【第4.5章】それぞれの晩夏

第121話 ロス

「ふぅ…」



 少し疲れた様子でトレーを食堂のテーブルに置いたのは、1課職員の和久津沙羅だ。

 彼女は囮作戦の結果、長い『古森屋 夏美生活』から解放され、以前の仕事に戻ることができた。

 もちろん戻ったのは仕事だけでなく、作戦最終日の夕方に真里亜によって元の姿にしてもらい、完璧に1年前と同じ状態になっている。


 それでも思わずため息が出るのは、中々替えのきかない彼女の仕事が多忙であったからだ。

 しかし弱音は吐かず、打倒ネクロマンサーに向けて心を燃やし粉骨砕身で務めていた。



 とはいえ疲れるものは疲れるので、こうして休み時間はしっかり食べてキッチリ休むよう心がけている。

 ちなみに今日の彼女の昼食は、鴨南せいろだ。

 何故か先日から流行りだしたこのメニューを食し、彼女もまたハマったという。

 そして食堂の一角には蕎麦を手繰る際の作法が書かれたボードが置かれるようになり、若い職員などがそれにならって食べるようになった。


「ン…旨い……」


 蕎麦をすすった和久津は、誰に言うでもなくひとり呟いた。

 端に少し浸した濃い目のつけ汁の塩味と油の甘味が、疲れた彼女の体を少しだけ癒したのだった。



 しばらく食べ進めていると、彼女の座る長テーブルの正面に近付く人影が一つあった。

 その人物は和久津と目が合うと一声かける。


「相席、いいですか?」

「…美咲くん。勿論いいさ」


 和久津の同期で1課の姫、水鳥美咲が相席を申し出て、和久津がそれを了承した。

 許可が下りたので、美咲はテーブルの上に自分のトレーを置く。

 その内容はコーンスープと…


「おや、そのサンドイッチ、手作りかい?」

「ええ」

「珍しいね」


 以前美咲が治療のお礼として卓也に手作りしたサンドイッチがラップに包まれ、コーンスープの横に置かれていた。

 目が見えない状態であれば『危ない』という理由であまり料理などさせてもらえなかった彼女だが、こうして自由に好きなことができるというのは良い変化だと和久津は感じている。

 だがーーー


「…彼が『スゲー旨かった!』って言ってくれたんです、コレ…。だから作って待っていれば、いつか元気に帰ってくるんじゃないかって…」

「………」


 無理した笑顔で、まるで夫を失ったばかりで悲しみにくれる未亡人のようなことを言う美咲に、和久津は内心


(いや、彼は存命だし、普通に元気にしていると思うのだが…)


 と呟いた。


 彼の残した爪痕は、もしかしたらネクロマンサー以上に強烈かもしれないと和久津は感じている。

 蕎麦の作法に美咲の憂い、なごみのたまに見せる寂しげな目に、志津香…はよく分からないが。駒込はピースの武術プログラムの再履修を受け、黒瀬は毎日素振りと瞑想をするようになった。


 僅か5日間の行動が、周りを大きく変えた。

 そして台風のように特対も敵も巻き込み、去っていった。


「やれやれ…」


 裏では彼の獲得を目論む人間が動いているかもしれないが、まずは自分の業務と目の前の親友を何とかせねばと思う和久津である。



「おい、また今週もアイツのとこ行くのかよ」

「ああ」


 自身の方針が定まりかけた和久津の耳に飛び込んで来たのは、鷹森隊のメンバーの大声だった。

 比較的賑やかな食堂でも聞こえるくらいの声で六人が会話をしている。

 しかしボリュームが上がったのは今しがたなので内容の全ては分からないが、鷹森光輝を他の五人が糾弾(?)しているような感じだった。


「どうしたんでしょうね?」

「さぁ…?」


 少し気にはなっているがそれほど興味があるわけではない和久津と美咲は、内容が分かるところまで聞いたら切り上げようとした。

 ところがーーー


「もう3週連続だぞ。どんだけ通うんだよ」

「勿論クリアするまでだ」

「どれだけ進んだの?」

「全体の3%くらいだな。ダウンロードコンテンツもあるし周回プレイも含めると0.5かもしれん」

「なげえよ!!」


 光輝の進捗の遅さに叫ぶ悠一。

 他の隊員もうんざりしたり怒ったりしている。

 だが和久津と美咲はイマイチ話の全容が見えてこないのでもう少し聞き耳を立てていると、気になるワードが聞こえてきた。


「塚田も毎週邪魔しちゃ迷惑だろうが」

「そんなことはない。風祭に教えて貰った店でお土産を買っていくと、とても喜ぶ」

「「?!」」

「…あ」


 塚田というワードに美咲と、いつの間にか和久津の傍にいたなごみが反応する。

 気付いた和久津は「あーあ…」といった表情をした。


「鷹森さん…やはり要注意人物でしたのね……」

「まさか私の情報の使い道が、卓也くんへの手土産だったなんてね…」

「友達の家に泊まってくる…」


 さらにいつの間にか近くにいた志津香が、まるで初めて彼氏の家に外泊する女子のような"独り言"を呟き、三人揃って光輝のもとへ向かっていった。


 果たして光輝は、卓也の個人情報を守りきることができるのか…









 ___________________









「卓也さんに聞いたら、鷹森さんに聞けと仰ってました」

「ム…そうか。なら…」




 が…ダメっ…!!光輝は素直…!


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