肉塊

稲島

肉塊

 眠りから覚醒した部屋は、壁も床も暖かでてらてらと鈍く仄暗い、赤と桃色に生柔く脈打つ肉塊であった。起きて立ちあがり意識が明確になっていくと、足裏に触れる肉の凹凸が擽られたようにうねり、故も分からぬ懐かしさを感じて恐ろしく気色悪い。

 身震いしながら辺りを見回すと、長方形の扉らしきものにドアノブを模した突起が慎ましく蠢いているのに気が付く。この部屋を出るにはその突起を握り、捻り、押すか引くかをしなければならないことに心底身震いし、その行為への想像が肌を粟立たせた。けれどとうとう、この夢現から脱するにはそうする他無いことを悟って諦めを付き、突起を握って捻り押し開けた瞬間、故も分からぬ懐かしさの正体を遥かな胎動と理解した。途端に親しさを想い、その先に延びた廊下らしき通路の壁を、指先でつつと撫でながら出口へ、或いは奥へと進む。

 思えばあの眠りからは胎動で覚めた気さえする。先の暗い通路を何処まで続くのだろうと考えていた時、左の壁に四角い枠が空いて、その拡大と共に無理やり押し込んだように先が広がっていく。突如真新しく形成された部屋は強引さからか所々血が噴き出て膿んでいる箇所もあったが、そこは私が覚醒した部屋とほぼ同じようだった。その部屋を恐る恐る見回し、私のような者は居やしないかと目を凝らしたが、その必要は無く部屋は真四角なばかりで、それがただの縋りであったことに落胆しながらも、なにやら天井にぶら下がる白い棒を見つけた。ずっとぶら下がっていたようでその実、肉塊から吐き出されたような異物感のあるそれに手を伸ばして、恐る恐る突く。硬いなと思い手を離したらぽとりと落ちてしまった。急に罪悪を犯してしまった気になって、落ちた白い棒を拾い妄想とも実際とも判別のつかない怒気をぶつけられまいと、そそくさに部屋を立ち去った。

 知らない振りをして小走りで通路を行く。どれ程歩いただろうか、やっと少し落ち着いて手に握った白い棒を良く見てみるとそれは骨のようで、先端が折れて荒く尖っていた。考えてみれば、あの部屋で私のような人が眠っていたとするなら、それは人を模した人でない何かではないだろうか。しかしだとすれば私は人でないのだろうか。荒く尖ったこの骨を突き立てて今直ぐに、親であるこの果てしない肉塊に詫びるべきだろうか。足が止まる。目を瞑って思考を廻らす。いや、確かに私は私が記憶している人間だ。その事実に微塵の揺らぎも無い。そう思うと握っている武器に優越感を抱き、殺意とその覚悟が一緒くたになって脳を陶酔させた中で、すっと背中に温もりが触れる。振り返ると肉壁が目の前にあって、瞳の真前に血管がとくとくと脈打っている。瞬間、殺意が揚々と腕を駆け肉壁に骨の先を力の限り突き刺した。肉壁が、いやこの途方もない大きな生物が唸り悲鳴を上げる。声とも形容出来ぬ音に弾かれて、直ぐに骨を引き抜き駆けだす。通路はのたうち、滅茶苦茶に拡がり、縮み、捻じれ、膿んで、血を流して、膨らみ弾けた。足を駆け回す度に、「どうして、どうして」と慟哭する声が目の前から迫ってきていたけれど、足を止める選択肢なんてなかった。それに気のせいだ。だって目の前には扉があるのだから。

 手を伸ばしドアノブに手をかけて思い切り押し開けて中に滑り込んだ。少しの振動が起こってそれを最後に、肉塊は嘘のように黙りこくった。ぜぇぜぇと体で呼吸をして暫く、整い始めてやっと、すすり泣く声が同棲していることに気が付いた。骨を固く握りしめてゆっくりと目をやると、部屋の隅の角に蹲った人形らしき肉塊が居た。頻りに涙を拭いているようだが、床に垂れているのは淀んだ血と脂が混じったらしい粘性の液体だった。

 息を吸い込むと素早く距離を詰めて、頭を突き刺し開いた手で力いっぱい化け物を殴打し、刺して殴打し刺して殴打し、滅茶苦茶になりながら、「そうだ、これは化け物だ。これこそが化け物だ。」と自分が人間であることの喜びに満ち満ちて、化け物相手にひたすらの暴力をふるう。

 笑った。ひたすらに可笑しくて涙が止まらず、腹がよじれて死にそうで愉しい。しかし化物は髄まで嗜虐し尽くして微塵になってしまい、ふつふつと臓器を掻き毟りたい程の物足りなさが湧きあがり、「どうして、どうして」と涙を拭いながら部屋の隅に遺った僅かな残骸を拙く刺すばかり。

肉塊が足の裏から体の内へ根を伸ばしても、ただ嗜虐を狂信して、再来を熱望するばかり。

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肉塊 稲島 @inejima

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