ノーカラー

雪野千夏

第1話

 その人はコンビニの常連だった。いつも緑のたぬきとコーヒーと煙草を買っていった。時々、職場の人にやるのだと小さな菓子をいくつも買っていった。

いつからか、毎月十五日に買っていた菓子の注文がなくなった。でも毎日その人は来る。コーヒーと緑のたぬきと煙草。

 季節が変わって、ユーリは気づいた。


「ああ、あのお洒落な人? 最近仕事変わったんじゃない? 夜来るよ」


 シフトの違う先輩が言った。

 その年の大晦日、その人は来た。久しぶりに見るその人は随分と雰囲気が変わっていた。日に焼けて疲労の滲んだ顔に、以前と同じ高級そうなダウンジャケット。随分と不可思議な取り合わせだった。


 ああ、そうか。ユーリは気づいた。

 緑のたぬきを買ったその人はイートインスペースに向かった。前は一度だって座らなかった場所だ。手慣れた様子でポットの再沸騰ボタンを押すと、暗い窓をじっと見つめていた。

 

 シフトが終わったがどうせ家に帰っても一人だ。どうせならここで誰かと年越しというのもいいだろう。ユーリも緑のたぬきを買うと、その人の隣に座った。

その人はちらとこっちを見ると、すぐに窓の外に視線を戻した。ユーリは窓越しにその人を眺めた。窓越しに視線が合った。


「君、手フェチだろう?」

「あ、いえ」


 こんなまじまじと眺めておいて今更違いますというのもおかしな話だ。ユーリは潔く謝ることにした。


「申し訳ありません。決して下心はありません。ただ、きれいな花を眺めるのと同じで、無償で眼福をさせていただこうという」


 コンビニの二席しかないイートインスペース、頭を下げれば、相手の肩にぶつかった。


「それを下心というのではないのかな」

「いえ、下心というほど大層なものはなく、年越しの五分くらいを誰かと一緒にいる雰囲気を味わい、少しばかり幸せな気分に浸りたいという儚い煩悩というか」


 その人は吹きだすと自嘲気味に言った。


「いいよ、別に。手くらいさ。ただ、珍しいなと思っただけ。前の俺の手ならきれいだっただろうけれど。今は手入れも何もしてない。荒れてるし、指も黒いしさ」

「いいえきれいです」

「なに、働く手だからとかいうヤツ?」


 その人は鼻で笑った。


「いいえ。生き抜いている手だからです」

 

 ハッ。その人はもう一度鼻で笑った。車が一台もいない暗い駐車場を見ると、黙って麺をすすりだした。もう何も喋らなかった。

 窓の冷気がいやに寒くてユーリは足首を揺らした。スツールに長靴があたって、かぽかぽいった。


 ユーリも蓋を開け、天ぷらをかじった。外は雪が降っている。窓ガラスに二人が並ぶ。ユーリが麺をすする音と、その人が麺をすする音が交互に響く。そのうち何度かに一回音が重なった。ユーリはおかしくなった。タイミングを合わせて麺をすすろうと頑張っていたら、麺をすする音が止まった。


「そういえば、こういう味だったね」

 

 その人はぽつりと言った。


「随分久しぶりな気がする」

 その人は笑った。

「はい」

 ユーリは嬉しくて足を揺らした。スツールに長靴があたって、ぽかぽかいった。


「俺はきれいかな?」

「はい。もともと美しい骨格に、一度筋肉がつき、さらに引き締まり、皺に入った黒ずみも以前とはまた別の味わい」

 

 その人は微妙な顔をした。


「あのさ、君一言多いって言われない?」

「よくわかりましたね。ユーリはいいことを言っているはずなのにそこはかとなく……」

「ストップ」

「はい。でも、本当ですよ」

 

 その人は笑った。仕方ないなと諦めるみたいに、だけど優しく笑った。ユーリの大好きな笑顔だった。

 ユーリは胸がぽわんとした。

 ぶわっ、と緑のしっぽが飛び出した。

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ノーカラー 雪野千夏 @hirakazu

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