第5話 秘められた過去 Unsolved Past Mystery

「う~ん、ここはいつ来てもいい香り!」

 シーダハウス特有のベイスギの香りを胸いっぱいに吸いこんで、気持ちよさそうに大きく伸びをして、キャットはペルシャ織のラグの上に座りこんだ。ほとんど乾いたキトンを無造作にまくり上げ、ショートパンツから伸びたむき出しの長い脚を左右に投げ出して、ストレッチングをしながら尋ねた。

「ねえ、珈耶。ママ上はどこに行ったの?」

 アロンダは一ヵ月前からこのシーダハウスの二階に住んでいるが、今日は姿が見えない。

「ガーディアンの尾行よ」

「ああ、父上を狙った機動歩兵のパートナーね。ねえ、あの機動歩兵が狙いなんでしょ?あいつったらシンの部下に襲わせても無抵抗だった。でもボコボコにやられたのに全然怪我してなかったっちゃ。いったい何者なの?」

 匠の暗殺を阻止した一部始終も、アロンダから聞いていたのだ。(*)


 珈耶はなだめるように笑みを浮かべて言った。

「今にわかるわ」


 飛騨乃匠の暗殺計画が失敗に終わり、機動歩兵のパートナーであるガーディアンが消されると珈耶は察知していたのである。

 伽耶が本拠をシティに移して五年になるが、調査したところ暗殺と思しい事件は、過去にも十件近く起きていた。犠牲者は科学者や高級官僚ばかりだった。巧妙に事故や事件を装ったプロの仕業で、警察も真相に気づいていない。

 そのすべてに最先端技術を巡る熾烈な暗闘が絡んでいたわ・・・

 世界の安全保障に関わる武器兵器への技術転用に、多国籍企業の利権争いというお決まりのパターンだった。


 だが、匠の暗殺計画はまったく性質を異にしていた。実行犯も特務工作員ではなく、機動歩兵が指定された異様な計画だった。

 請け負ったガーディアン組織が、暗殺に失敗したのもおそらく初めて・・・依頼主はアメリカ政府関係者と容易に推察がつく。ガーディアン組織には、の大滝はできない。けれども、失敗の噂が伝われば今後のに支障をきたす。メンツを保つため、ガーディアン組織に詰め腹を切らされるのは中村しかいないわ・・・

 

 ほんの数時間前、中村の命を救ったばかりだが、その件もキャットの前ではおくびにも出さない。もっとも、今朝の暗殺未遂は、ガーディアン本部の仕業ではなかった。

 伽耶は有能な投資家と同じく目的本位の戦略家だ。状況を利用するが、決して偶然や運には頼らないのである。


「また、秘密なの~?つまんないの!」

 伽耶に言われた通り、あいつの頭に触らないよう気をつけて、何とか髪のサンプルを切り取ったのにと、キャットは不満そうに唇を尖らせた。

 天真爛漫で好奇心旺盛だったアルビオラ姫そのものね。伽耶は微笑ましく思った。


 匠の覚醒に先立って、もう一人の第三世代の封印を解いた。アロンダにもカタリーナにもまだ明かしていない。機動歩兵を探し出すまで、あの第三世代にまつわる秘密は隠し通すしかないと心に決めている。

 あの男は、トリニティと切っても切れない因縁を抱えている。とりわけあの特別な第三世代との間に・・・


 物思いにふけっていた珈耶がふと気づくと、キャットは両脚を投げ出したまま前のめりになって眠りこんでいた。身体を包んでいたオーブは消え、あどけなさを残した白い頬を乾きかけの乱れ髪が隠している。不意にくっきりしたアヒル口の唇が動いて声が漏れた。

「父上・・・」


 胸を突かれた珈耶は、静かにそばに歩み寄って両膝をついた。うとうとしている頭をそっと抱きしめて耳元にささやいた。

「今日は頑張ったのね。疲れたでしょう?」

 光学衛星に察知されないよう、雲がかかった日に「収穫」を行うのは珍しくない。けれども、今日のような雨のさなか、「電気球でんきだま」を制御できずに大気放電を起こしたら、一帯に広がる衝撃音と光を感知される恐れがある。稲妻で第二世代の身にも危険が及ぶ。

 飛鳥は敢えて雨の降りしきる日を選び、しかも、わざと手を抜いたらしい。ナラニの指示でキャットの力を試したに違いない。


 珈耶の顔にフッと柔らかな笑みが浮かんだ。


 匠が土壌のサンプル採取に降り立った空き地は、サンクチュアリから五十キロほど離れている。第二世代はあの地の放射能までは消していないとナラニは知っている。つまり、カタリーナがひとりでやってのけたと気づいている。

 その驚異的なオーブの力はもとより、カタリーナは匠があの空き地に降りると知っていた、とナラニは気づいたに違いない。裏で動いている私たちの存在と意図を、彼女は正確に感じ取っている・・・

 ナラニも飛鳥も着実に成長しているわ!新人類としての歴史も長く、能力も情緒も安定している第二世代は、当分心配なさそうだ・・・

 珈耶は胸をなでおろした。

 問題は三人の第三世代と飛騨乃匠、そしてあの機動歩兵だ。


「もうすぐ父上に会えるわ」

 カタリーナの頭を優しく撫でながら珈耶はつぶやいた。

 第二世代の成熟した大人だった自分を取り戻す前に、今のままな愛娘アルビオラとして、アトレイア公爵の腕に戻してやりたい。

 珈耶は遥か遠い日を想った。

 千年前。地下牢から王宮の外に出るとかぐわしく涼しい風が庭園を吹き抜け、青い月が東の空に輝いていた。あの夜、サマエルに託した力がこのアルビオラへ受け継がれた。(**)


 あの満月のもとで、最初のミレニアムが始まったの。いいえ、正確にはその三か月前に始まっていたんだわ。想像もしなかった出来事が起きた・・・

 第二世代をはるかに凌ぐ能力を持つ伽耶にも、あんな現象がどうして起きたのか今もってわからない。数か月後の自分にどんな影響が出るか見当もつかず、急ぎサマエル・アトレイア公爵、現世の飛騨乃匠に力を託すしか選択肢はなかったのである。


 運命に突き動かされるように、あの三か月で事態は急変して、第二世代が誕生した・・・


 しどけなく眠るキャットの頭を膝に載せたまま、珈耶は神妙な面持ちで、窓から春雨が静かに降りしきる空をドーム越しに眺めていた。


 計り知れない謎を秘めたまま、この世を去ったオパル王家の若き国王サウロン。その正体を伽耶は今も追い続けている。第一ミレニアムが終わる節目に、あの男は必ず現れる・・・



* 「青い月の王宮」第30話「束の間の休息」

**「青い月の王宮」第53話「青い月の王宮」

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