第1話:講習

 約5m四方の殺風景な部屋で、唯一の装飾品である魔力駆動の壁掛け時計がチクタクと時を刻む音が響く。


 ここは第四地区冒険者ギルドの第七応接室。


 七という微妙な数字が示す通り、数ある応接室の中でも最低級の部屋だ。


 備え付けの椅子は固く、机は低くて膝が窮屈。


 おまけに窓が小さくて部屋が微妙に薄暗い。


 壁紙がところどころ剥がれていることに関しては擁護の余地もない。


 とにかく応接室と呼ぶにはあまりに貧素な部屋に俺たちは居た。


「つまり冒険者というのは……であり……その成り立ちは……」


 三人がけの長椅子に座らされた俺たちの対面で、くどくどと話し続ける眼鏡の女性。


 彼女はこの第四地区冒険者ギルドの事務主任。


 名前は忘れたが、親愛なる受付さんの直属の上司に当たる人だ。


「……であるからして、本来冒険者はその探究心を……」


 頭の後ろで色気のない黒い紐に束ねられた黒髪。


 折り目の正しすぎる性格が見て取れる皺のない制服。


 年齢は三十歳前後。


 美人といえば美人だが、眼鏡の下から覗く眼光は歴戦の冒険者ですら気後れしてしまいそうな鋭さを有している。


 そんな彼女によって行われているのは新人冒険者と教導になる推薦者への講習。


 この場における推薦者というのは俺のことで、新人冒険者は左右にいる二人を指す。


 一人は俺の右側にいる金髪の少女――ノア・グレイル。


 元々はリーヴァ教の聖女をしていたが教団の方針に不信感を抱いて脱退し、色々あって俺たちの仲間になった。


 少し遊んでそうな今風の見た目に反して、中身は今どき珍しいくらいに純真だ。


「ふむふむ! なるほど! そうなんだー! やっばーい!」


 今も憧れの冒険者になれるのがそんなに嬉しいのか、主任から紡がれる言葉の一つ一つに感心し、ひっきりなしに頷いている。


 椅子から身を乗り出すほどの有り余る意欲と胸には、鬼の主任でさえ圧倒され気味だ。


 そして左側のもう一人は、上天のなんたらが一柱にして禍福を司る女神のエイル。


 まるでどこかの皇女かと思うような気品のある見た目だが中身は真逆。


 お転婆で生意気、熨斗をつけて天界に返品したいくらいの馬鹿女だ。


 そう言うと良いところはなさそうに見えるが、悪い奴ではないと思う……多分。


「ぼけー……」


 ノアとは対照的なボケっとしたやる気のない面構え。


 ギルドに着いた当初は多少のやる気があったように見えたが、長話に辟易してしまったらしい。


 今は銀色の毛先を弄りながら、話を右から左へと聞き流している。


 この顔はきっと、ここに突如として大量の魔物が現れたらどう切り抜けるかを空想しているに違いない。


 活躍の末に大勢から讃えられる場面を想像してニヤついている顔が過去の自分と重なる。


「ギルドとは……くどくど……冒険者とは……くどくど……」


 主任は尚も冒険者ギルドの成り立ちや理念について語り続けている。


 その話のつまらなさは二度目ということを差し引いても異常だ。


 これなら厳格なフリスト教徒の説教の方がまだ笑いどころがあるかもしれない。


「ルゼルさん、聞いていますか!?」


 あくびを噛み殺していると、眼鏡の下にある目ざとい眼差しにチクリと刺された。


「は、はい! 聞いてます聞いてます!」


 慌てて取り繕うも、右手に持ったペンで手元の書類に何かをしたためられる。


 それだけで、『また何かの評価が下がったんだろうな』と即座に理解出来てしまうのは嫌な慣れだ。


「銅F級とはいえ今後は指導する立場となられるのですから、しっかりしてください」


 一文字に引き結ばれた口から出る言葉には少し棘がある。


 しかし、ギルドからすれば俺は鼻つまみ者なのでそれも仕方がない。


 まだ在籍を許され、こうして新人の推薦を受け入れて貰えるだけありがたいと思うべきなんだろう。


「うす、すんません……」

「エイルさん! 貴方もですよ!」


 軽く頭を下げて謝意を示していると、その矛先が今度はエイルへと向けられた。


 その攻撃性はまるで冬眠中に起こされたメスのビフレストグリズリーのようだ。


「……ふぇ? え、えっと……まずはそこのハサミを使って、扉の隙間から這い出てきたスライムの核をぶっ刺してやるわ!」


 何を思ったのか……いや予想していた通りと言うべきか、襲撃してきた魔物の対処法を語り始めるエイル。


 主任もこれ程の馬鹿には初めて出会うのか、頭が痛そうに眉間の辺りを押さえている。


 心中お察しします。


「そしたら次は、窓を割って入ってきたコカトリスの嘴を――」

「……も、もう結構ですので講習の方に戻らせて頂きます」


 馬鹿の相手を諦めて講習へと戻る主任。


 それから、よりつまらない話を聞かされること一時間――。


「指導者の下、ギルドに所属する冒険者の一人として節度を持った行動を心がけるように。それから今日より三ヶ月間は見習い期間として、一部依頼の受注やギルド管理下にあるダンジョンへの入場は制限されるので留意してください。……以上で、初回の講習を終わります。何かごしつも――」

「はぁ~……やっと終わった~……!」


 終わります、という言葉を聞いた途端にエイルが解放の雄叫びを上げた。


 背もたれにグダっと身体を預ける姿たるや、まるで一仕事終えて帰宅した中年オヤジのようだ。


 一方、言葉を遮られた主任は何かを堪えるようにプルプルと震えている。


 一見冷静に書類の片付けをしているように見えるが、その怒りは明らかだ。


「やったー! これで私も冒険者ー! ルゼル、ルゼル! いぇーい!」

「はいはい、良かったな」


 ハイテンションでハイタッチを求めてきたノアに応じ、何度も手を軽く叩くように合わせる。


 その大きな腕の動きに連動し、さも当然のように胸も上下にゆさゆさと揺れている。


 まさに胸囲きよういのメカニズム。


「……質問がないようでしたら、退室していただいて結構です」


 胸囲の脅威を感じていると主任から冷たい平坦な声で退室を促される。


 さっさと出ていけクソガキどもが、と言う心の声が聞こえてくるようだ。


「はーい! ありがとうございましたー!」

「ふぁ……おつかれさま~……」

「うす、失礼します」


 さて、面倒な登録は終わったし隣の酒場で飯でも食うか。


 そう考えて三者三様の言葉と共に退室しようとしたところ――


 ふと、背中にジトっと貼り付くような気配を感じた。


「……あの、俺に何か?」


 振り返ると、主任が片付けの手を止めてじっとこっちを見ていた。


 ただ退室する面倒な冒険者を見送っているのとは違う、何か意味ありげな視線。


 もしかして、また何かやらかしてしまったのかと懸念が浮かぶ。


 確かに心当たりはそれなりにある。


 先日、リーヴァ教の衛兵たちと喧嘩(控えめな表現)したのも厳密にはギルド憲章違反だ。


「い、いえ……何でもありません」


 懸念に反して、主任は少し慌てた様子で手元の資料整理へと戻った。


「ただ、最近はあまりジルドさんやテンガさんと一緒にいないのでお三方の間に何かあったのかと思っただけです」


 続けてその口から発せられたのは、意外にも俺の交友関係を心配してくれているような言葉だった。


「あー……そういう……」


 思っていた理由とは違ったので、ほっと胸をなでおろす。


 てっきりまたマイナス点が増えるようなことかと思った。


 既に限界を突破している数字ではあるが、それでも下がらないに越したことはない。


「単にジルドは女遊びが忙しくて俺に構ってくれる時間がないだけで、別に仲違いしたとかそういうわけじゃないっすよ。テンガの方はもう半年くらい前から見てないんで、むしろ俺の方が何をしてるのか知りたいくらいすね。ギルドの方で何か聞いてないんですか?」

「いえ、存じませんね」

「そうっすか……何してんでしょうかね、あいつ……」

「彼のことですから、またどこかで何か妙な物でも作ってるのではないでしょうか。まあ貴方たちは我がギルドの問題児ですので、一人でも少ない分にはありがたいですが」


 棘のある言葉に反して、ごく僅かな微笑を含んだ柔らかい口調。


 心配してくれたのもそうだが、物言いがきついだけで嫌な人ではないのかもしれない。


「ははは……そんじゃ、失礼します。朝からお騒がせしてすいませんでした」

「はい、ご苦労さまでした」


 書類の片付けをしている主任に背を向けて、今度こそ退室する。


 とにかく、これでエイルとノアの二人は晴れてミズガルド第四地区の冒険者となった。


 ちなみに二人とも銅F級からの出発だが、同じ等級でマイナス点の俺より既に上位の冒険者でもある。


 ……ちょっとだけ辛い。

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