第1話:冒険者ミーツ女神

 ――時間をほんの少しだけ遡る。


 この日、ギルドから依頼を受けた俺はミズガルドにある『深淵アビス』と呼ばれる貧困地区を訪れていた。


 強盗に遭う確率が150%(一度襲われてまた襲われる確率が50%の意)。


 『そんなに危険なわけがない』と言って、足を踏み入れた冒険者が翌日死体で見つかった。


 『何も持たなければ大丈夫』と手ぶらで乗り込んだ奴が十分後に全裸で帰ってきた。


 元冒険者の屈強な男が十人で乗り込んだら、同じような体格の男二十人に襲われた。


 ――などなど、物騒な噂の絶えない場所だ。


「噂通りのやばい雰囲気だな……」


 周辺にはまるで廃屋と見紛うような粗末な建物が立ち並び、不法に投棄されたと思しき廃材が至るところに積み重ねられている。


 表通りの綺羅びやかさとは真逆の、いかにもスラム街といった退廃的な光景。


「ほんとにこんな場所に依頼人なんているのか……?」


 触れるだけで崩れてきそうな建物に沿って歩きながら、改めて依頼票を確認する。


 依頼内容の欄にはただ『助けて』とだけ、条件の欄には『白金A級以上』と書かれている。


 おまけに報酬の欄には『栄誉(※金銭については別途相談)』ときた。


 依頼掲示板に一ヶ月以上も放置されていた由緒正しきクソ依頼だ。


 ギルドから俺に与えられたのは、この馬鹿な依頼主に対して掲載の継続をするかどうかの意思確認の命だった。


「……この辺りか。意外とすんなり着いたな」


 特に何も起こらないまま、十分としない内に指定の場所へと到着する。


 見てくれこそ最悪だが、治安自体は噂ほど悪くはないのかもしれない。


「でも、ここって言われても……何もないよな……」


 指示に従って到着した場所は、どう見てもただの薄暗い路地の突き当り。


 路地を挟む建物こそ存在しているが、窓がいくつかあるだけで出入り口は無い。


 もしかして依頼自体がただのイタズラだったんじゃないか?


 疑念を抱きながら周囲を見渡していると、ふと暗い路地の最奥に何かがあるのに気づいた。


「なんだありゃ……ゴミか……?」


 道中に投棄されていたゴミと同じ類の物かと思ったが、それにしては大きい気がする。


 正体を確認すべく、恐る恐る奥へと向かって歩を進める。


 暗闇の中にあるぼんやりとした輪郭が徐々にはっきりとしていく。


 それは――


「……小屋?」


 と呼んでいいのかも分からない謎の建造物だった。


 低い位置にかろうじて入り口らしき部分が確認できるが、一見すると廃材やボロ布を組み合わせた前衛芸術的なオブジェにしか見えない。


 本当にこんな場所に依頼主はいるんだろうか……。


「こんちはー、冒険者ギルドの方から来たんですけどー」

「むゅ……」


 入り口らしき部分をノックすると中からゴソゴソと何かが身じろぎしたような衣擦れの音が聞こえた。


 中に何ががいるのは確からしい。


「もしもーし、冒険者ギルドのもんですけどー」


 何が起こっても大丈夫なように身構えながら、もう一度ノックする。


「んん……何よぉ……」


 今度は女の声がはっきりと聞こえた。


 またゴソゴソと衣擦れのような音が鳴り、出入り口と思しき部分が開かれていく。


 鬼が出るか蛇が出るか……なんて予想は甘かった。


「人がせっかく気持ちよく寝てたのに……誰よぉ……家賃ならもう少し待ってって……」


 中から這い出てきたのは、この世のモノとは思えないくらいの美少女だった。


 まるで絹のように艷やかで綺麗に整った銀髪。


 白を基調とした見たことのない様式の服装。


 寝起きらしき重たそうな瞼を擦り、半分だけ覗く蒼い瞳が不機嫌そうに俺を見上げている。


「冒険者ギルドから……来たん、ですけど……」


 途切れ途切れの呆けた口調になる。


 でも、こんなに美少女を前にして見惚れるなという方が無理だった。


「ん……? ぼーけん……しゃ……?」


 まだ夢見心地のような、ぼけっとした言葉が返ってくる。


「ぼ、けー……ぼーけん……冒険者!? あっ、それ! 私の!」


 掲げた依頼票を見た途端に、女が目を見開いた。


「そ、そうですけど……実はギルドの方からこの依頼の件で確認し――」

「ちょ、ちょっと待った! 一回やり直し! 最初から! 今のは無しね!」


 要件を伝えようとした瞬間、ものすごい勢いで被せられる。


 そのまま大きな尻をこっちに向けて、また小屋の中へと戻っていった。


 何がなんだか分からない。


「エイル、いい? しっかりとやるのよ? 今から貴方はどこかから逃げてきた『薄幸のワケあり美少女』よ。チャンスは一度きり。失敗は許されないわよ」


 中からブツブツと誰かに言い聞かせるような声と、頬をパチパチと何度も叩くような音が聞こえてくる。


 最初からやり直しって言ってたし、とりあえずもう一度ノックすればいいんだろうか……。


「あ、あのー……? もういいっすか……?」


 同じ場所を再びノックして声をかけると――


「ごふっ!」


 勢いよく飛び出してきた白い塊が腹部へと直撃した。


 ほんの一瞬だけパニックに陥るも、それがすぐにさっきの子だと気づく。


 そして、彼女が俺に抱きつくように身を預けていることにも。


「ちょっ! な、何して!」

「あぁ……良かったぁ……」


 女の子に抱きつかれた照れと困惑に狼狽えていると、胸元から安堵の声が響いてくる。


「貴方が来てくれるのを……この日を、一日千秋の想いでお待ちしてました……」


 腹部へと埋められていた顔が上げられる。


 何度見ても変わらない超絶怒涛の美少女顔。


 涙で潤む蒼い瞳には、突然の出来事に呆けた顔をしている茶髪の男おれが映っている。


「お、俺を……待ってた?」

「はい。私を助けてくださる貴方のような方を、ずっと……」


 更にギュッと強く抱きしめられる。


 女の子の身体って、めちゃくちゃ柔らかい。


「ず、ずっと……?」

「ええ、貴方こそ私の……運命の人です……」


 運命の人。


 上目遣いで放たれたその言葉に、天を裂くような稲妻が身体を駆け巡った。


 こんな物騒な場所に一人でいる可愛い女の子。


 この辺りでは見たことのない様式の清楚な服装。


 多くを語らず、ただ『助けて』とだけ書かれた依頼票。


 不可解だった点と点が線で結ばれ、俺は全てを理解した。


 間違いない……この子は亡国の皇女だ!


 ――戦火に包まれ、滅びゆく王国。


 敵の手に墜ちた王城から、臣下の決死の思いによって脱出に成功した彼女。


 過酷な逃避行に一人、また一人と従者は倒れていき、ついには自分だけが残された。


 放浪の果てにようやくここまで辿り着くが尚も安息は訪れない。


 薄暗い路地裏でどこから来るかも知れない追手の影に怯える日々。


 それでも彼女は待ち続けた。


 いつか自分と祖国を救ってくれる運命の救世主が現れると信じて!


「そうか、辛かったな……。絶対に取り戻そう。君の祖国と……そして、自由を!」


 この子の未来は俺が守らないと……!


 強大な使命感を焚べられ、数日間冷え切っていた心が再び燃え始めた。


「え? そ、祖国……? あっ……そ、そうです! と、取り戻しましょう! ……この男、やたらと想像力がたくましいわね」

「ん? 今、ぼそっと何か言った? 何がたくましいって?」

「い、いえ! 貴方のような心身共にたくましい方が来てくれて嬉しいですって言いました! そ、それよりも! えーっと、その……不躾なお願いを一つだけ聞いてもらってもいいですか……?」

「なんだい? 何でも言ってごらん」


 少し遠慮気味な口調に余裕を持って答える。


 ここは冷静に、冷静に……。


 がっつきすぎて引かれるなよ、俺……。


「その……手を……握ってもらってもいいですか……」


 震える声で本当にささやかなお願いが告げられた。


 脆い硝子のように華奢な手がおずおずと差し出される。


 きっと、ここに至るまで辛いことが沢山あったんだろう。


「もちろんさ」


 遂に俺の時代が来た。


 今、この瞬間から始まる一大スペクタクルの主人公は俺だ!


「そういえば、まだ名前を聞いてなかったね」


 名前を尋ねながら、そっと手を重ねる。


 生まれて初めて触れた女の子の手は温かくて、柔らかくて……光り輝いていた。


 え? なんで光ってんの?


「私はエイル……」

「へー、エイル……。いい名前なんだけど、これ……なんで光ってんの?」


 光はその強さを更に増し、俺達の手を完全に包み込んでいる。


 重ねているだけだった手は、いつの間にか獲物を捕まえた食人植物マンイーターのようにガッチリと握り込まれている。


「そう! 我が名はエイル! 上天の万神座パンテオンが一柱にして禍福かふくを司る女神!」


 高らかな宣言と共に、潤んだ瞳で俺を見つめていた殊勝な表情が一変する。


 これまでと打って変わって、精強な意思が満ち溢れたものへと。


「え? な、何か人格変わってない? め、女神? 皇女じゃなくて?」

「禍福を司る女神エイルの名において、えーっと……この者を現世うつしよにおける我が『使徒』として……えー……以下省略ッ!」


 エイルと名乗った女は俺の言葉に答えず、ただ訳の分からない言葉を羅列していく。


 それに呼応するように光は強くなり、世界は眩い白に包まれた――






 それから一瞬、あるいはもっと時間が経ったのか、とにかく視界が元に戻った時。


 そこには薄汚い裏路地の一角で尻もちをついている自分と……


「あーはっはっは! 私の『薄幸のワケあり美少女大作戦!』にまんまとかかったわね! 愚かな人間の男!」


 勝ち誇るように高笑いをしている頭のおかしな女の姿があった。

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