第15話:潮時

「もうそろそろいいのではないかしら、嘉一」


 石長女神からそう言われて、嘉一は返事に困ってしまった。

 最初に『姥ヶ火』が人体発火をさせてから三カ月が経っていた。

 自殺するまで虐められた子の遺族にとっては当然だが、虐め殺した連中にとっても、それを隠蔽しようとしたり金儲けに利用しようとしたりしたマスゴミ達にとっても、激動の三カ月だっただろう。


「そうですね、『姥ヶ火』はまだ納得できないでしょうが、僕の調べた範囲では、事件当時に責任者だったマスゴミ連中も、虐めた奴らも、協力していた教師達も、隠蔽に動いた新聞社の奴らも、全員焼き殺されたようです。

 後で調べて生き残っている奴がいたら、付喪神を使って追い込みをかけてくださると約束してくださるのなら、『姥ヶ火』が輪廻転生に加われるように、地獄に落とす協力させていただきます」


「随分と厳しい条件を付けてくれるのね、嘉一。

 嘉一のそう言う所が大好きよ」


「では、早速行こうか、嘉一」


 虚空蔵が声をかけてきたが、今回は多門と呼ばれる仏も一緒だった。

 多門は無言ではあったが、決意に満ちた表情をしていた。

 虚空蔵と多門に連れられた嘉一は、一瞬で東京に移動していた。

 常世にいる神仏の力を使えば、現世のどこにでも入り口が作れるのだ。

 そして『姥ヶ火』に協力している付喪神のお陰で、今どこに『姥ヶ火』がいるのかが分かっていたのだ。


 勝負は一瞬でついた。

 多門と呼ばれる仏が三叉戟で『姥ヶ火』を刺し貫いた。

 するとどこからともなく恐ろしい姿をした者が現われ、『姥ヶ火』を地面の下を引きずり込んでいいってしまった。


「虚空蔵、多門、『姥ヶ火』は死んだのか」


「すでに人としては死んでしまって、物の怪となっている。

 だから改めて死んだと言うべきではない。

 『姥ヶ火』が滅んだと言うべきだろう」


「神仏が『姥ヶ火』をどう評価するかなんて、俺にはどうでもいい事だ。

 『姥ヶ火』となってしまった者の元の魂が、どうなるかを知りたいだけだ。

 『姥ヶ火』に殺された糞共の事はどうでもいいぞ」


「嘉一が心配している事は起こらないから安心しろ。

 魂が滅ぶような事はなく、ちゃんと地獄に落ちて、輪廻の輪に戻る事ができる。

 さっきの恐ろしい姿をした者達は、多門の配下で、地獄の獄卒だ。

 彼らがちゃんと『姥ヶ火』を地獄に導いてくれる」


「そうか、だったら安心だ。

 これだけ寒くなったのだ、帰って温かい物でも食べよう」


 嘉一は全てが片付いたので、今まで作らないでいた想い出料理を作ることにした。

 美味しい鯨肉を確保できる店を見つけることができたし、霜も降りた。

 こんな時の食べるべき料理と言えば、鯨のはりはり鍋に決まっていた。

 世界の趨勢から、鯨肉が庶民から遠い存在になってしまったが、嘉一が幼い頃の肉の代表は鯨だった。


 おでんに入れるのはコロやさえずりで、ステーキは赤身肉だった。

 酒好きはおばけやベーコンを肴に飲んでいた。

 そして家族で鍋を囲むときは、はりはり鍋だった。

 特に美味しいのは、霜が降りて水菜が美味しくなる頃だった。

 出汁は水菜の鮮やかな緑が映える薄口醬油を使うべきだった。

 具材が鯨肉と水菜だけなので、出汁は濃いめに取った方がいい。


 嘉一は鯨肉の畝須と尾の身とコロを、野菜は水菜だけを使う。

 あまり煮すぎると、水菜のシャキシャキした食感がなくなってしまい、はりはり鍋とは言えなくなってしまう。

 水菜を噛むと音がするくらいでないとはりはり鍋ではない。

 嘉一は心の底からそう思っていた。


 だが、それは嘉一だけの想い出だ。

 神仏に美味しい料理をお供えするという意味では物足りない。

 だから肉も野菜も神仏用にある程度用意する事にした。

 エノキや葱、薄あげを用意した。

 あまりに具材が多過ぎると、水炊きとの違いがなくなってしまう。

 野菜の主役はあくまでも水菜で、他に少し加える程度にした。


 野菜の主役が水菜であることは、鯨肉が貴重になった今でも同じだが、問題は鯨肉の代わりに入れる肉を何にするかだ。

 はりはり鍋に使われていた鯨肉は、脂分と癖が強い肉だった。

 その脂と癖を再現したいのなら、同じく脂と癖の強い猪肉や鴨肉がいい。

 今家庭料理に使われている肉なら、豚肉や牛肉、鶏肉がいいだろう。

 あるいはジビエやラムの方が鯨肉に近い味わいを再現できるかもしれない。

 

 そう考えた嘉一は、神仏へのお供え用に買った業務用冷蔵庫や業務用冷凍庫に保管してあった、各種の肉を常世に持ち込んだ。

 神仏に好きな肉を選んでもらった方がいいと考えたのだ。

 だがその気配りは全く不要だった。

 神仏は美味しい物なら何でもよかったのだが、それでも想い出に強く反応する。

 全員が鯨肉を使ったはりはり鍋だけを食べた。


「いやあ、うまいのぉお、美味い」

「ああ、鯨自体はおでんで食べたし、おばけやベーコンも食べたが、冬はこれよ」

「おお、おでんの鯨はたくさんある種の一つでしかないが、はりはり鍋の主役は水菜と鯨だけだからな」

「赤身のステーキは鯨を喰った感じはあるが、あれは硬くてスジが多いからな」

「よく言う、美味い美味いと喰らっておったではないか」

「折角の御供えだ、美味しく頂くのは当然でないか」


 神仏がガヤガヤと言い争いながら、それでも楽しそうに鍋を囲んでいる。

 寒い冬に、熱々の想い出料理を食べるのは、神仏にも格別なのだろう。

 だが、神仏が鯨肉と水菜だけを食べるのは、嘉一のとっては予想外だった。

 もっと貪欲に、色々な肉に手を出すと思っていた。

 だから持ち込んだ食肉は多かったが、鯨肉だけだと少なかったのだ。

 急いで常世に戻って冷凍してある鯨肉を解凍して持ってこなければいけない。

 そう嘉一は思ったのだが。


「そんな心配はいりませんよ、嘉一。

 急に解凍したら、鯨の風味が悪くなってしまうのでしょう。

 貴方達、鯨のはりはり鍋はまた作ってあげるから、後は他の肉を使いなさい。

 鴨も脂がのっていて美味しいし、猪肉も美味しいわ。

 豚もバラ肉なら脂がのっていて美味しいわよ。

 それとも、もう〆の雑炊にする。

 それともうどんやそばを入れてあげましょうか」


「おお、そうだな、せっかく鯨の出汁があるのだ、うどんや雑炊も食べたいな」

「いや、まて、まだ肉を食べたいぞ」

「だったら別の鍋に出汁をとってもらえ」

「そうだぞ、何の肉か分からなくなった出汁の雑炊など無粋だぞ」

「わかったよ、俺だけ鴨のはりはり鍋にしてもらうよ」

「だったら俺は猪肉のはりはり鍋で一杯飲みたいぞ」

「いやいや、今まで食べた事のないラムのはりはり鍋がいいだろう」

「それぞれ一人鍋を作ってもらえ、俺達は雑炊を作ってもらう」


 八仏の緊張感のない食欲と争いを見て、嘉一は全てが終わったのだと感じた。

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