6話 「免許皆伝、姉からの逃走」


 それから五年後。



「やったーーーーーー!! 終わったぁあああ!!」



 この日、ようやく少年は免許皆伝になった。長くつらい日々の終焉である。


 思えば大変な五年間だった。姉の相手はもちろん、修行そのものが厳しくなっていったのだ。


 撃滅級魔獣退治などは当たり前で、場合によっては戦気せんきすら使わないで倒せやら無理難題を吹っかけられた。


 それがどれだけ恐ろしいことか、武人の常識を知らない者にはわからないだろう。戦術核を生身で受け止めろ、と言われたほうが、まだ簡単にさえ思える。


 そして、最後の試練。


 免許皆伝の証として与えられたものが、『野良神機しんき』との戦い。


 野良神機とは『適合者』を失って徘徊している神機のことで、放っておくと強大な力を勝手に使って迷惑をかけてしまい、神話や伝承の元ネタになったりする。


 所属する界域によって強さはまちまちだが、それを生身で倒すというのが最後の試練だ。



(地獄だった。三ヶ月かかった…)



 唯一の情けとして、一年以内に倒せばよいという慈悲がかけられているので、毎日少しずつ相手の体力を削って、今日なんとか折伏しゃくぶくさせたのだ。


 その間、何度死にそうになったか。思い出すだけで涙が出てくる。



「アーシュ、時間かかりすぎ」



 そんな厳しい言葉が隣から発せられても、アンシュラオンは気にしない。


 この化け物(姉)と比べられても悔しくもなんともない。まだ自分が人間であったのだと教えてくれるので、むしろありがたいくらいだ。



(あんなのを一時間で倒すやつなんて、人間じゃない!!)



 パミエルキは、野良神機と出会ったその日に倒してしまった。


 彼女が対峙したのは竜界出身の巨大な機体。全長六百メートルはありそうな巨体をパミエルキは圧倒したのだ。アンシュラオンにも理解できないような謎の攻撃で動きを封じ、スキルを封じ、あとはボコるだけであった。


 その光景を見て、「なんだ、たいしたことないじゃん」と思ってしまった自分が恥ずかしい。切腹したいほどだ。


 その愚かさに気が付いたのは、アンシュラオンが獣界出身の神機と戦った時。「姉ちゃんのより遥かに小さいから、たぶん弱いよね」とか思ったのだが、初日はフルボッコにされた。


 そんなの当たり前である。相手はロボットなのである。古代文明が造ったであろう巨人を、生身でどうこうするほうがおかしい。


 「ちくしょう! なんだ、これ! 反則じゃねえか!」などとぼやきながら、改めて姉の恐ろしさを知ったのである。やはり人間をやめてしまわれたようである。


 ともあれ、終わったのだ。これで免許皆伝だ。


 ということは―――



「師匠、オレって自由だよね!!」


「うん、そうだねぇ」


「やった!! ここから離れられる!!! オレは自由だぁああああああああああ! いやっふうううううううううううう!!」


「離れる? 何から? どこから? 誰から?」


「うっ! しまった! 声が出た!!」



 不思議かつ不機嫌そうな声が、隣から聴こえてきた。


 当然、声の主は姉のパミエルキである。



「まさか、独りでどこかに行くつもりじゃないでしょうね」


「ううっ、そ、それが悪いのかよ! オレだって独り立ちしたいんだ!」


「立つのはここだけでいいのよ!」


「あうっ! そこはらめぇえ! って、いいじゃないか! オレだって世界を見てみたいよ!」


「駄目よ」


「駄目!? 即答すぎる!」


「外の世界なんてないの。アーシュは、いつだってお姉ちゃんと一緒よ」


「嫌だ!!! オレは姉ちゃんとは一緒にいない!!」


「………」


「………」


「………」


「あの、姉ちゃん…?」



 姉が無言だ。だからこそ怖い。


 そして、ビキリ、と空気が割れたような音がした。ガラスに映った景色が割れるように空間に亀裂が入ったのだ。



「ひっ!!」


「あーくん、あーくん? ねえ、あーくん。あーくんは、お姉ちゃんと一緒にいるよね? ずっと一緒だもんね。そうよ。あーくんがお姉ちゃんと一緒じゃないなんて、おかしいものね。そんな世界だったら、いらないものね」



 バキバキバキッ、とさらに割れていく。


 何か嫌な予感がする。



(なんだこれ!? どんな現象だ!? どこまでいってんだ、この人は!)



 その割れた空間が未来の自分の姿のように思え、アンシュラオンは凍りつく。いっそ本当に凍り付いてくれれば、どれだけ楽になれたか。



「いいわ、あーくん。本気で私のものにしてあげる。もうずっと一緒。離れられないくらい毎日繋がって、誰もいない場所でずっと繋がって…」


「姉ちゃん、落ち着いて!!!」


「おい、パミエルキ。それくらいにしておけ。ブラコンもそこまでいくと病気だぞ」


「さすがゼブ兄、オレの救世主! もっと言ってやってよ!」


「病気? 病気ですって? あんたには関係ないでしょう。ねえ、あーくん? あーくんだって、お姉ちゃんとずっと一緒がいいって言ってたもんねぇ。お姉ちゃん、大好き、ずっと一緒だって…さあああああああああああああああああああ!!!」



 パミエルキの周囲に禍々しいオーラが展開される。


 それは戦気ではない。


 それよりも、もっともっと危ないものだ。



「ゼブ兄、何あれ!?」


「まずい…。あれはまずい」



 あのゼブラエスが汗を掻いている。


 天竜にすら笑顔で挑むあの男が、びびっている。



「ゼブ兄なら、なんとかなるでしょう!? ねえっ!」


「…無理だ」


「無理!? なんでさ!」


「あれは駄目なんだ。あれをやられるとオレもまずい。こうなったら言葉で説得するしかない」


「そんな!? あなたから暴力を奪ったら何が残るの!?」


「どんな評価だ! …ま、まずはアプローチしてみよう」



 ゼブラエスが、猛獣に近づくようにおそるおそる近寄る。



「な、なあ、アンシュラオンだって、もう一人前の男だ。自由を与えてやってもいいと思うのだが…」


「駄目よ」


「…そう…か。駄目…か。アンシュラオン、駄目らしい」


「いきなり負けてどうするのさ!! 正義が悪に負けちゃだめええ!」


「そ、そうだな。なあ、こいつにはこいつの自由ってやつがな…」


「そうそう、人権があるんだよ」


「そんなものないわよ」


「ない…らしいぞ」


「おかしいよ!! 言いなりになっちゃ駄目よ!!」


「この子は私のものよ!! 所有物なの! だから、どうするかも私の自由なの!!」



(えーーーー!? 言いきった!?)



 姉の恐るべき発言に、弟は驚愕を隠せない。


 姉の家畜として生きてきたつもりだが、当人にもその自覚があったとは! はっきりと所有物と言うところが、さらに怖い。



「ゼブ兄、がんばって! ここが踏ん張り時だよ!」


「それはあまりにも…哀れではないか? その、家畜にも感情というものがあるのだ」



(オレって、家畜扱いかよ!!)



 なんだか、寂しい。



「あーー、うるさい! うるさい! うるさい!!!! ゼブラエス―――潰すわよ!!」


「…だ、そうだ。アンシュラオン、諦めろ」


「いつもの脳筋はどうしたんだよ! あらがおうよ! ファイトだよ! ブレイブだよ!」


「勝てる気がしない…」


「そんな馬鹿な…」



(そういやゼブ兄の能力って、今はどんなんだっけ?)



 アンシュラオンが、【能力】を使用。



―――――――――――――――――――――――

名前 :ゼブラエス


レベル:200/255

HP :78000/78000

BP :7200/7200


統率:SS   体力: SSS

知力:C    精神: SSS

魔力:SSS  攻撃: SSS

魅力:SSS  防御: SSS

工作:C    命中: SSS

隠密:A    回避: S


【覚醒値】

戦士:10/10 剣士:0/0 術士:0/0


☆総合:第一階級 神狼級 戦士


異名:空天の覇者

種族:人間

属性:光、火、炎、臨、雷、帯、界、空、天、王

異能:真の天才、一時飛行跳躍、跳躍時無敵、死闘鍛錬最大強化、超強化復活、物理無効、銃無効、術耐性、即死無効、毒無効、全種精神耐性、自己修復、自動充填、一騎当万

―――――――――――――――――――――――



(つえええええええ!! 化け物かよ! でも、姉ちゃんには負けるかーーー!)



 パミエルキには劣るが、間違いなく世界最強レベルの武人に違いない。


 現段階で師匠ともほぼ互角以上に戦えるのだから、その強さは推して知るべしである。


 だが、釈然としないこともある。



(姉ちゃんの知力ってSSSなのに、どうしてこんなに頭が悪いんだ! 倫理観とかは反映されないのか!?)



 弟に対する執着心が異常である。


 普通それだけ頭が良ければ、もっと合理的な考えができるはずなのに。これはあれだろうか。頭が良いけど頭がおかしい、というやつなのだろうか。



「話、話だけでも…お願いだよ、姉ちゃん!」


「…何かやりたいことでもあるの? 私より大切な何かが? そんなもの、ないと思うけどねぇ」



 少しは落ち着いたように見せつつ、まったく怒りが収まっていない姉が弟に問う。


 青筋を隠さないから恐ろしい。



「うん、やりたいことは、もう決まっているんだ」


「うんうん。好きにすればいいと思うよ。君はもう自由なんだからさ。この試練に耐えた君には、その権利があるからねぇ」


「師匠…! ありがとうございます! やっぱりハゲは違うなぁ!」


「わし、師匠よ? それで何がしたいのかな?」



 さすが師匠。ハゲ呼ばわりしてしまったが、姉とは人間としての器が違う。


 人間の偉大さは強さではなく、心の広さなのだと思い知る瞬間である。


 だから、遠慮なく申し出る。


 後世の口承に残る、あの【迷言】が。






「はい、これからは、【従順な女の子たち】と一緒に、好きなだけイチャラブ生活を送りたいと思います!!!」






―――バリンッ




 何かが割れた。間違いない。目の前の空間が破壊されたのだ。


 それをやった人物など、すぐに特定できる。



「アーシュぅうううううううううううううううううううううウウウウうウウウウううウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!!!」


「ひぃーーーーーーーーー!! ぐえっ!!」



 逃げようとしたアンシュラオンを禍々しい力が引き寄せる。もがいても、あがいても、どうしようもできない。



「なんだこれ!?」


「それが災厄障壁よ。あんたじゃ、どうやっても抜けられないわ」


「げっ、竜神機を倒したやつか! 反則だ!!」


「ふんっ、それより―――」



 パミエルキがアンシュラオンの胸倉を掴み、強引に自分の胸に押しつける。


 「や、柔らかい!」とか思ってしまう自分が恥ずかしい。切腹したい。



「いつも言っているでしょう。この世には、女はお姉ちゃんしかいないのよ。外の世界なんて、ないの。だからずっとお姉ちゃんといればいいのよ」


「嘘だ!! オレは知っている! 外には、女がいっぱいいるって!」


「…誰に聞いたの? 嘘に決まっているじゃない。ねえ、師匠、ゼブラエス? 女は私一人よね?」



 そもそもアンシュラオンたちの母親がいる以上、嘘に決まっている。


 が、目がまったく笑っていない。逆らえば死ぬ。



「わしは…知らんのぉ。ジジイじゃからな。ハゲじゃし」


「そう…だな。パミエルキがそう言うなら、そうかもしれん」


「ゼブ兄! そりゃないよ! 外にはもっと従順な女性がいるって教えてくれたじゃないか!!」


「馬鹿! こっちを巻き込むな!」


「師匠だって、外には何十億も女がいるって言ってたよ!」


「わし、師匠だよね? 師匠、殺す気?」


「こうなったら、みんな巻き添えにしてやる!!」




「オレは、オレはぁあああ!! 【奴隷】になんて、なってたまるかぁああああああああ――――――――――!!」




 その瞬間、アンシュラオンが光り輝いた。


 同時に、災厄障壁をすり抜ける。


 それにはパミエルキも驚愕。



「なっ、どうやって! 竜神機でも抜けられないのに!」


「姉ちゃんには言うもんか!」


「待ちなさい! お姉ちゃんと一緒にいなさい!」


「絶対に断る!」


「アーシュぅううううううううううううううう! 止まれ!」


「ぐあっ!! 本気で撃ってきた!?」



 背後から、大きな炎の塊がマシンガンのように降り注ぐ。


 火の最上位属性を使った臨気りんき弾だ。当たった地面が爆発し、マグマのように融解してしまっている。


 だが、それを水の最上位属性である命気めいきで障壁を張り、なんとか攻撃を防ぐ。


 一応、これでも「あの姉」の弟である。これくらいのことはできる。



「ちっ! 威力を上げるわ! 最上位属性限界突破!」



 臨気が、もはや光のようなものに変質していく。


 それだけで周囲の大気が震え、ビリビリとアンシュラオンの肌が痛むほどだ。



「ちょっ、なにそれ!? そんなの知らない!!」


「これなら命気でも防げないわよ。丸焦げにしても魔王技で修復すればいいものねぇえええ!」


「やめてぇえええ!! 無理だから! これ以上は無理だから! それが弟に対する発言かよ!」


「じゃあ、止まりなさい!!」




「いやだぁあああああああああああああああ!」




 少年は脱走するように逃げ出す。


 崖から飛び降り、眼下に広がる大きな森の中に逃げ込み、熟練したゲリラ兵のように気配や痕跡を消しながら消えていった。


 忍者顔負けの逃げっぷりである。



「逃げ足だけは速いんだから!」



 パミエルキはそう言うが、逃げる力を養ったのは姉当人である。


 そもそもまったく脱走する必要性もなく、堂々と自由になれるはずだったのだ。追い詰めた姉が悪い。



「こうなったら、全力で―――」


「ここいら一帯が吹き飛ぶからやめてくれ。火怨山が噴火するぞ」


「ゼブラエス、邪魔するんじゃないわよ! どうなろうとかまわないわ!」


「かなりの距離まで被害が出る。遠く離れた人里にだってな」


「それがどうしたの!」


「べつにいいじゃないか。少し離れるくらいだろうに」


「ふざけるんじゃないわよ。あの子はね、あたしにとって唯一の男なの。身体も、因子も、心も、魂も―――精子すらも! 私の、もの、なの!!! 諦めてたまるものか!!」



 パミエルキはアンシュラオンを追っていく。


 ゼブラエスも陽禅公も、それを眺めることしかできない。



「やはりこうなりましたね」


「そうだねぇ。そりゃ、そうなるよねぇ」


「数時間後には戻ってくることになりそうです。アンシュラオンも哀れなことです」


「それはどうだろう。案外、面白いことになるかもよ」


「師匠は可能性があると? パミエルキ相手に逃げられるとは思いませんが…」


「アンシュラオンは特別な子だ。当人は、その本当の意味を理解していないようだけどねぇ。闇の女神様と出会える人間なんて、そうそういない。そんなの【宿命の螺旋】に囚われた人間だけだ。それこそ時代を変えてしまうような、ね」


「アンシュラオンが…女神と…」


「まっ、君やパミエルキも特別だ。さて、わしはちょっと行くけど、君はどうする?」


「お供しますよ。どうせもう暇ですから」


「そうだね。もう全員、自由だからねぇ」



(さて、【後継者】は誰にしようかなぁ。パミちゃんは受けないだろうし、ゼブラエスは…つまらないからなぁ。だったら【彼】のほうが面白いかもねぇ)



 陽禅公は、アンシュラオンが消えた方角を見つめる。


 この世でもっとも恐ろしい女に守られながら愛玩奴隷となって生きるか、または混沌とした世界の不条理に呑まれながらも困難の中に自由を見つけるか。


 どちらが幸せかは、まだわからない。


 どうせ、どちらも地獄。


 どう転んでも、アンシュラオンに普通の人生などありえない。


 ここで修行した者が、一般人と同じ生き方などできるはずがないのだ。


 そのうえで彼は自由を選んだ。


 奴隷にはならない自分だけの生き方を。


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