第3話 死にそうだったのを助けられた件
そこにいたのは。
ベージュのコートを羽織った青年と、赤い髪をした青年。
その二人が並んで立つとなぜか、銃弾は止んだ。止まった。
バレット。銃弾は。シルバーでなく、金色だった。どうやらわたしは、死ななかったらしい。
「僕は太宰治。こっちは中原中也」
太宰って、あの、人間失格の?
わたしはたずねる。
「ん、それは、小説家の太宰治。
この太宰は、そうだな、太宰治の概念から生まれた別物」
そう、太宰治が名乗る。
「で、こっちは、中原中也。背が伸びない小柄な青年」
「小さいとかいうな」と、ぶっきらぼうに赤髪はこたえた。どうやら、髪が赤いのを見るに、中原中也という、小林秀雄と恋人をかけて争った実在の詩人とは違うようだ。
つまり、とわたしは問うた。わたしの知っている太宰治、死んでいるはずの人間を名乗る人間、そして、いるはずのない、赤髪の中原中也。わたしのいる世界とずいぶん違うんだけど。
「へぇ」
口の片端を、太宰、はゆがめる。独特な笑いで、左右非対称な、そう、これは、チェシャ猫だ、不思議の国のアリスに出てくる、ドジソンの。
「太宰」
イライラした様子で赤髪、中也は語る。こっちはまるで深作映画に出てくる鉄砲玉を思わせるー仁義なき戦いを通して見たことはなくても、その名前は、棟城では有名だ。
「身元不明の遺体が見つかるのは困るし、君が死体となってはいけない。
美女と心中するのが、僕の夢なんだ」と、両手を広げながら太宰は言う。片目が包帯で隠れているのに、今気がついた。
赤髪の、中也、鉄砲玉の方は、しぶしぶと言った形で、身元不明のジェイン・ドゥを、わたしを引き取ることにしたらしい。ちなみに、映画監督で、アラン・スミシーというのがいて、これは、監督、監督名がない時につけるあだ名のようなもので、蓋を開けば別人だった、というのを聞いた。本来はアラン・スミスだったらしい。これは、日本でいうところの「山田太郎」で、アラン・スミシーだと「山田谷太郎」だろうか。
アランは、正確には、ジェイン・ドゥに名前が欲しい、と太宰はいう。仮でもいい、文豪で、君に合う人がいい、と。
シェイクスピア、と言ったら却下された。性別が違うとの判断だった。小泉八雲も違うらしい。
「じゃあさ、小泉セツでいいよ」
あいにく、わたしは人妻ではないけど。
却下され、見た目が日本人らしくない、ということから、シェリー夫人、通称メアリーと呼ばれることになった。黒髪のメアリーがあるかい、とつっこんだところ、
「いや、君の場合、背が高いし、英語が得意だろう?
とっさの場合に英語が話せれば、我々の国籍がごまかせるもんで」
いや、確かにさっき、外国人女性、しつこくとりすがる女性に対し
「ごめんなさい、わたし、日本語わからないの」とつたえても、
「お前日本人だろう」がなかったので、心外だが、仕方なく、メアリーを名乗ることにした。日本名でないのが屈辱だったが、仕方ない。
「で、メアリー」
と、太宰は地図をさし示した。
「僕らが今いるのはここ、横浜なんだけど、君は異世界のどこから来たの」
棟城。むねにしろとかいてむなしろ。
あるはずの場所を見て、わたしは目を疑った。「水戸」と書いてある。
そんなはずない。
「今って徳川何代目?」
わたしが出た時は、26代目だった。
通じない。
「どうやら、言葉は通じるけど、異世界みたいだな」
要するに、分岐点、というものがあり、それによって、生まれた境目から来てしまったらしい。
太宰がこの世界、わたしがいた世界にはいないのに、彼は存在する。
中也がこの世界、わたしがいた世界にはいないのに、彼は存在する。
要するに、彼らは、文豪のなにかで、そのなにかが影響しあって、ここにいる。
「正式な手続きを踏んでここにいたいんだけど」
あいにく、わたしの世界で通用した運転免許証は、ただの白い札に切り替わっていた。身元を証明するものがなく、信頼できる人がこの二人しかいない以上、身を寄せるほかない。
ここがたとえ、マフィア、だとしても。
ポートマフィア、と彼らは名乗った。物騒な名前、港のヤクザ、管轄はどこだ、と頭が痛くなる。
まさか、警官のわたしが、ヤクザに加わるなんて。
冷ややかに見つめていた。しかしながら、実際は軟禁状態に近い。本さえあれば、食事さえあれば保護状態ですらある。
わたしに託されたのは、口を割る技術、だ。
決して日本語を話すな、と彼らは説いた。俺たちには日本語でいいから、外国人のフリをしろ。
横浜には、外国人が多い。ポートマフィアにもし、外国人がいれば、牽制になる。とはいえ、わたしが話せるのは。
ドイツ語は守備範囲外、わかるのはラテン語、スペイン語、イタリア語をかじっただけ、英語は話せるが母国語ほどではない。中国語は、カントン、香港にいたが当時はイギリスの保護領で、英語と日本語、広東語が混在していて、ツァイツェンがギリギリ、と叫ぶと、
「それがいい。無国籍なんて」と、太宰は喜んだ。
要するに、日本語に聞こえないよう、意味不明なことばで拷問していただきたい、とのことだった。マジで言ってる?太宰。
バレット(弾丸)の中の日常 荒川 麻衣 @arakawamai
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