音響

ヒロシマン

第1話

 俺はコンサートの音響を担当している。


 音響といっても機材の搬入、搬出、マイクのセッティング、配線などの仕事がほとんどで、メインのミキサーは、先輩が操作し、俺はあまり触らせてもらっていない。(運ぶ時だけ触っているけど)



 コンサートが終わって機材の搬出をして、家に帰るころには深夜になっていることがほとんど。

 腹は減っているけど料理をする気にはならず、コンビニでカップ麺を買ってさっさと食って寝るだけ。


 カップ麺は「赤いきつね」と決めている。


 初めて先輩からミキサーを任されて、失敗はしたけど、最高に気分が良くって、その日に、たまたまコンビニで手にして食べたのが「赤いきつね」だった。


 あの味は、たぶん一生忘れないだろう。


 それ以来、「赤いきつね」を食べると何かいいことが起きそうな気がして、つい買ってしまう。


 音響の先輩は、有名な歌手や客が多く入ったコンサートでは、自分でミキサーを担当し、デビューしたての無名の歌手や演歌歌手の時にだけ、時々俺に任せてくれる。


 ある日、久しぶりにミキサーを任された。


 その日のコンサートは、1曲だけ大ヒットし、今は人気のなくなった演歌歌手の畦道冬子。


 客の入りもまばらで、俺の任されたのもうなづける雰囲気だった。


 何曲かそつなくこなしていると、側に、武田鉄矢によく似たおじさんが立って、俺がミキサーを操作するのをじっと見ていた。


「それじゃだめだ」


 おじさんはそう言うと、俺を押しのけてミキサーを操作し始めた。


 普通、ミキサーはハウリングという、スピーカーから「キーン」という音を出さないように調整したり、エコーやリバーブの効果をつけたりするだけで、微調整以外はほとんど触ることはない。


 ところがおじさんは、歌手の唄に合わせて音量を変化させ、歌のサビでは、楽器の音をすべて消して、アカペラにするなどした。


 すると、今まで調子が悪かったような元気のない畦道冬子の唄声につやのようなものが出始め、気持ちよさそうに唄いだした。


 つまらなそうに聴いていたお客も、かつての人気があった畦道冬子の復活を感じているようだった。


「ミキサー次第で音は生きたり死んだりする」


 おじさんはそう言って、俺の肩をポンとたたき、どこかへ立ち去って行った。


 俺は、次の曲からミキサーを、おじさんが操作したように音量を変化させた。いや、指が勝手にそう動いていたような気がする。


 コンサートは、客が少なかったにもかかわらず、異様な盛り上がりをみせて終わった。


 家に帰った俺は、「赤いきつね」を食べながら、コンサートを振り返った。


 歌手の調子、曲を真剣に聴きながらミキサーを操作することで、魂を揺さぶることができる。


 この日に食べた「赤いきつね」の味も一生忘れないだろう。


 あの日以来、演歌歌手、畦道冬子は堂々とした歌声で人気を取り戻し、その地位を固めていった。


 俺は、相変わらず、時々しかミキサーを触らせてもらっていないが、俺がミキサーを操作すれば、コンサートは大いに盛り上がり、歌手は気持ちよく唄い、俺を指名してくれる歌手も現れるようになった。


 今日のコンサートは、人気演歌歌手で客は大入り。


 先輩は、俺にミキサーを任せてくれた。


 俺はミキサーの前に立ち、深い深呼吸をすると、両手の指をピアノの鍵盤を弾くように動かして準備をし、ミキサーを触った。


 曲のイントロが流れ、演歌歌手が登場。


 客は拍手喝采で迎える。


 歌が唄声が客の魂を揺さぶっていく。


 この日に食べる「赤いきつね」はどんな味がするだろう?


終わり

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