第13話:斧と女神のファンタジー

「はふぅ……いい湯だったわぁ……」

「おっ、やっと出てきたか。長風呂すぎだろ……」


 第四地区の公衆浴場前で、女湯から出てきたばかりのエイルを出迎える。


 風呂上がりの身体は仄かな朱色に染まり、纏っていた路地裏臭も綺麗に落ちている。


 でも、こいつから女性らしい良い香りが漂ってくるってのはなんか複雑な心境だ。


「……あれ? わざわざ待ってたの?」


 俺の存在に気づいたエイルが不思議そうな目で見てくる。


 確かに死線を共に潜り抜けた仲とはいえ、本来なら出てくるのをわざわざ待つ理由はない。


 普通ならさっさと家に帰って、もう二度と出会わないことを神に祈るべきだろう。


 ただ、今回は冒険者の端くれとしてこいつに渡さないといけない物があった。


「ほら、今日の収穫物を売ってきた金だ。半分はお前の取り分だからな」


 硬貨の入った袋を投げて渡す。


 こいつが長湯している間に各所で換金してきたものだ。


「わっ! って、おもたっ! なんでこんなに多いのよ! まさか全部10ガルド銅貨の嫌がらせ!?」


 受け取ったエイルがその重量にバランスを崩しかける。


「そんなせせこましいことするかよ……中をよく見てみろ」

「中って……うそっ! これ銀貨に……金貨もあるじゃないの! どうしてこんなに!?」


 巾着袋を開いて中を確認したエイルが、予想していた通りの反応を見せてくれた。


 実はこれが見たくて今の今まで黙っていた。


 飛竜の死骸から回収した素材が、薬草とは比べ物にならない高値で取引されていることを。


「ぶっ倒した飛竜の爪とか牙、その他諸々を売った金だよ」

「飛竜の……そういえば帰る前に何かしてたわね……。てっきり倒した敵の一部を自宅の棚に飾って時折見返してはニヤニヤと猟奇的に笑う露悪趣味があるのかと……」

「んなわけないだろ……。とにかく全部で占めて100万ガルド。つまり一人辺りの取り分は50万だ」


 激しい損傷で売り物になる部位が限られたが、それでも一日の収入としては破格だ。


 逃げる最中に紛失した飛竜草の損失を補って余りある。


「ごごご、50万ガルド!? って家賃の、5000ガルドの何倍!? は、八倍くらい!?」


 驚愕のあまりに単純な計算すらできなくなっている。


 流石にここまでの反応は予想外だった。


「百倍だよ。五千にゼロが二つだ」

「ひゃ、百倍……あ、頭がクラクラしてきた……」


 数字を聞いたエイルがその場で卒倒しそうにふらつく。


「で、でもいいの? 私がこんなに貰っちゃって、倒したのは貴方なのに……」


 意外と分をわきまえた殊勝な発言。


 これはまた予想外の反応だった。


「冒険で得た金は等分、ってのが俺たち冒険者の掟なんだよ。それに一応、お前が出してくれた斧のおかげだしな。正当な報酬だよ」

「私のおかげ……正当な報酬……。ほ、ほんとに? ほんとにそう思ってくれてるの? ほんとのほんとに!?」


 褒められることに慣れていないのか、僅かに顔を赤らめながらしつこく尋ねてくる。


「ああ、本当に思ってるから大人しく受け取っとけって」


 斧は戦闘が終わると、まるで最初からそこに無かったかのように消えていった。


 だが、あれが無ければ俺たちは今こうして無事でいられていない。


「うん、確かに……私のおかげよね! そう言われたら実際に8:2くらい比率で私の功績な気がしてきたかも!」

「はいはい……。それにしても……本当に女神様だったんだな、お前」


 思い出すのは、天から光が降り注いで何もない空間から凄まじい武器が現れた時の事。


 あれを見せられては、どんな荒唐無稽な話でも信じざるを得ない。


 まさに魔法の領域を超えた神の奇跡だった。


「え!? い、今更!? 最初からそう言ってたでしょ! まさか今の今まで信じてなかったって言うの!?」

「当たり前だろ! 普通は信じる方がどうかしてるわ!」


 私は女神ですと言われて、はいそうですかと信じる奴がいるなら見てみたい。


 冒険者都市ミズガルドは思想や信条、信仰や人種さえも問われない世界で最も自由な場所。


 とはいえ、天界から追い出された女神までやってくるなんてのは流石に想定外だ。


「さて、そんじゃ俺は今度こそ帰るわ。お前の目的が何なのかは知らねーけど、達成できるように陰ながら祈っといてやるよ。達者でな」


 まだ不信心者がどうとか喚き続けているエイルに背を向ける。


 そのまま少しカッコつけて立ち去ろうとした瞬間――


「ぐえっ!」


 襟首をグイっと引っ張られ、カッコよさとは無縁の呻き声が出た。


「げほっげほっ! てめっ! 何しやがる!」

「まあ、待ちなさいよ。実は私、お風呂に入ってる間に決めたのよ」


 そう言うエイルの瞳には、出会った当初に見た精強な意志が浮かんでいる。


 非常に嫌な予感がする。


 何か妙なことを言われる前に一刻も早く立ち去った方がいいと本能が告げている。


 しかし思いとは裏腹に、俺はその蒼い瞳に魅入られたかのように釘付けになってしまっていた。


「決めたって……何をだよ」

「私の目的を成就させるためには貴方の協力が必要だってこと」


 エイルが俺の目を見据えながら、一切の淀みもなく言い切った。


「お前の目的って……ふざけんな。なんで俺がそんなことに付き合わなきゃいけねーんだよ……。それに、さっきも言ったけど俺は最底辺も最底辺の銅級冒険者だぞ……もっとマシな奴はそこら中に履いて捨てるほど――」

「そんなこと関係ないわ。銅級の最底辺だろうと、異常に蔑まされてる武器の使い手だろうとね」


 自虐を遮って紡がれたその言葉に心が跳ねた。


 自分が斧使いであることは親しい一部の友人を除いて誰にも言っていない。


 この街で斧使いであることが公に知られれば排斥されてしまうからだ。


 今も視界の中にある酒場が、『斧使いお断り』なんて冗談のような張り紙をしているのが見える。


 そんな世界で斧使いと知って尚、求められたことが嬉しかった。


 我ながら嫌になるくらい単純だ。


「それに、これは貴方にとっても悪い話じゃないはずよ」

「悪い話じゃない? 俺がお前に協力して何の得が――」


 あるんだよ、と言おうとした時だった。


 目の前に一冊の本が突きつけられる。


 それはあの時エイルに渡した俺の聖書バイブル、月刊ミズガルド。


 浴場で暇つぶしに読んでいたのか、湿気で紙がヨレヨレになっている。


「この13ページを良く見なさい」

「13ページって確か……」


 文字通り穴が空くほど読んだ本だ。


 どのページに何が書かれているのかは見なくても覚えている。


 当然、13ページは『街の女子1万人に聞いた抱かれたい男ランキング』だってことも。


「俺とは一生無縁な特集記事だろ? それがどうして俺の利益に繋がるんだ?」

「はぁ、本当に察しが悪いわね……」


 やれやれと呆れるようにエイルが首を小さく振る。


 それでも俺にはまだ、こいつが何を言いたいのか全く分からなかった。


「そのランキング、一位が誰なのかは知ってるわよね?」

「一位って……リーヴァ教の聖騎士長シグルドだろ?」


 それは並み居る白金冒険者や各国の騎士、王族たちを抑えてこの数年間一位の座に君臨し続ける男。


 聖騎士でありながら教皇や聖女以上に大教団の象徴として扱われる爽やかイケメン。


 全世界の男たちからは嫉妬の、女たちからは憧憬の眼差しを向けられている存在。


 俺がこの先どれだけ努力したところで並び立てる相手じゃない。


 ここで名前を出すことですらおこがましいと言われても仕方がないくらいだ。


「耳をかっぽじってよく聞きなさい! 私の目的は、私を追放した天界への復讐!」


 大通りのど真ん中でエイルが堂々と宣言した。


 通行人たちも大きな声に何事かと足を止めて注視している。


「そのためには愚かな人類を導き、まずはこの地上で天界の神々よりも遥かに多くの信仰を集めるわ! そうなればきっと連中は大騒ぎよ。本来は自分たちが得るはずだった信仰を、無能だと思って追放した女神に掠め取られてるんだから」


 口角を吊り上げて、クックックと邪悪な笑い声を上げるエイル。


 さっきは認めたけど、やっぱり女神じゃない気がしてきた。


 そのやり口もそうだが、どちらかと言えば邪神や悪魔の方が近い。


「なるほど、お前の目的は分かった。で、それがどうして俺の利益になる?」

「はぁ……まだ分からない? つまり私はこの世界で最大の宗教組織を作るってことよ。そうなれば最初の協力者である貴方はどこの立場に収まると思う?」

「ま、まさか……!」


 またしても天を裂くような稲妻が身体中を駆け巡る。


 不可解だった点と点が繋がり、天から神託が降りてきた。


「そう! そのまさかよ! 私が目的を果たした時、貴方の立場は世界最大の教団の聖騎士長! そうなれば武器が斧でも銅級でも関係ないわ! 世界中にいる女の憧れの的! モテまくりのヤりまくりのボンバーよ!」

「モテまくりのヤりまくりのボンバー……」


 意味は分からないがとにかくすごい響きだ。


「まずは手始めにこの街の近隣だけで信者を百万人は集めるわよ! そしたら次は大陸全土で一千万人……いえ、二千万人ね! そうなったらもちろん各国の首都に私の偉大さを示すような大聖堂が必要になるわよね。それからそれから――」


 とても神の言葉とは思えない俗物の極みのような大法螺おおぼらがその口から紡がれていく。


 誰が聞いても頭がおかしいとしか思えない大言壮語……いや、大幻想語ファンタジーだ。


 通行人たちはそんなこいつをまるでミーミル・オオフナムシの死骸でも見るような目で見ている。


 ……けど、俺だけは違った。


 輝かしい希望の未来に一縷の疑念も持っていない堂々たる姿は、俺にはこの街にいる誰よりも光り輝いて見えた。


 こいつならどんなメチャクチャな幻想ゆめであっても叶えてしまうんじゃないかという気がした。


「そういえば、まだ名前を聞いてなかったわね」


 そう言いながら、エイルが手を差し出してくる。


 まるで俺がどう選択するのかを既に分かっているかのように。


「ルゼル……」


 実際、答えはもう決まっていた。


「俺の名前はルゼル・アクストだ。よろしくな、相棒!」


 自らの名前を名乗ると共に、差し出された手を強く握り返す。


「さあ、ルゼル! 共に愚かな人類を導くわよ!」


 人生で二度目となる女の子の手は温かくて、柔らかくて……夕日を受けて紅く輝いていた。


『ようこそ! 冒険者都市ミズガルドへ! ここは皆さんのそんな爛れた欲望をどこまでも応援する世界で唯一の場所です!』


 朱色に染まった空を飛ぶ気球からは、出会った時と同じ宣伝文句が流れている。


 ここは冒険者都市ミズガルド。


 爛れた欲望を抱く冒険者という名の選りすぐりの馬鹿が世界中から集う街。


 そして、俺とこいつはその中でも特大の馬鹿に違いない。






◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


第一章はここで終了となります。

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