第二章:剣を研ぐ、そして聖女を拾う
プロローグ:大脱走
――ユグドラシル大陸西部地域、ヴァナ共和国領の某所。
「掘り起こせ! 一刻も早くだ!」
朝焼けの空に怒号が鳴り響く。
声の主はリーヴァ教のユグドラシル大陸西部地域第七支部の衛兵長を務める男。
四十に差し掛かろうとしている年齢を感じさせるくたびれた顔つきは、如何にも中間管理職といった容貌である。
その焦燥の浮かぶ双眸が見据えるのは十数人に及ぶ彼の部下たちと、元は一つの建造物であった幾千もの瓦礫の山。
「くそっ……何故こんなことに……! そこッ! 止まってないで手を動かせ!」
彼は苛立ちを隠そうともせず、その場で何度も足を踏み鳴らしながら指示を飛ばす。
ここはリーヴァ教が管理する施設の一角であり、彼らはその警備と監視を行う衛兵隊。
上司の命令を受けた部下たちは、額に汗を浮かせながら黙々と瓦礫の撤去作業を続ける。
しかし、使い慣れない用具による作業は遅々として進まずに難航していた。
「し、しかし衛兵長……この惨状では、もう……」
部下の一人が作業の手を止め、衛兵長へと向かって進言する。
彼が悲痛な面持ちで見つめる瓦礫の山は、元々教団上層の者がこの地を訪れた際に利用する客舎であった。
今は見る影もないが、一介の教団員が足を踏み入れるのも許されない贅の限りが尽くされた建造物であったことが瓦礫からも推察出来る。
今宵、そこには教団の最重要人物である一人の者が宿泊していた。
「いいから黙って手を動かせ。もしかすれば……」
部下たちは誰一人として彼女がこの惨状の中、無事でいるとは考えていなかった。
事故か、それとも敵対勢力による破壊工作か。
そのどちらかによって彼女は殉教したのだと。
しかし、そんな部下の想いとは真逆に衛兵長は感傷に浸る間も与えずに作業を続けさせる。
彼女の持つ力の一端を知る彼だけは、部下たちとは全く別の予感を抱いていた。
「え、衛兵長! 見つかりました!」
瓦礫の撤去作業を行っていた別の兵士が声を張り上げる。
「本当か!?」
「は、はい! こちらへ!」
報告を聞いた衛兵長は急ぎ足で部下のもとへと向かう。
どうか自分の嫌な予感が的中していないことを祈りながら。
「これは……」
案内された場所で彼が目にしたのは、彼女が寝泊まりしていた部屋の残骸。
豪華にしつらえられたベッドや家具の数々が、変わり果てた姿で散乱している。
だが、彼らが探していた瓦礫に埋もれる少女の姿はどこにも見当たらない。
代わりにあったのは、かつて部屋の中央だった場所に鎮座する大穴。
小柄な女性であれば十分に通り抜けられる大きさのそれは、どこかに繋がっているのか奥から空気が吹き抜ける音を微かに鳴らしている。
「衛兵長……これは一体……」
全てを吸い込むような漆黒の穴を見下ろしながら、部下の一人が息を呑む。
そんな中で衛兵長だけが一人、全てを理解したように事を進める。
「やはりか……。全員、作業を中断しろ!」
嫌な予感が的中してしまっていた。
やはりこれは事故でも敵対勢力による破壊工作でもなく、あの少女による大掛かりな脱走劇だった。
あれが何を考えてそのようなことを実行に移したのかは分からない。
しかし、これなら見つかるのが死体であった方がまだ良かったかもしれない。
そう考えながら、衛兵長は部下たちに作業の中断を命令する。
「それと今から呼ぶ者は直ちに装備を整え、出発の準備をしろ!」
「しゅ、出発ですか!? 一体、どこへ?」
部下の一人が、突然不可解なことを言い出した衛兵長に尋ねる。
衛兵長は部下の顔を一瞥してから、まだ赤みがかった東の空へと目を向ける。
着の身着のままで逃亡した者が潜伏できるような場所は、この近隣に一つしかなかった。
「愚者の街、ミズガルドだ。彼女は……我らが聖女はそこに向かったに違いない。なんとしても彼女を連れ戻さねば、世界が滅ぶ前に……!」
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