羽化前夜

miyoshi

 秋も深まり、制服のほかに指定のダッフルコートを羽織りたくなる季節になった。

校舎のそこかしこに舞い散る落ち葉は水分などほとんどなく、踏み歩けば小気味よい音を立る自然界の楽器のようだ。

掃除当番の地面をする箒の音とセッションしていると、いかにも良家の嫡男といった風体のメガネくんに見咎められた。

「こら、ニノミヤ! さぼるな!」

そのうえ、いったいどこから声を出すんだよと言いたくなるような大音声で怒鳴られた。

メガネくんは黙っていれば出来の良いビスクドールのような品の良さと静謐を持ち合わせているのだが、口を開けばどこにでもいるガキと変わらない。いや、定期考査で常に主席という成績を修めつつスポーツ万能なガキはどこにでもいないか。

眉間にしわを寄せたメガネ・ビスクドールが箒を片手に近づいてきた。

「あと少しで終わるんだからキビキビ動けよ。じいさんみたく枯葉と戯れてると凍死するぜ」

「わかってるよ。『集めても、集めても猶校舎の落ち葉、掃ききれぬ、ぢっと手を見る』って心境だけどな」

やや呆れたような口調で、石川啄木に謝れ、といいつつもメガネの奥の瞳は笑っている。

「大体、じっと手をみたところで皺しか見えないだろう。そんな暇があるなら働くべきだ」

お前こそ石川啄木に謝れ。そして手相のことを皺で片づけるなよ。

録音されたウェストミンスターの鐘の音が鳴り響いた。

くだらないやり取りをしているうちに掃除の時間が終わったようだ。

こちらとちがい真面目に働いていた者たちも掃除用具入れへと駆け出してゆく。

「なんだ。終わったのか。……バイトがあるんだろう。片しておいてやるよ」

感情線と知能線がひとつながりになった手のひらを向けるメガネくんに礼を言って箒を渡し、その足で昇降口へ向かう。

今から走れば一本早いバスに間に合うな。サンキュー! ビスクドール。


 自慢じゃないが足の速さには自信がある。

年度のはじめに行う体力テストでは学年で3本の指に入るレベルなのだ。

中学生の頃は学区内のマラソン大会で3年連続首位をキープしていたものだから、高校生になっても結果は同じだと思っていたのだが、そうは問屋が卸さなかった。

忘れもしない昨年度の体力テスト。

ふたを開けてみればクラスでトップ、学年で2番の順位。

自分よりも足の速い奴なんているのかと目を疑った。

そして気が付いた。高校は県内在住者であれば誰でも入学できるため、学区違いのやつが学年首位だったのだと。

ほとんどが小学校からの代わり映えしない顔ぶれのため、油断していた。

五月の連休を少し過ぎたころ、県外から越してこの高校に入学した男子生徒がいる、しかもそいつはスポーツ万能で運動部から引っ張りだこだと聞いた。

さらにその数週間後、中間考査の結果が開示されたころ。どうやら成績もトップクラスだとうわさに聞いた。

そして夏休みに入る少し前の期末考査結果が学年連絡用掲示板に貼りだされた。

黒山の人だかりにわざわざ進み入る趣味はないため、発表日から数日経過した昼休みに掲示板前へ行くことにした。

思った通り、薄暗い廊下には人っ子ひとり見当たらなかった。

学内夏期講習の案内、夏季休暇中の図書室開室日時スケジュール、全国読書感想文コンクールの募集要項、保健室だより……。

それらに埋もれるようにしてA4判の茶色くすすけた藁半紙が張り付けてある。

明らかにほかの書類よりも新しく作られたはずなのに古紙を使っているせいで古ぼけた情報のように見える。

『前期期末考査 成績優秀者一覧』にはいわゆる五教科の総合点トップテンの名前が連ねられていた。

結論をいうと、一覧の中に記されていたのはほとんどが知らない名前であった。このリストの中で顔と名前が一致する人間は自分を含めるとたったの3人だ。

自分の過去の在籍校は県内でも学力低下をささやかれている学区なので、まあ仕方ない。

それはさておき、主席は噂の俊足の彼であった。

顔は知らずとも名前と運動能力の高さは知っていただけに驚いた。

なんだこいつ、勉強もできるのか。スーパーマンか。

このときの僕は知らなかった。

このスーパーマンのような男と2年次に同窓となり、彼は外見も美しいと知り、天はメガネ・ビスクドールにブツを与えすぎなのではないかと疑うということを。


 昨年度のことを回想していたらちょうどバス停に到着した。

雨よけのついたベンチ付近には誰もいない、さびれた停車場だ。

ポケットに手を入れてリングに通した英単語カードをつかんだところで坂道を下ってこちらに向かっているヘッドライトが見えてきた。目的のバスだ。

時刻表のすぐそばで待機していると降車口は開かず、自分の目の前の乗車口だけが開いた。

あと数十分もすれば学生服の軍団でひしめき合うであろう車内は、シルバーパスを所持している高齢者が数人離れて腰かけているのみである。

一人掛けの座席に着席し、ぼんやりと窓の外を見る。

メガネくんなどには毎日同じ景色を見て飽きないのかと聞かれるが、もう半ば習慣化しているので飽きる飽きないの問題ではないのだ。

下り坂を過ぎてしばらくすると、とたんに街中の景色となる。

右手側の窓からは住宅街らしく瀟洒な造りのマンションやら古ぼけた団地やらが乱立している。

あんなところに花屋ができたのかと新しい店を発見したり、ネオンの文字が一部点灯しない美容室のサインポールを目で追ったりしているうちに駅前のバスターミナルについたようだ。

ともに乗車していた老人たちが降車してゆく。

ゆっくり、足元気を付けてくださいね。などと運転手の声掛けももはや日常の一部である。

全員が駅前で降車したあとは自分ひとりきりになる。いわゆる貸し切り状態である。

ふた駅ぶんの長者気分だ。

駅前広場から商店街へと続く道は季節ごとに装いが変わる。

 つい先日までは黒とオレンジを基調とする飾りつけやカボチャをくりぬいたランタン、シーツで作ったゴーストなんかで町は埋め尽くされていた。

道行く人々も派手さに違いはあるものの魔界の住人に扮した装いをしたり、お菓子を配り歩いたりとイベントを楽しんでいたものだ。

大都会のハロウィンと違って路上での飲酒や頓痴気な祭りが皆無のためかDJポリスとユニコーンが同一視されている。

それが今やすっかり赤と緑のクリスマス色である。

今週末あたりからショッピングモールではハッピーホリデーに向けておもちゃ売り場に駆け込む父親の姿が見られるだろう。今年は何のアニメが流行していたか。女児をターゲットにした戦隊ものも男児の心をくすぐる特撮ヒーローものも、シリーズが毎年のようにバージョンアップするので今年もきっとその類が売れ筋商品なのだろう。

流れゆく景色のなかできらきらと輝くモールや金色の折り紙で作った星の飾りつけが縁取った連絡用掲示板が視界に入ってきた。

地域の催し物や年末年始のごみ収集日の告知に紛れるようにして一枚のチラシが貼り付けられていた。

走りゆくバスの速度でどんどん小さくなるチラシの文字は、教会のクリスマス会のお知らせ、バザー、の文字を読み取るので精一杯だった。

教会といえば駅から徒歩5分ほどの建物があるが、あの場所のことなのだろうか。

外観は古い洋風の建物といったところだが、足を踏み入れたことがないので内装がどうなっているのかはわからない。

そもそもカトリックやプロテスタントの違いすらよくわかっていないのだ。

頭に歴史の教科書で見たルターの顔を思い浮かべているうちに降車駅に到着した。無意識のうちに停車ボタンを押していたのだろう。

定期券を見せつつ車体の前方から降りてゆく。

帰宅し、着替えてアルバイト先へゆく、というルーティンをこなしているうちに先ほどのチラシのことなど忘却の彼方へと追いやってしまった。




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