二章第1話
蔵之介の部屋の一角に並ぶソファスペース
蔵之介は腕を組みムスッとしてソファに座っている。
向かいにはビアンカが同じく腕を組み座り、対峙していた。
ピーとゼノスはこっそりと目を合わせどうしたものかと肩をすくめていた。
「俺が高いところが嫌いなのは知ってるでしょ!?」
蔵之介は言い放つ
「知ってはいるが、これはやってもらわなければならない。子供たちの成長の為に必要なことなんだ」
「絶対に嫌!」
蔵之介は涙目で訴えるが、ビアンカはため息をついた。
「なんでため息をつくの!? ため息をつきたいのは俺の方だよ!」
いつになく強気の蔵之介にゼノスは少し驚いていた。ビアンカにこんなに言い返す人も見たことがない。そもそもいるはずもないのだけど。
「ゼノスにも聞いたと思うが、絶対安全に対応する。下には蜘蛛の巣を張ってあり、バンジージャンプみたいなものだ。僕も傍にいて、何かあれば受け止める」
「受け止めればいいってものじゃないよ!」
蔵之介は浮かべた涙が目からこぼれそうになり、涙をぬぐった。
「ゼノスに聞いたけどこれは一般的にはやらないことなんでしょ!? それをなんで俺がやらないといけないの!?」
「それは王の子供だからだ。これは僕だけの意見ではなく国に関わる大臣たちの意見でもあるんだ。国を守る立場の者としては強い子孫を残し国を守る者を増やさなければならない」
「だからって俺がする必要ないじゃんか!」
「君がやらないと意味がないだろう。蔵之介のお腹の中に子供が居るんだから」
ビアンカは蔵之介のお腹を見て、顔に目線を戻す。
「君が経験したことは、今こうしている会話すらも子供は聞いている。脳がまだ出来上がっていなくても、体で覚えていくんだ。だからこそ今のうちにいろいろ教えていくことは大事なんだ」
「人間だってここまでする人いないよ!」
蔵之介は目頭が熱くなり、涙を堪えることもできずにぽろぽろ涙をこぼしていた。
一旦怒りがこみあげてしまうと、引っ込みがつかないこともある。ビアンカは目を閉じ、話す。
「少し冷静になろう。冷静になったらまた話をしよう」
「冷静だよ! 冷静じゃないのはビアンカだろ!」
蔵之介はこらえきれず立ちあがった。
「蔵之介? どこに行くんだ?」
蔵之介はドアへと向かい開いた。
「どこだっていいだろ!」
ゼノスは慌ててついていこうとするが、目の前でドアを閉められてしまう。急いでドアを開けて後を追った。
「ビアンカ王、考え直した方がいいんじゃないですか。他にもやり方があるのではないかと思います」
「うーん」
ビアンカは顎に指を当て考えていた。
「ビアンカ王?」
「蔵之介があんなに怒るのは初めて見たな。あの心音も新鮮だった」
ビアンカは、少しうれしそうに蔵之介の新鮮な反応にしみじみと思い返し笑みを浮かべていた。
「蔵之介様が行ってしまわれますよ」
ピーの言葉にハッとして立ち上がる。
ドアを開けるとキーパーが姿を現した。
「ビアンカ王、蔵之介様がゼノスと外に向かわれました。海の所の向かったのかと」
「キーパーは何人ついてる?」
「八人ほど」
「少し心配だが、あそこへの道は他のものが簡単には入れる場所ではない。問題ないだろう。そのまま守護を続けてくれ」
「はい」
キーパーは頭を下げ姿を消した。
「海のいる場所ってこの先で良いんだよね?」
「はい、でも良いんですか? ビアンカ王に向かうことをお伝えしなくて」
「いいよ、どうせキーパーが伝えるよ。それに心音も聞こえてるんでしょ。どうせビアンカは全部分かってるよ!」
蔵之介はふて腐れた様に言って木の生い茂った、しかし、何もないわけではなく簡単に作られた石の階段を上っていく。
そこを数分歩き蔵之介は立ち止まった。
「この階段何段あるの?」
「わかりません。お疲れになりましたか? 少し休みますか?」
「もう少し歩くよ」
蔵之介は元気なく肩を落として登り始めた。道を振り返って見るとそこはまた長い道のりだ。
ここを帰るのかと考えると、進むのが億劫になっていった。
「蔵之介様」
突然声がして振り返ると、キーパーのリーダーが姿を現しそこにいた。
「お連れしますか? このまま歩いていただいても構いませんが、このスピードで歩いていては“襲ってくれ”と言っている様なものです。何かあっても文句は言えません」
言われてみるとそうだ。蜘蛛たちはなんだかんだで動きが速く、人間が逃げ出して逃げ切れるものではない。もともと運動も得意ではないので、正直階段を上るのも疲れてきていた。
「じゃあお願いしようかな」
蔵之介がいうとキーパーは頭を下げて蔵之介を抱き上げた。
「ゼノスは背中へ」
とキーパーがかがむとゼノスはキーパーの首に抱きつき背中にしがみついた。
キーパーは立ち上がるとすぐにジャンプして、一歩で階段を十段以上とばしどんどん進んでいく。
「はやい」
風を切り進んでいくのは爽快感があり心地よい。キーパーは平らな地面につくと高くへはとばず、前への一歩を長くとり進んでいく。
「ビアンカもこういう気づかいができればいいのに」
蔵之介はまだ気持ちが収まらず、愚痴をこぼした。
「ビアンカ王も反対したんですよ。しかし、大臣たちが意見を変えなかったんです」
「え?」
キーパーはそういって、立ち止まり。蔵之介を下す。ゼノスもすぐに背中から飛び降りた。
「ここです」
「もうついたの?」
蔵之介は下された場所で振り返ると、大きな門があり、上に“青風情泊”と書かれていた。蔵之介があのまま歩いていては半日はかかっていたんじゃないかと思う。
「これは?」
キーパーがいた場所を見ると、既にそこにはキーパーの姿はなく、目線を少し下げるとゼノスの姿があった。
「ここが海さんの修行している場所です」
ゼノスがそういうと、よこから別の聞き慣れた声が聞こえた。青っぽい人影が、何度かジャンプしてこちらに近付いてきた。近付くと海だとはっきり分かり、そして目の前で立ち止まる。
「蔵之介、何してるんだこんなところで」
海は全身から汗を流し、袖で顎に垂れる汗をぬぐった。
空気が冷たいというのにここまでの汗をかくなんて。しかし呼吸一つ乱れていない。
「海こそ何してたの?」
「俺は体力づくり。ビアンカ王はこの山の周りを一日中走り回って汗一つかかず呼吸も乱すことなく帰ってきたっていうから。ここのおっさん、そういうことしか教えてくれないだぞ。もうちょっとやり方とか教えてくれてもいいのに」
海はそういいながら中を指さし、蔵之介たちに入るよう促した。
中に入ると、庭の縁側で一人の男がお茶を飲んでいた。
「師匠、蔵之介が来ました。世話役のゼノスもいます。蔵之介、彼は師匠だ。名前はヴィンター。ビアンカ王はヴィンター師と呼んでいる」
「んー、キーパーもおるのー。八人か」
ヴィンター師は軽く顔を上げてつぶやいた。
「何人連れてきたんだ?」
「え、分かんない」
海が聞くと蔵之介のあいまいに答えた。海はゼノスに目を移すと。ゼノスは気まずそうに目をそらす。
世話役がこんなで大丈夫か? と思いながら海は蔵之介に目を向けた。
「ビアンカに言ってきたのか?」
「……」
蔵之介は黙ってうつむいた。その反応に海は何かあったと察したがすぐに聞くことはしなかった。
するとヴィンター師は海に手を差し出した。何かよこせとでもいう様に手を閉じたり開いたりする。
「はいはいバナナね」
ヴィンター師の座る横にはお盆があり、バナナがひと房置かれている。海はそこから一本とり、皮を半分まで向いて差し出した。
ヴィンター師はそれを受け取り、むにょむにょと口を動かしバナナを食べていく。
「蔵之介も食べるか?」
と海がバナナに手を伸ばすと、素早くヴィンター師に手をはたかれた。
「いった!」と海は声をあげ、ぶたれた手を振った。
何も言わないが誰にもやらんとでも言っている様だった。
「いいよ、お腹はすいてないから」
蔵之介はヴィンター師の横に座った。海は庭の地面に座った。ヴィンターが食べ終わって身のないバナナの皮を差し出すと海は受け取り、もう一本房からちぎって皮を剥いて渡した。
ヴィンター師はそれを受け取ると、蔵之介に差し出した。
「やるのかよ」
海はぼやく様に小さく言った。
「貰って良いんですか?」
ヴィンター師は頷いて見せた。顔は前を向いたままだったが。
蔵之介はバナナを受け取り、一口食べた。
「おいしい」
考えてみるとここにきて果物を食べてなかったことに気付いた。野菜類は料理で出るが、果物を買い物リストに入れたことがなかった。今の買い物リストも料理人に任せていて蔵之介は関与していため、言わないと不必要なものを海は買ってこない。
もぐもぐと蔵之介はよく噛んでのみ込んだ。
「ミュージックバナナじゃ」
ヴィンター師が言って、後ろに置いてあった三味線を取った。
「師匠がバナナに音楽を聞かせてるんだよ。変わってるだろ? そうすると美味しくなるんだってさ」
海が言うと、ヴィンター師は三味線の弦をはじき、なつかしさを感じさせる軽やかで明るい曲を演奏し始めた。
海は立ち上がり、お尻についた砂を払った。靴を脱ぎ縁側から室内に入ると奥からもう一つ三味線を持ってきた。
「蔵之介、持って」
「俺弾き方分かんないよ」
海は蔵之介の後ろに座り体を寄せる。
「右手で撥(ばち)をもって、左手はここ」
海に言われるがまま三味線を持つと海は蔵之介の左手と右手に手を添えた。海の顔が左側からのぞき込んだ。軽く汗のにおいがして蔵之介はドキッとする。ビアンカ以外とこんなに接近することはほとんどないせいか、蔵之介は変に緊張していた。
ヴィンター師の曲のタイミングに合わせて、海が蔵之介の撥を持つ手を一度動かすと弦をはじいた。
するとヴィンター師の演奏する音と重なり音が響く。
「鳴った」
蔵之介は言って、海を見ると海はほほ笑んだ。
「ここにきて最初に教えて貰ったのはこれだ」
「強くなる為に来たのに?」
蔵之介が笑っていうと、海は同じ様に笑った。
「一緒に演奏してくれる人が欲しかったんだってさ」
海は蔵之介に添えた手を動かし、少しずつヴィンター師の曲に合わせて音を鳴らしていった。
ヴィンター師が曲を弾き終えると、三味線を後ろに置いた。
海も蔵之介から三味線を受け取り元あった場所に戻しに行った。
「ビアンカと喧嘩したか?」
ヴィンター師が聞くと蔵之介ははっとしてヴィンター師を見やる。
何も言っていないのに、と蔵之介は心を読まれている気がしてうつむいた。
「ビアンカはいい子だ。ちょっと頑張りすぎるだけなんだ」
ヴィンター師はいうと室内を指さした。
「海、昼食の準備だ」
「ああ、蔵之介のこと頼むぞ」
海は言って家の中へ消えていった。まるで家事手伝いをしに来ている様にも見える。
「ビアンカが何か言ったか?」
ヴィンター師は蔵之介に顔を向けることはなく問う。
「言われたというか。俺は高いところが苦手なのに、高いところから飛び降りろって言うんです」
「そうか、高いところが苦手か」
ヴィンター師は顎ひげを指でつまんで撫でた。
「ビアンカは、俺が嫌だって言っても飛び降りないといけないって」
「子供の為か?」
蔵之介は聞かれ、思わず振り返る。海に聞かれていないかと奥をのぞき込むが海の姿はない。
「台所は遠い。気にしなくていい」
蔵之介はそれを聞いてほっとし、ヴィンター師の方を向いた。
「十人くらいか」
「何がですか?」
「お腹の中の子供じゃ」
蔵之介は思わず自分のお腹に視線を向けた。何人いるかなんて分からない。違和感が無さ過ぎて本当に妊娠したのかすら疑わしい。しかしヴィンター師は居るかいないかではなく、人数を言っている。それは本当にいるということなのだろう。
「どうして、人数が分かるんですか?」
「気配だよ、まあまだ明確には分からんがな。しかし、随分少なめにしたな」
ヴィンター師は蔵之介の方へ向いてお腹に手を伸ばした、蔵之介のお腹に手を触れると、蔵之介は急にお腹が熱くなったのを感じ、体をこわばらせる。
「大丈夫だ、信じなさい」
ヴィンター師はそういってしばらくお腹に手を当てていた。
「本来蜘蛛なら何百個も卵を産む。ビアンカも初めての母体だから気を使ったんだろうな。すごく丁寧に卵のうが作られておる」
ヴィンター師は蔵之介のお腹から手を離した。
「少し心の方に傷がありそうじゃな」
ヴィンター師はおもむろに、蔵之介の頭から頬、腕、胸、お腹と確認する様に触っていく。
蔵之介は何をしてるのか分からず、しばらくじっとしていた。
「素直な子だ、ビアンカにはもったいない。まあ、お前の心が選んだことが正しい。
頬の内側に少し傷がある。後でビアンカに治してもらいなさい」
「傷?」
「最近できた傷だろうまだ治せる」
最近頬にできた傷。
「森の中で生贄争奪戦の時に受けた傷です。どうしてわかるんですか?」
外側からは傷跡もなく完治しているが、ヴィンター師には何かが見えている様だ。
「あとここだな。足を伸ばして座りなさい」
ヴィンター師は言って、骨盤外側から足の付け根を親指と手のひらで確認していく。
「最近強く開いたりはしなかったか? どうもここの調子がよくない」
蔵之介ははっとするが、それは言えなかった。バードイートに開かれた。体が割けたかと思う様な衝撃だった。その後は、ここになにかと違和感を感じていた。しかし、ビアンカにも言えずずっとではないからそのうち治るだろうと気にしない様にしていた。
蔵之介が困った様な顔をするのを見て、ヴィンター師は手を離した。
「ビアンカに治癒糸を巻いてもらいなさい。寝るときに両足を固定する様にまとめて。一晩やれば今よりましになるだろう」
「なんで……」
蔵之介の目から涙がこぼれた。
「なんで分かってくれるの?」
「何もわからんよ」
ヴィンター師はそういってただほほ笑んでいた。
蔵之介は涙を拭いた。
「そうだそうだ、飛び降りるとかそんなはなしだったか」
ヴィンター師は庭の方に向き直り座った。蔵之介は黙って溢れる涙をぬぐった。
「蔵之介はなぜ高いところが苦手なんだ?」
「分かりません、覚えてないんです。ある日、学校のベランダに出てたったら四階位の高さだったんですけど、急に恐くなって」
「人間そんなものだな、急に好きになって急に怖くなる」
そういってヴィンター師は何か含む様に笑った。
「本当に子供の為になるんですか?」
「さあな、でもビアンカの母体も確かに同じことをしていた。しかし、同じ母体から生まれてもビアンカの様に強くなれるものはごくわずかだ。言ってしまえば強さは大して変わらない。ただ経験を詰むことで自信となる。それは言い換えれば強さ。多くの経験は自分の心を強くするものだ」
「心を強くする……」
心が強くなればと思うことは何度もあった。けど
「俺は経験しても強くはなれなかった……」
「それは一人でやったからだろう、違うか?」
蔵之介は頷いた。確かに一人でやったこともあった。けど皆の前でもやって、笑われて。心が強くなるどころか削らていった。
「一人だとな、まわりに見てくれる人がいない。それでは、やったという経験も全て知られずに終わるんだ。それが自信に繋がるかどうかは、見守ってれる人の存在でもかわる。だから私の様な人間がいる。ただ見ているだけで子供たちはどんどん強くなっていく。ちょっとした手助けで、どんどん自分でやり方を見つけて進んでいく。それを見ているのが楽しい。海もしっかり強くなっとるよ。バナナを剥いてくれるのも早くなった。最初は文句ばっかりだったがな」
ヴィンター師は子供の様に笑って言った。
蔵之介は黙ってうつむく。
「まだ何か気にかかることがありそうだのう」
ヴィンター師はまた顎ひげを撫でた。
「俺はビアンカを責めちゃったけど、先ほどキーパーから聞いたんです。ビアンカは止め様としてくれてたって。なのに、すごく責めちゃって……」
蔵之介はまた涙を流し袖でぬぐった。
「よく泣くのう」
「すみません……」
蔵之介は涙が止まらず顔をずっと袖で抑えていた。
「いや、涙が出るときは泣けばいい。泣いたらすっきりして次に進めるものだ」
「蔵之介を泣かせてくれなんて頼んでないぞ」
海の声がして蔵之介は顔を上げると、料理を運んできていた。
「はい、師匠の分」
と深い器を渡した。何か汁物と麺が入っている様だ。
「蔵之介はこっち」
と先ほどから香ばしい香りがしていた、それを差し出された。
「焼きそばだ。おいしそう」
「今日のは蒲鉾入りだ」
海は言って、蔵之介の横に座った。
「ゼノス、これお前の分だ」
お盆に乗った焼きそばを海が示す。ここに来てからずっと部屋の隅におとなしく座っているゼノスはうつむいたまま首を横に振った。
「まあ、お腹すいたら食えよ」
そう言うと海も蔵之介と同じく焼きそばを食べ始めた。
「海って人間の食事の方が好きなの?」
「まあな、外の世界で過ごしてる時間が大半だったから」
「外で暮らしてるなら外の暮らしもあるだろうし、ここにいて大丈夫なの?」
海は蔵之介の問いに答えず、焼きそばを頬張りもぐもぐと口を動かした。
「そういう時は大体誰かが恋しくて動くものだ、理由は言えんよ」
ヴィンター師が言うと海は口の中のものを吐きだしそうな勢いで「ぜんっぜん! 違うからな!」
っと怒鳴った。
「海、夕方ごろ少し見てやろう。日か沈む前には庭に居なさい」
「本当か!? やっと何か教えてくれるのか!?」
「まあ、楽しみにしていなさい」
ヴィンター師は出かけ、海もトレーニングに向かった。蔵之介は青風情泊にゼノスと二人で残され手持無沙汰になる。ゼノスは相変わらず部屋の隅っこに座りおとなしくしていた。海の作った食事もテーブルにラップをかけ置かれたままだった。
「ゼノス、何かあった?」
ゼノスはまわりを見て蔵之介しか居ないのを確認してから蔵之介の傍に歩み寄った。
「あの、すみません。人の家は苦手で」
「そうだったんだ、今は大丈夫?」
「はい」
ゼノスは懐から手帳を取り出した。
「蔵之介様、いくつかお伺いしたいことがあるのですが、お聞きしてもよろしいですか?」
「うん」
蔵之介は頷いた。ゼノスは先ほどより緊張がほぐれている様で蔵之介は安心した。
「蔵之介様は高いところ以外に苦手なことはありますか? これはやりたくないというものがあれば調べておいて欲しいとビアンカ王に頼まれております」
ゼノスは手帳に記載しながら話した。
「うーん、ここだと虫を食べることかな。他はあんまりないかも」
蔵之介が答えるとゼノスはそれを書き込んだ。
「承知いたしました、蜘蛛の糸に縛られたりは?」
「蜘蛛の糸に……、平気だけどされたいことではないかな」
蔵之介が答えるとまたゼノスは手帳に書き込んだ。
「火は恐いですか?」
「別に平気かな、キャンプファイヤーとか見るの好きだし」
「泳ぐことはできますか?」
「出来なくはないけど、得意ではないかも」
「走ったりは?」
「運動もあまり得意じゃないし、いつも遅かったよ」
「ボールはどんな遊びができますか?」
「サッカー、バスケ、野球、テニス……とかかな、やったことあるのは」
「学校で得意な教科はどんなものでしたか?」
「どの教科もあまり得意じゃなかったかな。どれも平均点かそれ以下だったし」
その後もゼノスからいくつか質問が続き、蔵之介が答えるとゼノスは手帳に書き込んでいった。
一通り質問攻めが終わると蔵之介は伸びをして寝転んだ。
「ここってなんか落ち着くね」
蔵之介は目を閉じた。いつもよりゆっくり時が流れている気がした。
「ここは結界が張られていますから、この地を汚すものは入ってこられません。ここからはじかれた者は必然的に危険人物とされて警戒対象とされます。ですから凶暴な生き物も少なく、皆安心して過ごしています。動物も、虫も、植物も。それが安らぎに繋がっているのだと思います」
「じゃあ、ゼノスはさっきなんであんなに緊張してたの? 人の家が苦手って言ってたけど」
ゼノスは少し考えてから口を開いた。
「昔の話ですが、私には身寄りがありませんでした。その影響で、いろんな家をたらいまわしにされました。それぞれの家ではそれぞれのルールがあり、私は移動するたびにそこに合わせなくてはいけませんでした。そうしなければ宿主。主にそこで一番強い人に怒られたり、罰を受けたりしました。「せっかく引きとってやったのに」「なにもできないじゃないか」って罵られたりして。なので私は家を移動するのが恐くなり、移動するたびに黙ってその家のルールを見ることにしていました。そうしないと、何も知らずにそれを犯すと罰を受けてしまいます。今罰を受けると蔵之介様にも被害がありますし。その習慣がずっとあって、だから人の家は苦手なんです。今回は海さんがいたので助かりました。海さんが対応して頂けていたので」
蔵之介はそれを聞いて目からぽろぽろと涙を流した。
「え、蔵之介様がなんで泣いているのですか!?」
「ごめん、なんか悲しくなって。俺今日変かも、ずっと泣いてる気がする」
蔵之介は涙を袖でぬぐおうとすると、ゼノスがハンカチを蔵之介の頬に当てた。蔵之介はそれを受け取り、涙を拭いた。
「今の私は、大丈夫です。ビアンカ王もいますし。ピーさんも海さんもいろいろ教えてくれるので助かってます。でも今日の海さん見たら私も少し頑張らないとなと思いました。海さんは蔵之介様を守るために修行を頑張ってて、私はキーパーの様に蔵之介様を運ぶこともできません。足も早くないですし。何かできることをもっと増やしたいです」
「そうだね、俺も何かやろうかなって思った。ヴィンター師が見守っててくれる人が居るだけで自信に繋がるって言ってたし。今はゼノスがずっと傍で見守っててくれるし、そしたら何か出来そうな気がする」
蔵之介は笑ってゼノスを見た。するとゼノスも嬉しそうに笑った。
「はい、私はいつでも蔵之介様を見守っております。ビアンカ王も、ピーさんも海さんも」
「そうだよね。俺、生贄になってよかったかも。あまり楽しい人生じゃなかったし、生贄なんかになって、何も成せずに蜘蛛に食べられて終わるのかと思ってたけど。今すごく幸せだと思う」
蔵之介は空高くを見つめた。
「でもやっぱり高いところから落ちるのは無理だと思う」
そう付け足すと、ゼノスは笑っていた。
「それは分かりました。調整してみます。どこまで対応できるか分かりませんが」
「うん、ありがとう」
夕方になると、海が帰ってきた。ヴィンター師も戻って来ると、縁側に座った。
「んーじゃあ、早速だが、海。上にあがってこい」
「上?」
海は上を見上げた。
「屋根の上か?」
海は屋根を指さした。
「そんな下じゃない、もっと上だ上空二十キロメートルくらいかのう」
「そんな上までどうやって行くんだ?」
海が聞くと、ヴィンター師はやれやれとため息をつき首を横に振った。
「上空二十キロっていけるの?」
蔵之介が聞くと、ゼノスは蔵之介に顔を寄せた。
「上空二十キロは成層圏で糸を最大限に生かせば行けないことはないと思いますが、生存はできません。なので高さは冗談なのではないかと……」
ゼノスがこそこそと言ったが、海はそれを聞き逃さなかった。
「お前そこでこそこそ言わずにはっきり言えよ!」
海に怒鳴られゼノスは蔵之介の後ろに隠れた。
「海、怒らないでよ」
蔵之介はゼノスをかばう様に手を横に伸ばした。
「俺をバカにしてるのか?」
海は腕を組みヴィンター師を睨む。
「仕方ないな、なら上空一キロに行ってみろ。そこに行くとここの結界を抜けるから空気の違いで分かるはずだ。そこについたら飛び降りてここに着地するんだ」
「上空一キロ……。そこから飛び降りる? どうやって?」
「それは自分で考えなさい」
「はぁ?」
海はどうしたものかと考え空を見上げた。
「蔵之介も経験することだ。お前も経験しておかないとな」
「まあ、そうだな」
海は話に流され納得していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます