孤高のカルマ

@motomliu

孤高のカルマ

 枕元に気配を感じて、眠りから目覚める。ただ目は開かず、そっと耳を澄ました。何も見えない、聞こえない。しかし、ぼうっと立ち尽くし私を上から見下している存在がいるのは確信した。誰だ。じとりと肌の表面に水気が差した。あっ、男は心の中で呟く。かすかに鉄同士が触れ合う金属音がしたのだ。体が言うことを聞かない。そのまま身じろぎもせずにいると次第にそれが女の発する声だということが分かった。......えてる?あの時、私、あの人と...しちゃったわ。あなたなんかよりもずっとハンサムで......。男はすぐに分かった。エミリー?エミリーなのか。はぁ生きていたんだねエミリー。だけど、そいつはなんだい?あいつと何したって?僕のことあんなに愛していたじゃないか。冗談はよしてよ。...無理やりなんて違うわ。なんだって?聞こえないよ。僕は君のために命を削ってるんだ。家も売ったし、車も売った。来月には肝臓も売る予定だったんだよ。それにしても帰ってきてくれたんだね。生きてるなんて知らなかったよ。てっきり死んだかと...。あれ?葬式もして...。ははは。なんでもないよ。へんちくりんは夢でも見ていたのかな。もういいんだ。帰ってきてくれたんなら。あいつと別れてここに来てくれたんなら。裁判は終わりだ。私...あなたのことを愛して...る。へへへ。ちゃんと言われると照れちゃうな。僕も、アイシテルヨ。エミリー。

 車の排気音がして、目を開けた。車道の近くで寝るとエンジンの振動が地面を伝って体を揺する。立ち上がり、公園の縁にある水飲み場で水を飲み、ついでに顔を洗う。さて、今日も仕事である。エミリーはあの男にレイプされて殺された。あの男は容疑を否認しているが、犯人に決まっている。私とエミリーの愛は本物だったからだ。それは間違いない。けどもちろん弁護士を雇うお金なんかないから、自分で裁判に勝たなくてはいけない。頼れるのは自分だけだ。気を強くもて。頼れるのは自分だけだ。自分しか頼ることはできないのだ。男は盗まれないように服の中に仕舞っていた革のカバンを取り出して肩にかけた。翌朝の出来事はすっぽり頭の中から消えていた。

 男はグシャグシャの頭でニコニコしながら、バスに乗った。一人一人に挨拶をしなくては。コンニチハ。コンニチハ。バスに乗り込んだ乗客は一瞬表情を曇らせたが、すぐに笑顔になり、こんにちは、と言った。発射しまーす、運転手が言うと、男もハッシャシマース、と呼唱する。ふた駅もすると、アリガト-ゴザイマシタ-!と声を張り上げて、運賃も払わずに、白い建物の中へと駆け出していった。

 夕方になると、男は白い建物の中から肩を小さくして出てきた。それ以外は、今日一日を通して誰も出てこなかった。エミリー。男はそう小さく声を出して、横腹の腎臓のあたりを手で擦っていた。

 朝の五時。男はまた眠りから目覚めていた。ただ目は開かず、そっと耳を澄ました。

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