第15話:世界はおっぱいを中心に存在している
「ルゼル!」
俺の名を呼ぶ誰かが駆け寄ってくる。
全身に激痛。
背中には何か固く冷たい物の感触。
何かにもたれかかってる? いや仰向けに倒れているのか?
自分が今、どういう状況に置かれているのかも分からないくらいに意識が朦朧としている。
「さあノア様。今であればまだ猊下方のお耳に此度の件は入っておりません。我々だけの事で済ませられます」
「やだ……絶対に帰んない……!」
「わがままにしては些か度が過ぎますぞ」
「私は、もう誰かから幸せを奪うようなことの手伝いはしたくない……」
「その男に何を吹き込まれたのかは知りませんが、貴方様が気に病むような事実はありません。全ては救済のためなのですから」
「あ、あんたたち! こ、これ以上近寄ると私の大魔法が火を吹くわよ!」
意識が薄れていく。
誰かの言い争っている声が、現世の音が少しずつ遠ざかっていく。
痛みも徐々に引き、意識だけが身体から浮いていくような感覚が強くなりつつある。
その時、ふと目の前に真っ白な背景の世界に流れる一本の大きな川があることに気がついた。
ただ水が緩やかに流れているだけの生命の気配が希薄な川。
どこだ……ここは……。
――お~い、ルゼルや~い。
向こう岸から、誰かの声が聞こえてくる。
酒の飲み過ぎで焼けたようなしゃがれ声。
でも聞いているだけで安心感を覚える懐かしい声でもあった。
「救済……? あの人たちのやってることが……?」
「作用です。教皇様をはじめ、教団上層部の方々は常に信者のみならず、全人類を想っておられます。主の教えによって、衆生の未来を安寧と栄華に満ちたものとすべく励まれておられるのです」
「そんなの嘘ばっかり……今日食べるのにも困っているような人たちから食べ物を奪うこと安寧……? それとも枯れ木みたいに痩せた手から差し出されたお金を受け取ることが栄華……? 違う、そんなのは絶対に救済なんかじゃない!」
「わ、私のウルトラ究極必殺無敵魔法はほんとにやばいわよ! こ、後悔するわよ!」
――ルゼル~。お~い、聞こえとるか~。
あれ……もしかして、じいちゃん? 何してんだ、そんなところで。
白髪頭にスケベさが見て取れる皺だらけの顔。
向こう岸で大きく手を振り、俺に呼びかけてくる声の主は祖父だった。
久しぶりに見る顔だけど、じいちゃんっ子だった俺が見間違うわけがない。
「ノア様……欲望とは、人の世とはそういうものなのです。犠牲無しに繁栄は、衆生の救済は成しえません。犠牲となり、後世に築かれる栄華の礎となることが彼らにとっての救いなのです」
「違う……! そんなの絶対にふつーじゃないって今は分かるから!」
「違いません。彼らはそうして栄華の一部となり……永遠に生き続けるのです! それこそが彼らにとっての幸福! 意味のある人生なのです!」
「いやー! 近寄らないでー! エッチー! へんたーい!」
また、こことは違うどこかから声が響いてきた。
気丈に振る舞いつつも恐怖に震えている声。
これは誰の声だ。
聞き覚えはあるはずなのに頭に靄がかかって思い出せない。
頭を捻って考えていると、じいちゃんを挟むようにして立つ複数人の女性の存在に気がつく。
彼女らは皆が一様に純白の羽衣を纏い、背中からは同じく真っ白な翼を生やしている。
それは物語に出てくる天使の姿そのものだった。
――うふふふ、こっちこっち。こっちにおいで。
白い背景に溶け込みそうな清楚系の美女たちが、俺に向かって優しく手招きしている。
争い事ばかりのこっちと比べて、向こう側はとても居心地の良さそうな場所だ。
待ってろ、じいちゃん。
俺も今からそっちに行くからな。
「そんなのはおかしな狭い世界に閉じこもってるだけで意味なんてない! 本当の幸せとは絶対に違う! だから、私は……」
「胡乱なことを……。よもや、ここまで邪教徒による思想の汚染が進んでいるとは……嘆かわしい……。やはり、まずは元凶を始末せねばならないようですな」
「誰かー! 男の人呼んでー! 誰かー!」
まるで天国のような向こう岸へ渡るために、川へと一歩足を踏み入れた瞬間だった。
――ルゼル、ダメじゃ~! こっちに来るな~!
あろうことか、じいちゃんが俺を拒絶した。
おいおい、じいちゃん。久しぶりに会うってのにそれはねぇだろ。
小さな頃から慕ってきた祖父の拒絶に心が痛む。
「え……や、やめて! その人は関係ない!」
「え!? ちょ、ちょっと! ルゼル! 超絶ピンチよ!! 何やってんの! 早く起きなさい!」
――お前にはまだそっちでやるべきことがあるじゃろ~!
じいちゃんが皺だらけの顔を歪め、必死に叫んでいる。
……やるべきこと? そんなことあったっけ?
何か大事なことを思い出そうとするが、やはり頭に靄がかかって思い出せない。
「そいつを滅すれば、必ずやまた主の教えを取り戻してくださるはずだ……やれ!」
「はっ!」
「こらー! ルゼルー! 起きなさいって言ってるでしょー! 殺されちゃうわよー!」
――お前はそのために、家族の反対も押し切って冒険者になったんじゃろうが~!
懐かしい。そんなこともあったな。
あの時、背中を押してくれたのはじいちゃんだけだった。
いつもじいちゃんだけが俺の味方だった。
でも今そんなことより、そっちで昔みたいに理想のおっぱいについて語らおうぜ。
今は俺だってじいちゃんほどじゃないけど多少は分かるんだぞ。
包括的おっぱいと噂の二の腕は揉んだし、本物のおっぱいだって服の上からだけど感触は知ったんだからな。
すっげーでっかいおっぱいが揺れた時にどんな音が鳴るのか知ってるか?
「ダメ! ルゼルにもうひどいことしないで!」
「エッチな本も処分せずに死ねないでしょー! 死んだりなんかしたらお葬式で参列者に全部配布するわよー!!」
――そんなもんで満足しちゃなら~ん! お前はそっちでまだまだやれるはずじゃ~!
いやいや、そっちにだって美人なお姉さま方がいっぱいいるじゃねーかよ。
みんな優しそうだし、頼んだらちょっとくらい触らせてくれ――
――こっちには貧乳しかおらんのじゃ~!
肉体から離れようとしていた意識が急速に覚醒する。
頭にかかっていた靄が晴れる。
そうだ、俺には……まだこっちの世界でやるべきことが!
明確な意志を以て目を開いた瞬間、視界に飛び込んできたのは――
絶対的な現世の象徴たる大きなおっぱい。
けれど、その持ち主は嗚咽を漏らしていた。
「……これ、どういう状況? なんで泣いてんだ?」
「だっでぇ……ルゼルがぁ……私のせいでぇ……」
ポタ……ポタ……と、大粒の涙が規則的な周期で俺の身体に落ちてくる。
痛む身体に鞭打って、なんとか状況を確認する。
おっぱいのすぐ向こう側には短刀を構えている教団兵の姿があった。
今は足を止めているが、その矛先は明らかに俺へと向けられている。
「ノア様、その者たちを助けたいのであれば大人しく我らに従ってください。そうすれば命だけは保証しましょう」
今度は衛兵長とか呼ばれてたおっさんの声がおっぱい越しに響いてくる。
そこでようやく、気を失っていた俺をノアが身を挺して守ってくれたのだと理解した。
「ごめん、ルゼル……昨日から迷惑ばっかりかけちゃって……」
涙が滲む謝罪の言葉がおっぱいの上から聞こえてくる。
世界はおっぱいを中心に存在している。
「全部、私が自由になりたいなんて思ったのが悪かったの……ごめんね……もう助けてくれなくても大丈夫だから……私が教団にもど――」
その口に手を当て、次に紡ごうとしていた言葉を遮る。
救おうとしたはずの子に救われるなんて、ほんとにダセェな……俺は……。
「ほ、ほんとにやばいわよ! 私に神遺物を使わせたらどうなるか分かってんの!?」
教団兵に囲まれながら孤軍奮闘しているエイルの声が聞こえてくる。
全くもってお前の言う通りだったよ。
この期に及んで俺は一体何をしてたんだか。
「おい、オッサン……人をほったらかしで勝手に話を進めてんじゃねーぞ」
ゆっくりと身体を起こし、剣を杖にして立ち上がる。
それだけで、気絶しそうになるほどの激痛が全身を走った。
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