第59話 キミがいなくちゃ

 時刻は夜中の3時。

 俺は湯を抜いて、水気をふき取ったホテルの浴槽の中で体育座りをして過ごしていた。

 もちろん頭がイカれたワケではなく、一晩中ここで刺客が近づいてこないか神経を尖らせて警戒しているのだ。

 正確には"聴覚を尖らせて"、だな。



 【手の中】の連中の襲撃後に話し合った結果、俺たちはいのりと愛が宿泊する予定だった部屋に行く事にした。

 部屋はまだキャンセルしておらず、スムーズにチェックインを済ますことが出来たのは不幸中の幸いと言えよう。

 もちろん敵に位置を掴まれている可能性もあるが、どこに居ても敵のハガキでバレてしまうなら、壁や床のある建物内の方が都合が良いと判断した。


 部屋は先ほどのホテルと比べても何ら遜色のないほどゴージャスな造りをしている。

 調度品や家具一つ一つを取っても高そうで、俺が予約していたホテルとは比べ物にならないグレードだった。

 この際何故三人部屋を押さえていたかは問うまい…。


 四十万にホテルから少し離れたところに下ろして貰うと、コンビニで夕飯を買い込み部屋へと向かった。

 本当はホテルのレストランで豪華ディナーを食べたかったが、毒を仕込まれてしまう可能性を視野にいれてカップ麺などを部屋で食べることに決めたのだった。

 しかしガッカリしているのは俺だけで、他の三人は"珍しいものにありつけた"と喜んでいたようでまあ良かった。いや、高いディナー食べたかったけどね…。

 ヒレステーキ、フカヒレ、伊勢海老、エトセトラエトセトラ…。


 夕食を済ませたら寝る支度をし、いのり達三人には1つの部屋に集まって寝て貰うことにした。

 守る効率を考えて三人には1か所に集まってもらったのだが、キングサイズのベッドが2つ置いてある部屋があったので狭くて困ることはなさそうだ。

 どうしてこんな部屋が押さえてあるのかは問うまい。

 きっと二人とも寝相がすこぶる悪いのだろう。


 内側から施錠してもらった後に俺の能力で部屋の壁や床の硬度を目一杯高めた。

 これならミサイルの直撃にも耐えうるはずだ。

 中から施錠を解いて出る分には問題ないし、鍵の空いている部屋に入るのも問題ない。

 施錠された部屋に入るのだけは滅茶苦茶厳しくした。


 そして俺は同じ部屋で寝るわけにはいかないので、湯を抜いた風呂に座って警戒していたというわけだ。

 決して某休業中の殺し屋みたいに、日常的に風呂で寝る習慣があるわけではない。

 というか、本当は高級ベッドで寝たかった。


 が、流石に全員寝てしまえば次の襲撃でアウトだし、戦えるのは俺しか居ないのでこうなることは仕方のないことだった。

 俺の能力なら寝なくても体力が削られる心配もないし、格安ビジネスホテルと違いトイレは別なので有事の時以外はここを動く必要がない。

 皆からはリビングに居ればいいと言われたが、広めのリビングで一晩中いるのも落ち着かないし、廊下に近い方が音を拾いやすいというメリットからここに決めた。

 窓からの襲撃も視野に入れたが、地上19階の強化窓ガラスをぶち破られる想定は一旦なしにして、部屋の前や真下・真上まで歩いてくる事を前提に動いたということだ。


 ここからなら上下3階層のフロア全体の音を拾うことができる。

 もちろん何から何までというわけにはいかないが、部屋の前や真上真下のフロアに近づいてくる足音を探知するくらいは強化した聴力で容易に行えた。

 これで一晩中、不自然に近くで止まる音や急接近してくる存在を警戒できる。



 漸く3フロア下で夜戦に興じているカップルが休戦となったころに、ここに近づいてくる足音を探知した。

 そしてその足音は部屋の前でピタッと止まる。

 俺はその足音の主をもちろん知っている。

 そのまま足音の主は何も言わずに俺のいるバスルームの扉を開けた。


「キャー、イノリサンノエッチー」


 俺はとあるマンガで風呂をよく覗かれる女の子のセリフを棒読みで放った。

 しかし


「…」


 一切のリアクションを見せず俯いているだけのいのり。

 ネタが滑ったということは置いておいて、流石に心配になり俺は一声かけることにした。


「どした…?っておま…」


 薄暗くてよく見えないが、なんかスゴい格好してないか?

 ネグリジェ、だよな。え、なに、最近の高校生はこんなやらしか格好ばして寝よるとですか?

 それともこれが英才教育、これが帝王学なのか。

 いや、大将がついに本陣に攻めてきたとか?

 こちらとて浴場で欲情するわけにはいかない、受けて立とう。

 敵が直接赴いてきたのだ、こちらも抜かねば、無作法というもの。

 射殺せ、神槍。いや、チョイスがアウト寄りすぎるな。


「…」


 くだらないことを考えている数秒間も、いのりは下を向いたまま黙りこくっていた。

 こりゃあいよいよ何か悩み事になっちまってるな。


「本当にどうした?俺でよければ聞くけど」

「…」


 俺はいのりが話すまで、じっくり待つことにした。

 ここに来るということは、少なくとも何か俺に話す気があっての行動だろう。

 あとはアタマの中の整理が済むまで1時間でも2時間でも待てばいいだけだ。

 あんまり長いと夜が明けてしまうけどな。


「…隣、いいかしら?」

「え…あ、ああ、まあ…」


 長期戦も視野に入れようかという矢先、いのりが俺のとなりに来ることを提案してきたので、俺は思わずイエスと返事してしまった。

 それを聞いたいのりは浴槽の側面を跨ぎ、俺のとなりに座る。

 だが待て、浴槽は大人が二人入ってもなお余裕の広さがある。

 そこは流石の高級ホテルのスイートルームだ。

 しかし絵面がヤバい。二人とも裸で湯が張ってあったら、それはもう"サービス"だ。

 いや、美少女がネグリジェで横に座る時点でもう"オプション"だと言える。

 知らない人がみたらアウトよりのアウトだ。


「…」


 そんな俺の心配をよそに、いのりは再び黙ってしまう。

 四人に襲われた直後くらいから元気がないなと思っていたが、その原因が何なのかよく分からない。

 が、今や俺たちの目的は明日の夜まで"過ごす"から"組織の全滅"に変わっている。

 もしそれについて厳しいようなら、明日清野と合流したときに彼女の実家に送るのも手だ。

 いのりだって白縫と変わらないくらいの年齢だ。恐怖を感じるのも全く不思議じゃない。

 むしろここまで良くやってくれていた。

 情報を得られたりこの部屋に無事に来ることができたのは他ならぬいのりのおかげだと思っている。



「…さい」

「ん?」


 その時、聞き取れないくらい小さい声で、いのりが何かを呟いた。


「ごめんなさい…」


 聞こえてきたのは謝罪だった。

 しかし訳が分からない。何故謝る事があるのか。

 思わずお俺は聞き返した。


「…何が?」

「私のせいで、私が言わなきゃ…卓也くんも愛も、危ない目には…」

「ああ…」


 そういうことか…

 落ち込みと、謝罪の意味を理解した俺は気の無い相づちを返してしまった。

 なんだ、そんなことか、という意味を込めて。

 それが納得行かなかったのか、いのりが更に自分を責める。


「私が軽い気持ちで引き受けようなんて言わなければ、二人とも死ぬような思いなんてしなくて、今ごろ楽しい連休を過ごしていたのに…私が考えなしだったから…」


 膝を抱えたまま、自責の念をひたすら唱えるいのり。

 いっそ俺や愛から罵倒された方が気は楽になるだろうが、俺はそれをしない。

 何故なら俺はいのりとは全く意見が違うからだ。まずはそれを伝えないとな。


「いのりが俺を誘わなければ…白縫は今ごろ天国だったろうな」

「え…?」


 自分の膝を見つめていたいのりは顔をあげて、驚いた表情で俺を見た。

 光源がバスルームの入り口から漏れる廊下の僅かな間接照明しかないのでそこまでハッキリとは見えないが、いのりは俺の意外な言葉に注目していた。


「別に自惚れじゃあないが、俺の能力じゃなければさっきの場面は切り抜けられなかったと思うぞ、多分。並みの能力じゃどこかしらで終わっていた…と思う」


 硬化、回復、濃度調節、そして弱体化。

 割りとフルに能力を使用して何とか切り抜けた感じがある。

 1人でここまで役割をこなせる能力なんて滅多に無いんじゃないか。

 それに愛の機転と、いのりのテレパシーがあったからここまで安全に来られたと言っても全然過言じゃない。

 だから、白縫がまだ生きているのは俺と愛といのりがいたからだと、そうハッキリといのりに伝えた。


 しかしいのりは「でも…」と食い下がってきた。


「言い出しっぺの私が1番役に立ってないわ…。愛みたいに頭の回転が早いわけでもないし。最初の銃声で体が動かなくて」

「ここに来るまでの道すがら、いのりがテレパシーで周囲を警戒してくれたから、今安心して二人が寝られるんだぞ。それに愛は仕事上銃声にビビってたんじゃダメだからな、ってことで納得出来ないか?別に俺も愛もいのりが悪いなんて思ってないんだけど…」

「うー…」


 苦虫を噛み潰したような表情のいのりが僅かに見える。

 納得はしてないものの、さっきよりも調子の出てきたいのりに俺は少し頬が緩む。


 深夜の静寂の中、俺自身も久しぶりにリラックスできたようなそんな感覚だった。

 横で複雑な表情のいのりに感謝を込めて頭をヒト撫ですると、ある提案を持ちかける。


「わかったよ、そんなに貢献したいって言うなら、俺に考えがある」

「考え…?」

「ああ、本当は結構危ないから言うの止めようかなーって思ってたんだけど」

「や、やるわ!」


 いのりは俺の肩に手を乗せ揺すってくる。早くその提案を教えろと催促するように、だんだん揺するスピードも早くなった。


「わかった!わかったからシェイクするな!」

「何よ、その考えって」


 いつものいのりに近づいてきたな。


「いいか、まず明日の朝、俺といのりは…」

「うん…」

「恋人になる」

「…え?」








 ________________________________









「おいおいおいおい…」


 朝9:30

 この時間だというのに、既に街には大勢の人が行き交っている。

 イベント期間中という事もあり、この時間でも多くの店が営業を開始しており、お目当ての商品を求めて集まった人の波が横濱のあちこちで見られた。

 卓也たちの宿泊したホテルも、そんな人波の中にある。


 そしてやや離れた所から、ホテルの方を観察している一組の男女がいた。

 男は、ホテルの1階を見て大層驚いている。


「大胆ね」


 一言そう呟いた女からは感情が読み取れない。


「なんで…ターゲットがホテルのカフェテラスの一番目立つ席で呑気に朝飯なんか食ってやがんだよ…!!」


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