9話 「初めての遭遇」


 アンシュラオンは、まず最初にひたすら火怨山から遠ざかった。


 当然、姉に見つからないためである。あの姉に距離など関係ない。下手をしたら次元すら超えそうだ。


 今はできなくても、そのうちできるようになっている可能性は否定できない。なにせ、あの姉だからだ。


 一週間かけて静かに移動した結果、距離的には二千キロくらいは移動しただろうか。北海道から九州まで直線で通っていけば、それくらいの距離になる。


 徒歩かつ、姉に見つからないように隠密行動をしながら移動し、さらに魔獣を排除しながら来たので、いくらアンシュラオンでもこれくらいが限界であった。


 このあたりは完全な密林であり、道らしい道は存在しない。そのおかげで隠れられたし、食料や水にも困らなかった。


 もともと武人であるアンシュラオンは二週間程度食べなくても大丈夫だ。下手をすれば一年くらいは大丈夫だろう。



(子供の頃に来たときは飛竜に乗ってきたからな、このあたりのことはよく知らないんだよね)



 どうやらこの周辺は、火怨山を中心に多くの山が連なっている巨大な山脈地帯のようである。


 火怨山に連れられてきた時は空を飛んで山の中腹まで来たので、地理については何も知らない状態である。


 しかもパミエルキに抱きついていたので周りはあまり見ていない。当時のアンシュラオンは姉にしか興味がなかったのである。


 本当はここに来ることも修行の一つなのだが、まだ幼いアンシュラオンのことを心配したパミエルキが、ごねたのである。


 竜を捕らえて手懐け(支配し)、乗り物にして堂々と規則を破って入り込んだのだ。


 彼女の才能によって不問とされたが、あらゆるものより弟を優先する姿勢は、実に恐ろしい。



(この世界だと、たしか人間は飛べなかったよな? 飛行機はなかったはずだ)



 聞いた話でしかないが、この世界に飛行機は存在しないようだ。


 師匠いわく、かつてはそういう文明もあったが、人間の争いが激化したため女神が規制を施し、一定以上の揚力を受けられないようになったという。


 それゆえに空を飛べるのは自然の生物に限定される。その意味では不便だが、姉が飛べないというのはありがたいことである。


 そして、いつまでも姉に怯えてはいられない。ここから自分の人生を始めなければいけない。そうすべきである。


 では、新しい人生を送るにあたって何をすべきか。


 そう、最初にしなければならないことは、たった一つだ!



「まず人間が見たい! できれば、女の人を!」



 実のところ、パミエルキしか女性を見たことがない。


 幼い頃より「女は自分だけ。あーくんは私と結婚すればいい。するしかない」と言い張っていたので、他の女性に会わせてもらえなかった。


 自分の家庭事情も不明である。産んでくれた母はいるはずなのだが、その前後の記憶が曖昧なのだ。覚えているのは、自分を見つめ、抱いてくれた姉の姿である。


 そのときは姉が天使に見えた。「あーくん、あーくん、私の宝物」とか言っていた気がする。あの頃が懐かしい。


 まさか人造人間やらホムンクルスという落ちはないと思いたい。データにも、ちゃんと人間って出ているし。そこは信じさせてほしい。



(まあ、べつに人間じゃなくてもいいけどね。こだわりはないし)



 それより自分の目的のほうが大切である。



「もし本当に女性がいなかったらヤバイな。いや、女神様がいたんだから、いるはずだ! 師匠やゼブ兄だって、いるって言っていたしね!!」



 そんな当たり前のことすら疑念に思うほど、姉の呪縛は強く、深い。


 が、やはり実際に見ないと不安なので、まずはセオリー通りに街を探そうと決意し、移動再開。



 しばらく進むと、目の前に『青い狼』を発見。



 身体中に雷が帯電しているように光っている、とても美しい魔獣だった。


 体長はおよそ六メートルといった大型の狼である。



(狼か。火怨山の中腹ではあまり見ないタイプだな。ふむ、鳴かれると目立つな。殺しておくか)



 そんな単純な理由で素早く狼の背後に移動すると、貫手ぬきてを繰り出す。


 覇王技、羅刹らせつ


 手に鋭尖の戦気をまとわせ、貫手で相手の肉体を抉る技である。非常に速度が早い技であり、初速では最速ともいわれている。


 その羅刹で心臓を抉り取り、狼がこちらに視線を向ける前に首も撥ね飛ばして排除終了。まさに刹那の出来事であった。



「弱いな。山から遠ざかると魔獣の質も下がるのかな?」



 火怨山では第一級の撃滅級ばかりいたので感覚がおかしくなっているが、この魔獣は第三級の討滅級魔獣と呼ばれる凶悪な存在であり、おおよそ普通の武人では相手にできない怖ろしい魔獣だ。


 それを一瞬で殺す。


 技の冴えも凄まじいが、何よりも殺す際にまったく躊躇がなかった。


 アンシュラオン自身は気づいていないが、長年の生死をかけた修行や魔獣との死闘によって完全に殺戮マシーンになっていたのだ。



「青くて綺麗な心臓だな。取っておこう」



 抉った心臓はもらうことにした。


 すべてのしゅがそうではないが、魔獣の心臓はなぜか死ぬと結晶化することが多い。一説には死んだ時に力を集め、同属に力を残したり大地に還元したりするためといわれているが、実際のところは不明である。


 火怨山では心臓を集めるメリットはなかったので、すべてそのまま捨てていたものの今回だけはなぜか目に付いた。


 それは本当に彼の気まぐれであった。理由はない。


 しかし、その心臓がのちに彼にとって極めて重要なものになるとは夢にも思わなかっただろう。



 その後も魔獣を排除しつつ移動を続け、さらに三日ほど南下していくと、徐々に森が切り開かれていき、整備があまりされていないが最低限の道らしきものが見えるようになった。



「これは期待できる!」



 興奮に顔を赤らませながら歩いていくと、ようやく集落らしきものが見えてきた。



「やった、村だ!! あそこなら人がたくさん―――って、村?」



 そこで、あることに気がつく。


 こんな当たり前のことを、どうして忘れていたのか。


 その事実とは―――



「オレ、この世界のことを何も知らない。人も文化も言葉さえも…何もかもだ」



 生まれてからずっと姉に管理され、外の世界を知らないで生きてきた。


 今にして思えば、あれは【軟禁】ではなかっただろうか?


 あの頃のアンシュラオンは姉という存在に気を奪われ、何も考えていなかった。


 幼児だったので知能や思考力もだいぶ低下していたし、家には庭もあり、姉と一緒に遊んだりもしていたが、ただそれだけ。


 他の家族はもちろん、使用人もいないしペットもいない。せいぜいあったものといえば植物くらいで、知的生物として存在するのは姉と自分のみという状況。


 必要なものは全部姉が用意してくれた。今でこそアンシュラオンが世話をしているが、それは甘えであって、そもそも姉は家事や炊事だって何でもできるスーパーウーマンである。


 幼いアンシュラオンは、「この子がオレの姉として成長していくんだなぁ」と、美しい容姿にうっとりとして、日々成長していくのを楽しみにしていたくらいだ。


 どんどん大きくなる胸。それに挟まれ、恍惚とする自分。


 快楽と怠惰の中で、ただでさえ少ない思考力が奪われていく。


 そして、すべての疑問は意識の底に消えていった。



 馬鹿である。愚かである。



 自分でもそう思うが、今考えてもあれは仕方なかった。


 こんな可愛い子とイチャラブできると思えば、それはもうウハウハになるはずだ。その時はまだ本性を知らなかったので、どうしようもないことだ。


 本もあったので退屈はしなかった。それも今思えば戦闘の本だった気がする。姉の頭の中には相手を滅することしかないのだろうか。


 おかげで戦いの知識に関しては多少ながら理解したわけだが、文化的な要素はいっさいわからない。言語すらどうなっているのかも知らない。


 会話に関しては師匠やゼブラエスとも普通に話せていたので、そのあたりはまったく考えたことがなかったのだ。



「あれ? 相当危なくないか、これ?」



 未知の文明と初めて接触するようなものだ。何も知らない状況で接触するなど、そんな危険なことはない。


 ジェスチャーの一つでさえ文化が違えば意味も異なる。まず第一に、このあたりの人間と意思疎通できるのかも不安だ。実際ここはどこだ状態であるし。



「少し様子を見るか? 誰かが通るのを待って話しかけてみるとか。いや、相手が危険な存在だったら困るしな…」



 まずは身の安全を図りたいものである。姉が最強だと思い込んでいるが、本当にそうかはわからない。


 ゼブラエスだって強いが、あれが世間の常識という可能性もある。師匠が覇王だとは聞いているが、そもそもその情報は本当だろうか。


 「本当は自称覇王だったんだよぉ、べろべろばー」とか言い出しても、人を食ったような性格のあの老人ならば十分ありえる話だ。



「相手の強さがわかればなぁ……って、あるじゃないか! 『情報公開』が! それで最初に調べればいいんだ」



 普段あまり使わない能力なのですっかり忘れていたが、とても便利なスキルを持っていることに気がつく。



「今までで一番やばかったのは、姉ちゃん。次に師匠、ゼブ兄の順。それ以外の魔獣は、あの三人と比べれば可愛いもんだったな」



 もっとも身の危険を感じるのがもっとも身近な人物である、というのは不幸な話だ。


 火怨山の魔獣も陽禅公やゼブラエスと比べれば、ペットショップの子犬にしか見えないレベルである。


 ただ、今は本当に独りなので慎重に行動したほうがよいだろう。これからはちゃんと調べる癖をつけようと思う。



「方針は決まった。隠れながら最初に見たやつを調べる。後のことは、それからまた考えればいい」



 それから二十分ほど周囲の森に身を隠し、誰かが通り過ぎるのを待つ。


 そうすると、一人の男が歩いてきた。


 普通にリュックを背負った男で、これから森に行くようである。ちょうどよいので、その男をターゲットにする。



(情報公開の射程は、視界に入る距離なら全部だよな。たしか)



 条件はよくわからないが視界に入れば使えるはずだ。


 そして、発動。



―――――――――――――――――――――――

名前 :ギョスト・ウーバー


レベル:3/20

HP :50/50

BP :0/0


統率:F   体力: F

知力:F   精神: F

魔力:F   攻撃: F

魅力:F   防御: F

工作:F   命中: F

隠密:E   回避: F


【覚醒値】

戦士:0/0 剣士:0/0 術士:0/0


☆総合:評価外


異名:孤独な猟師

種族:人間

属性:

異能:人間不信

―――――――――――――――――――――――



「……え…と。ん? んん?」



 アンシュラオンは表示されたデータを見つめる。それはもう、何度も見る。


 が、何度見ても結果は変わらない。ならば、これが正確な情報なのだろう。


 そうしている間にギョスト・ウーバーなる人物は、ずかずかと森の中に入っていってしまった。こちらの気配にはまるで気づく様子はない。


 しばらく考え、この結論に行き着く。




「あれはまさか……」





―――「【一般人】……なのか」





 ただの人である。


 それ以外、もう何も言いようがない。しかも何一つ秀でたところがないであろう成人男性である。データの空欄っぷりが酷い。



「つーか、人間不信かよ! いきなり荒んでやがる!」



 と、これだけでは参考にならないので、またしばらく様子をうかがってみた。その後、四人程度の人間が通ったが全部同じような結果であった。


 数値は、ほぼFである。


 Fが最低なのは知っていたが、こんなに並ぶのは初めて見た気がする。そこらの魔獣の子供でさえ、Fなんて数値はあまり見たことがない。


 まあ、自分の統率もFなので他人のことは言えないのだが。



「Sに見慣れたせいかなぁ。姉ちゃんなんて子供の頃からSしかなかったし。ひとまず、このあたりの人間のレベルはかなり低いらしいな。うんまあ、何があっても大丈夫だろう。SSSの姉ちゃんからでも逃げられるんだ。なんとかなるさ」



 アンシュラオンは覚悟を決める。


 こんなところで、びびってはいられないのである。


 勇気を持って集落に歩を進めた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る