出していた。チアリーダーたちも、匠のことさえすっかり忘れて見入っている。

 第二世代だから何の不思議もないが、著名モデルなのに気取った素振りはこれっぽっちもない。高級ホテルのファッション・ショーに、最新コレクションを纏って登場しようが、カジュアルな装いで大学生の中に交じっていようが、もの柔らかな自然体は変わることがないのである。

 

 折よく、反対側のドアからラウンジに入って来た小田が、匠に歩み寄って小声で尋ねた。

「だッ、誰です、あれ!?新入生じゃないですよね?」 

 匠の返事も待たず、心ここにあらずで目が離せないと、ナラニに視線を戻した。


 やれやれ、間一髪だ。真弓に迫られているところを、小田に見られずに済んで助かった、と匠はほっとした。

 だが、なぜナラニがいるのだろう?カミから帰国の連絡さえ来ていないのに・・・


 匠と目が合った瞬間、ナラニは白い歯をちらっと覗かせて微笑んだ。タリスから第二世代の情報をテレパシーで受け取っているせいか、初対面でもまるで旧知の仲のように感じる。

 匠も思わず笑顔を返したが、目ざとく気づいた小田が、もの問いたげに匠を見つめた。

 しまった!

 小田の視線に気づいて、匠は仕方なく小田にささやきかけた。

「彼女・・・カミの友だちなんだ」

 ナラニが降って湧いたように現れたおかげで、女子の注目が自分から逸れてホッとしたのも束の間、第二世代の存在を隠し通さなければならないから、迂闊なことは口走れない。


「えっ、えッ?じゃあ、まさかアナウンスで言ってた桐嶋ナラニですか?」

「へ~、お前、知ってるんだ?さすが物知りだけのことはあるな」

 匠はとぼけてみせたが、好奇心の塊のような小田がおいそれと引き下がるはずもない。

「なに言ってんですかッ!?超有名人じゃないですか!なんで、うちの大学に来てるんです?だいたい、お姉さんの友だちだってなんで教えてくれなかったんです?」

 興奮した小田が耳元でまくしたてるものだから、匠は面食らったが、ふと気づいた。

 いや、世間一般の反応から僕がかけ離れしまったんだ!


「なんでって言われても・・・カミの知り合いだと最近まで知らなかったんだよ」

 嘘はつきたくないから、差しさわりのない事実を小出しにするしかなかったが、幸い、頭の回転が速過ぎる小田は匠の言葉を遮って先走った。

「紹介してくださいよ!いや、ちょっと待ってください・・・オレ、顔、赤くなってないですか?緊張するとダメなんですよ!うわぁー、こっちに来ますよ!」 

 ひとり相撲に陥った小田の顔は、赤くなったり青くなったりしていた。


 ナラニがラウンジを横切って歩き出すと、学生たちは魚の群れが分かれるように自然に道を開けて、通り過ぎる彼女に陶然と視線を送った。匠の回りにたむろしていたチアリーダーたちも、大人しく道を空ける。

 ほのかに上気した頬と輝く黒い瞳に太く豊かな黒髪、八頭身のたおやかな女体は、豊穣の女神の彫刻が息を吹きこまれて動き出したかと見まごうほど神々しい。モデルとしては小柄で派手な顔立ちでもないが、多種多様な人種のハイブリッドのナラニは、一種独特の強烈なオーラを放っていた。


 小田とは対照的に匠はいたって平静だった。初めて目にするナラニの美しさに心を打たれこそすれ、その魅力への反応はすっかり変容していたのだ。

 美しい外見に男の欲望を掻き立てられることもなく、むしろナラニの慈愛に満ちたオーラに心が癒されるのを感じる。覚醒してからというもの、脳に支配されない純粋の意識体が目覚めて、これまで体験のない感覚が匠の中に生まれたが、違和感はこれっぽちもない。五感と同じように、生まれつき備わった感覚としか思えないのである。


 周囲が水を打ったように静まり返って見守る中、皆の視線に柔和な笑みで応えながら、ナラニは滑るように匠に近づき耳元に顔を寄せた。

「女性たちに襲われて食べられてしまう前に救助に来たの」

 鈴の音のように軽やかに澄んだ声でささやくと、いたずらっぽく微笑んだ。匠は助かった、と胸をなでおろした。

「小田、マユ、後で連絡するよ!」

と言い残して、匠はこれ幸いとナラニの後についてラウンジを抜け出した。


 ナラニはどうやって僕の窮地を知ったのか?わざわざ日本まで助けに来るほどのことなんだろうか?不思議に思ったが取り合えずそれは後回しだ。「フェロモン現象」が、親しい女子も磁石のように否応なく引き寄せる。そうと判明したからには、何が何でも一旦この場から逃げ出すしかなかった。


 二人が立ち去ると、静まり返っていたラウンジに、興奮した話し声が渦を巻いて広がった。真弓と美紀子もどちらともなく顔を見合わせた。突然のナラニの登場に度肝を抜かれ匠を巡る争いも忘れている。


「飛騨乃さん、あのナラニと知り合いだったんだ」

 ナラニを目の前にして緊張でガチガチに固まっていた小田が、ホッと肩の力を抜いてつぶやいた。

「・・・ところで、マユ、ナラニさんの講演、一緒に行かない?」

 たとえ天地がひっくり返ろうとも、頭の切り替えだけはいつだって驚くほど早いのである。


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