15話 「パミエルキ VS 人類最高戦力 その1」
アンシュラオンがブシル村で買い物をしていた頃。
森の中でその様子を覗き見ている者がいた。
「あーくんったら、あんなに緊張した顔をして…なんて可愛いのかしら。ふふふ…ふくくく。はぁはぁ…ガリガリガリガリ、ガリガリガリガリ」
そこにいたのは、当然ながら姉のパミエルキ。
よだれを垂らし、目を血走らせながら爪で岩を引っ掻いている。
岩は相当硬いにもかかわらず、プリンをすくうように簡単に抉られていく。
アンシュラオンが初めて他の人間と接触した時の反応は、今まで見たことがないものであり、それによって彼女の中でさらに弟への愛情が増したようだ。
「あの顔、もしかして本当に撒いたと思っているのかしら? そんな間抜けで甘いところも本当にキュートねぇ。あーくんの動きなんて全部お見通しなのにね。すーーー、くんくん。匂う。匂うわ。私の可愛いあーくんの匂い♪」
アンシュラオンは最大限の警戒をして森を移動していた。
これが戦闘特化のゼブラエスならば本当に撒けたかもしれないが、何でもできるパミエルキの隠密はSSSだ。たかだかAの弟とは比べ物にならない。
すぐさまアンシュラオンに追いついたのだが、必死に逃げている様子があまりに可愛くて陰から観察していたのだ。
どうやら匂いでも辿っているようだが、特段スキルにそのようなものはないので野生の本能なのだろうか。実に怖いものである。
だが、それ以前に彼女から逃れることはできない。
パミエルキの周囲には、三つの『大きな目玉』が浮かんでいた。そこにアンシュラオンの姿がしっかりと映し出されている。
魔王技、『
因子レベル8で使える術の一つで、マーキングした魂の情報を完全トレースする追跡監視用の術式である。
一般的に追跡用の術には因子レベル2の『
前者は単純に足跡や通った跡が見えたりするだけで、今どこにいるのかまではわからない。あくまで追跡用の術だ。
後者は相手の位置まで特定して監視するこが可能だが、事前に相手の身体の一部に術式でマーキングする必要がある。一度接触する必要があるし、相手が他人で手練れの場合は危険を伴うだろう。
一方の『追魂求逓』は『
これは一度条件が整ったら永遠に監視し続けることが可能だ。肉体ではなく魂そのものに刻み込まれるので、相手がそれ以上の力で打ち破るまで消えることはない。
「あーくんのドキドキが伝わるわぁ。魂もこんなに色合いが変わっちゃって…はぁはぁ、こんなふうにもなるんだね。お姉ちゃんの知らないあーくん、好き好き好き好き好き好き好き好き好き、だいすきぃ」
三眼に映し出されるのは、肉体のほかに精神の状態による感情の変化、魂の状態監視による成長度まで視ることができる。
アンシュラオンは監視されていることに気づかない。気づけるわけがない。よほどの実力差がない限り、術には術で対抗するしか方法がないのだ。
総合的な能力でも劣り、なおかつ術を教わっていないアンシュラオンが、彼女の呪縛から解き放たれるのは絶対に不可能だ。最初から勝ち目のない戦いなのである。
そして一番問題なのは、アンシュラオンが起こした姉からの逃亡劇によって、徐々に姉の雰囲気が変わっていくことだ。
「あーくんったら、私以外の女とあんなに楽しそうにしゃべって……はぁはぁ、私以外のおんな……おんな……おんなおんなおんなおんな! 女にぃいいいいいっっっ!!!!」
大切な弟が外に出て穢れてしまう。人間などという下等な生物の雌と触れ合うなんて絶対にありえない。許すわけにはいかない。
だって、ずっとずっと一緒にいるって決めたから。だからこんな場所に連れてきたのに、それが台無しになってしまう。
「あーくんは、私のもの。私が育てて、私だけのものにする。私だけを見て、私だけを愛するの。それ以外は駄目なんだからね」
正直、怖い。怖すぎる。性根の奥底から完全に病んでいる。
「あーくん、待っててね。今行くから。お姉ちゃんが迎えにいくからね」
パミエルキはゆっくりねっとりじっくりと歩を進め、ブシル村へと近づいていく。
彼女が通った道は、その凶悪な『粘着質の気質』によって生物が枯れていく。生命力に漲っていたはずの大樹も一瞬でしぼみ、葉を散らす。
災厄の魔人。歩く災害。死を運ぶ者とは、まさにこのことか。
そんな彼女の犠牲になるのは自然だけではない。
ちょうどその時、一人の男性が森の中の小屋に入って狩猟の準備をしようとしていた。
そう、アンシュラオンが『情報公開』で見たギョスト・ウーバーという中年男性だ。
ここは森に入ってまだ数キロ程度の場所で、出てくる魔獣は下位のものばかり。狩猟用の銃や弓矢でもあれば、十分狩りで生計を立てられる比較的安全な場所であった。
ギョストもそうした猟師の一人だ。人間不信ということもあって独りで狩りをしている。
今日もありふれた日々を送るために小屋にやってきたわけだが、外に出て森の様子が何か違うことを察し、何気なしに奥のほうを見る。
さすが猟師なだけあり、視力はかなり良い。一瞬だけ遠くに人影らしきものが見えた。
だが、それが何かを考える暇などはなかった。
ふらふら ばたん
ギョストは倒れ、そのまま二度と立ち上がることはなかった。なぜならば、もうそこには首が存在しなかったからだ。
「…なにこれ? ゴミ?」
パミエルキの手には、ギョストの首が握られていた。
どうやら無意識のうちに殺していたようである。
彼の表情は何も理解していない素の顔であった。だが、もう死んでいる。
「汚い」
心底不快だといわんばかりに、ぶんっと頭を岩に放り投げると、ぼちゃんという水っぽい音を残して粉々に砕け散った。
そこに罪悪感というものは存在しない。彼女にとってみれば虫を潰したにすぎないのだ。いや、虫ほどの価値もないと思っている。
「ふん、こんなくだらないものがまだ存在していたなんてね。べつに関わらないのならば放っておいてもよかったけど、私の大切な弟をたぶらかすなら、いっそのこと滅ぼしたほうが早いかしら? …いいえ、それではつまらないし、解決にはならないわね。もっとこう、あーくんが無駄なことをしなくなるようにはできないかしら」
大事なことはアンシュラオンが自分以外を見ないこと。他の人間に興味を抱かないことだ。
いろいろと思案していると、潰したギョストの頭が視界に入る。
そういえば、この男はアンシュラオンが『情報を視ていた』相手だ。
そこで思いつく。
「あーくんが関わった人間をすべて殺してあげるのもいいわね。そうだわ、そうしましょう。最初は怒るかもしれないけど、その分だけ私を思い出すもの。想ってくれるものね。そして、最後は私しかいないと悟るわ。この世界で私たちは二人だけってわかってくれるわ。くくく、ふふふ…はははははは! あははははははははっ!!」
アンシュラオンは本能的にすべてを理解している。
しかし、まだ実感がないだけだ。知らないだけだ。どうせすぐに気づく。彼は自分しか愛せないのだと知ることになる。
ならば、これはちょっとしたお遊び。二人にとっての遊戯にすぎない。
遊びならば、すぐにバレてしまうのはつまらない。ゆっくりと追い詰めて、あとから知ったほうが強い感情を引き出すことができるだろう。
それゆえにアンシュラオンが村を出たのを見届けてから、パミエルキは村に向かった。
最初に標的にするのは、さきほど話していた行商人の娘だ。
「あれはどうやって殺そうかしら。バラバラにして吊るす? 首だけ届けてあげる? それともじっくり煮込む? あー、少し興奮しちゃうわねぇ。ふふふ」
久々に人間を殺したことで、パミエルキの中の『魔人因子』が疼いていた。
『災厄の魔人』としてすべての人間を支配し、排除するための機能が徐々に目覚め始める。血に酔い、興奮し、恍惚としていく。
おそらく彼女がブシル村にたどり着けば、ものの数秒で全滅だ。
ロリコン妻だけは捕らえられてなぶられるかもしれないが、どんなに抵抗しても無駄。誰であっても対抗はできない。だからこそ陽禅公もアンシュラオンを犠牲にしてでもパミエルキの精神の安定を図っていたのだ。
それが解き放たれれば―――世界は終わる
アンシュラオンの行動は理解できるものだが、それがもたらす悲劇は予想を遥かに超えているのだ。
「そこの美しい人」
「…?」
「どうやら道に迷ってしまったようでして。少しお付き合い願えませんか?」
突然、パミエルキの前に一人の青年が姿を見せた。
黒髪の青年は中肉中背のスマートな体付きで、浅黒い肌にTシャツとジーパンというラフな格好をしている。
けっして超絶イケメンというわけではないが、その顔はとても爽やかかつ柔らかい印象を与えるので、まさに二十代半ばの生気に溢れた好青年といった様相である。
見ればしっかりと筋肉も付いているため、細マッチョ青年というべきか。
(いつからいたの? まあいいわ。こいつも殺そう)
興奮していたせいか、いつ現れたのか気づかなかったが、どうせ人間は皆殺しだ。
この世界には二人いればいいのであって、他は必要ない。
彼には災難だが、ここで出会った不運を呪ってもらうしかない。
パミエルキの右手が、問答無用で青年の首を狙う。
さきほどのギョストと同じく掴み取ろうとしているのだ。
「ふっ」
しかし青年は軽く笑うと、パミエルキの右手を左手で払い、懐に入り込む。
そこに強烈な右アッパー。腹をかち上げる。
「―――っ!」
思わぬ攻撃を受けて一瞬頭が真っ白になったところに、青年の追撃。
凄まじい速度で振り抜かれた蹴りが、パミエルキの顎に命中し―――吹っ飛ぶ
衝撃で木々を薙ぎ倒しながら後方に百メートルほど飛ばされる。
咄嗟に受身を取って体勢を整えて着地するも、顎にはしっかりと蹴られた跡が残っていた。
つつっと血が唇を伝う。どうやら口内が切れたらしい。
(なにこいつ? 傷を…つけた? 私に?)
アンシュラオンの全力の蹴りを受けても彼女は無傷だったのだ。何が起こったのか理解するのに刹那の時間がかかった。
だが、青年はすでに攻撃の間合いに入っていた。しかも爆発集気が終わっており、技の態勢だ。
(一瞬で間合いを詰めたうえに練気も速い! ちっ!)
反射的にパミエルキはガード。ここはもはや直感で動いたにすぎない。
その直後に技が発動。視界一面を拳が覆う。
パミエルキのガード越しに何百何千という拳が叩きつけられ、大地に押し付けて逃げ道を塞ぐ。
そのままどんどん後退させられ、あっという間にブシル村から二十キロメートル以上離されてしまう。凄まじい技の威力と圧力である。
覇王技、『
戦士因子レベル9で使うことができる打撃技の一つで、全身の戦気を操ってあらゆる角度、あらゆる体勢から拳を放つ技だ。
間断なく高速の拳撃が降り注ぐことで無数の残像を残すことから、千手観音を彷彿させるかもしれない。それだけ多くの拳を放つための類稀な体力と筋力、拳の強さが必要になる。
しかも、その一撃一撃は即死級。
パミエルキのガードをこじ開け、滅多打ちにする。
顔面も身体もかまわず殴り、その衝撃で大地が破壊。大きなクレーターが生まれた。
それによって至る所に打撲、骨折、裂傷等のダメージを負う。
「調子に…ノルナ」
パミエルキの目が、赤く光る。
次の瞬間、青年の背後に黒い闘人が生まれ、攻撃を仕掛ける。
青年はそれに気づき、技の向きを変えて上空に跳躍。
だが、闘人の攻撃のほうが一瞬早く―――ズバッ!
右足首を切断。
切断された足首は、黒い闘人が爆散すると同時に一緒に吹っ飛んだ。
片足でも難なく着地した青年は、自分の足を見て笑う。
「ははは、片足だと靴を買いづらいなぁ。一足は無駄になっちゃいますよね? まあでも、いい靴屋が見つからなくて困っていたところです。しばらくは裸足でもいいかもしれませんね」
なぜか笑顔なのが不気味である。
それとは対照的に、クレーターから脱出したパミエルキは不愉快そうに青年を睨みつける。
青年とは違い、すでにパミエルキの傷は治っていた。打撲に骨折、裂傷その他、あらゆるダメージを即座に回復させたのだ。
パミエルキにそなわっている『完全自己修復』というスキルの効果である。
「素晴らしい回復力ですね。羨ましいです。私の足も治してもらえませんか?」
「ふんっ、自分でなんとかしなさい。いきなり殴りかかるなんて、とんだ悪党ね」
「それは誤解です、美しい人よ。私はあなたに道を尋ねただけ。襲ってきたのはあなたのほうですよ。自己防衛にすぎません」
「ほんと、ふざけた顔で言ってくれるわね。気に入らないわ」
「けっこう気に入っているんですけどね、この顔。お気に召しませんでしたか?」
「ええ、気に入らないわね!!」
再びパミエルキが襲いかかり、青年が向かえ打つ。
互いの拳がぶつかり合い、周囲に激しい余波が及ぶ。
今度のパミエルキは戦闘モードだ。あんな無様なやられ方はしない。
(強い。私にダメージを与えるなんて、まだ人間にこんな強いやつが残っていたとはね。ゼブラエスより少し弱いくらいかしら? でも、それだけのことよ)
徐々にパミエルキの拳が圧力を増して押し込んでいく。
パミエルキは身長が185センチ以上はある長身だ。女性というハンデがありそうに見えるが、彼女を構成している肉体要素が常人とは違いすぎる。
まるで筋肉の塊。しなやかで強靭で頑強。どんなに硬い刃物でも彼女には通じない。
そこから放たれる拳は伸びが良く、速度もパワーも最上級のものとなる。ガチムチのゼブラエス相手でも打ち負けることはなかった。
青年のガードを打ち破り、腹に一発叩き込む。それで青年がよろけた。
その一瞬の隙に高速爆発集気を行い、技を発動。
ただの拳撃ではない。殴られた箇所が急速に膨張し、二十メートル大の『核爆発』が六回起きる。
「たかが闘人で傷つく脆弱な身体では、これには耐えられないでしょう! 死になさい!」
『
戦士因子9で使える技で、強烈な打撃とともに防御無視の大きな爆発を生み出す技だ。一発一発に込められたエネルギーは原爆にも匹敵する威力であり、撃滅級魔獣でも耐えることは難しい。
さきほど青年が因子レベル9の技を使ったので、まさにお返しでこの技を使ったのだ。
パミエルキが言ったように、闘人での攻撃とは威力そのものが違う。木っ端微塵、存在すら残らないだろう。
だから、大地ごと青年を吹き飛ば―――さない
青年の身体は傷つき、胸や腹に火傷を負っていても、いまだ五体を保っている。
「耐えた!? これは―――【剛気】!」
青年の身体を覆っていた気質は、戦気を超えて『剛気』に至っていた。
戦気を単純に硬質化させる『戦硬気』とは違い、戦気自体を昇華して、より強靭にさせた気質である。
文字通り、剛気は戦気よりも圧倒的に硬いため、パミエルキの攻撃を防御することも可能だ。
「さすがですね。しかし、私も負けられません」
青年が少し後ろに下がった瞬間―――右足首が生えて、攻撃のタイミングが変化
今度は真っ直ぐ放たれた拳がパミエルキの胸に激突。
剛気をまとった拳は今まで以上に破壊力があり、パミエルキの胸が抉られる。
ただし武人の女性の胸は、戦闘中は肉体操作によって筋肉に変化させることができるため、分厚い壁で心臓を守ることが可能だ。
それによって致命傷は避けられたが、その隙に青年は一度離れて間合いを取る。
すでに彼の足は元通り。身体のダメージも回復しつつある。
術で回復しているわけでも命気を使っているわけでもない。練気で肉体を活性化させて強制的に復元しているのだ。これだけを見ても相当の使い手である。
(なるほど。いつでも回復できたわけか。かなり戦い慣れているわね)
足が無いまま戦ったのは、パミエルキの油断を誘うためだ。突如変化されれば、いくら彼女でもすぐには対応できない。
それ以前にパミエルキにダメージを与えられる者など、この世にいったい何人いるだろうか。あのアンシュラオンすらまともに戦えないのである。
つまり目の前の青年は【アンシュラオンより強い】。
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