第17話 雪解け星

「買い物?」


 わたしが鏡とにらめっこしていると、部屋を舞うホコリのようにサレアが視界でうろついた。


 年も明け三が日が終わった今日、わたしは人の出が少なくなるのを見計らって出かける準備をしている。家族連れは多いかもしれないけど、それ以外のキャピキャピとした人は前日に比べ少ないだろう。


 大晦日に積もった雪も雨で溶け、久しぶりに晴れた外は雪解け水を照明に煌々としていた。それを見れば、気分とまつ気が上向きになったっていいはず。髪も巻いて、リップも色つきのものを選ぶ。血色がいい肌はBBクリームを塗るだけにして、その代わり髪留めは明るい色にチャレンジしたりして、恥ずかしい気持ちとどうにでもなれという勢いが混ざり合うとまだまだ色が足りない! なんて再び手を加えたくなるけど、そこは我慢。


 あくまで自然に、背伸びはしない。わたしがメイクに付いて行くんじゃなくて、メイクがわたしに付いてくる。そういう気持ちでやれば絶対に失敗しない。後悔しないわたしで街を堂々と歩ける。


 誰の言葉だったか思い出す。・・・・・・誰が言ったんだろう。出展がない。じゃあわたしの言葉だ。


「それにしては気合い入ってるみたいだけど、くひひ。本当にそれだけ?」

「服も買うつもりだから、その・・・・・・分かるでしょ?」

「わかんなーい。なにー? 教えてー?」


 恥ずかしいから言わなかったのに。


 サレアは鏡とわたしを見比べながら意地悪そうに笑っている。というか、意地悪なんだろう。


「だ、だからっ、せっかくなんだし、かわいい状態で選びたいじゃん、服!」

「ざくろは今かわいいの?」

「え、どうだろう。どうかな」

「うーん。なんか老けて見える」

「ふけ・・・・・・っ」


 な、なんてことを・・・・・・! 


 もうちょっとオブラートに包んだ言い方とか・・・・・・しないか。悪魔だもんね。小悪魔メイクでも教えて貰おうか。血でも塗って終わりそうだった。


「ほらここ、クマできてるみたい」

「それはアイラインって言って・・・・・・! あ、でもたしかに、いつもより太いかも」

「細くできないの?」

「一回落とさないと難しそう・・・・・・」

「色加えようよ、グラデーション入れて」

「えー! そしたら目元だけ目立っちゃうよ」

「なら他のとこも塗ればいいよ。なんかないかなー」


 サレアがごそごそと棚の中を漁り始める。机に出ているものじゃダメらしい。


 でも、メイクの話になったらちょっとだけサレアも楽しそうに見える。なんだかんだで女の子なのかな。そう思うと目の前で揺れる尻尾がかわいく見えてくる。


「チークあるよ? えーっと、ロリポップピンクだって。でも封開いてないね」

「あー、それ色はいいんだけどラメが入ってるの知らなくて買っちゃったんだよね」

「ラメが入ってるとダメなの?」

「だってわたしって、堀が浅いというか、ペラペラな顔してるから、あんまり派手なのは使いたくないんだよね。一回ガッツリメイクしたこともあるんだけど、七五三みたいって笑われちゃって」

「ふーん」

「だからわたしはナチュラルメイクのほうがいいよって弓梨が」

「ゆみり?」

「あ」


 サレアが首を傾げてわたしを見つめている。


「あ、ううん。えっと、前の、彼女がね」

「彼女?」

「付き合ってたんだけど、最近別れたの。一年、結構長かったんだけど」


 ダメだったみたい。


 そう言ってしまうと、わたしの不甲斐なさが浮き彫りになってしまいそうで口には出せなかった。


 さっきまで上向きだった気分がどんどんと地に落ちていく。この部屋にはまだ弓梨のものがたくさん置いてある。わたしから別れ話を切り出せばこうはならなかったのかもしれないが、一方的に逃げられてしまうという最後は、わたしの中のわだかまりを消してはくれない。


 もう後悔や、悲しみはない。ただ、わたしは誰かと寄り添い続けるには強度が足りないのかもしれない。ポッキリと折れかけた心を見ると、そんな風に思ってしまう。


「わさわさ」

「わひゃあっ!?」


 なんて考えてたら、いきなり頬にくすぐったい感触が。


 見るとサレアがチークの付いたブラシでわたしの頬を撫でたようだった。


 曇天と星空。そんなものがわたしの頬で展開されている。


「な、なにするの!? そんな雑に付けて! どうせならもっと薄くしてくれたらまだよかったのに!」

「だーかーらー、あたしはざくろが困ってる顔を見るのが好きなの。ただそれだけ。隙を見せたのが悪いよ、くひひ」

「な、なんて悪魔的!」


 目の前に広がる宇宙を見てどうしようと眉をひそませる。どんどん不細工になっていく・・・・・・。やめよう。


「黒を塗りつぶせるのは黒だけだよ」

「絵の具に例えないでよ・・・・・・」

「同じようなものでしょ? ほら、塗りつぶしちゃえ塗りつぶしちゃえ」


 べったりべったり、色が追加されていく。さりげなく巻いていた毛先も、根元からぐりんぐりん、固定されていく。当然完全に巻けはしないんだけど、束が太くなってまるで気取っている人みたいになってしまう。本当に美人なら気取ってもそれがむしろ様になるんだろうけど、わたしがやってもアンバランスなだけでかえって滑稽だ。


「あーもう、後戻りできないじゃん!」


 ここまで来たら一度化粧を全部落とすか、このまま突っ走るかの二択だ。せっかく朝早く起きて準備をしたのに、また最初からとなると出かけるのは昼頃になってしまう。


 それだとさすがに人も多くゆっくり買い物もできない。


 黒だけだった目元にも、ラベンダーアイシャドウを追加して、半分やけくそで仕上げていく。鏡を見ると、うわあ、たしかにこういうメイクの人いるけども! と怖じ気づきながらも、街中ですれ違うたびにわたしもあんな風に・・・・・・と淡い憧れを抱いていたことも思い出す。


「ひい、眉毛がこんなに長く」


 延長戦がどんどん伸びていき、上瞼の曲線を追うように眉毛が作られていく。


 唇も薄ピンクから濃い目のピンクに変えて、額も少し出してみる。


 耳に金色のイヤリングを付けて、髪を耳にかける。 


 うわ、うわ。


 そこには大人っぽい、お姉さんっぽい、色っぽい、キレイな女性がいた。どうにもそれは、わたしらしい。ええ?


 鏡とにらめっこを始める。試合が動かないので、わたしが先に、柔らかな笑みを浮かべてみたりする。鏡のわたしが小首を傾げて、見上げるようにする。唇に隙間が僅かにできるくらいに口を開いて、物憂げな表情を作る。色気がある。自分の顔を触る。鏡のわたしの頬をつまむ。


 わたしはハッと思い出してクローゼットを開ける。


 そこには昔わたしが買った、ベージュのコートとブラウンニット、それから同じブラウンのフレアスカートが値札を付けたまま眠っていた。


 服屋で見つけて背伸びして一式買っちゃったんだけど、弓梨の好みではないなと思ってクローゼットに封印してしまったのだ。


 順序が逆になっちゃったけど、着るなら今しかない。ついでに靴下も黒に替えてから、全身鏡の前に立つ。


 そこにいたのは誰が求めたわけでもない、弓梨が好きと言ってくれた格好でもない。


 けど、わたしの好きなわたしだった。


「くひひ、ほら。買い物行くんでしょ? 早く早く」

「わ、わ! ちょっと待ってよ!」


 まだ心の準備もできていないのにサレアがわたしの背中を押す。


 玄関を出ると冷たい風が髪を凪ぐ。揺れるスカートにはためくコート。きっと揺れているであろうイヤリングに、さらけ出されたわたしの顔。


 足は進む。


 雪解け水が流れる道路を歩くと、まるで星が弾むようだった。

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