第3章 西の都ニーアミア ⑤

 テッドの先導で裏通りを行く。活気のあった表通りと違い、どこか陰鬱で路地の端にはくたびれた服で座り込む者がちらほら見えた。


 いくつか店もあるにはあるが、どこも妖しげな雰囲気が漂っている。


「……そこだ」


 少年テッドはその中の一つの店を指してそう言った。


「そうかよ」


 ジェイクはその場で足を止めたテッドの胸ぐらを掴み、そのまま彼が示した店に向かう。


「おい、もういいだろ? 案内はしたぜ!」


「本気で言ってるなら利き手に穴をあけてやる」


「……えー。それ両利きだったらどうするの?」


 ずれた質問をするシャルロットに、ジェイクはにやりと笑って言った。


「そんときゃ勿論両方だ」


「わかったよ、行くよ! 自分で歩くから放してくれ!」


「……言っておくが、逃げたら」


「射かけるってんだろ、あんたがやべえ奴だってのはもうわかってるよ!」


 その言葉にジェイクが手を放すと、テッドはやけくそで歩き出す。


「……てめえのことは棚に上げやがって」


「や、宿のジェイクはほんとに怖かったよ?」


「……別にロッテに怒ったわけじゃないだろ」


「でも、ああいうのはヤダよ」


 シャルロットが悲しそうにそう言うと、ジェイクは深い溜息をついた。


「……わかったよ」


 ジェイクが不承不承に頷くと、シャルロットは嬉しそうに微笑む。


「……おい、なにしてんだ。入るぞ」


 店の扉に手をかけて振り返るテッド。シャルロットは慌てて口元を引き締め、ジェイクとともにテッドに続く。


 ……店内は明かりを絞ってあるのか、夜の裏路地よりまし程度の光量しかなく、そして表より一層妖しい空気が漂っていた。


 そんな中で、入店してきたジェイクたちに目を向ける老人が一人。店の雰囲気通りの――というか、老人がそう言った空気を醸し出しているのだろう。老獪そうな老人はテッド、ジェイク、シャルロットと順に目を向け、


「いらん客を連れてきたな、テッド」


 しわがれた声でそう言い、言葉同様鋭い視線をテッドに向ける。


 そんな店主と思しき老人にまったく臆せずジェイクは言った。


「あんたがこの店の店主か? こいつが売った剣があるだろう。そいつは俺のだ、こいつに盗まれたものなんだよ、返してくれ」


「ああ、確かにそのテッドから剣を一振り買い取った。これだろう?」


 そう言って老人はカウンターに抜き身の剣を置いた。薄暗い店内でも煌めく白刃は、まごうことなきジェイクのそれだ。


「――ああ、こいつだ」


「しかし返してくれとはおかしな話だ。こっちは金を出して買い取った商品なんだが?」


「わかってるよ。ほら、受け取った金を出せ」


 ジェイクがそう言うが、テッドは渋る。


「……衛兵に突き出してやろうか?」


「足元見やがって」


「言えた義理か」


「……ちっ」


 テッドは舌打ちして懐から革袋を取り出し、カウンターの上に置く。


「一ゴールドだって使ってねえよ。きっかり受け取った二千ゴールド入ってる。使う前に見つかったからな!」


「ほら、爺さん――これでいいだろ。剣、返してもらうぜ」


 ジェイクはそう言って剣に手を伸ばす。しかしその指先が柄に触れる寸前、店主は剣を取り下げた。


「な――」


「何か勘違いをしているようだな、若いの。こいつはもう儂が買い取ってこの店の商品になったんだ。仕入れ値と売値が同じわけがないだろう?」


「そんな、それは盗品ですよ? 今そう説明しましたよね?」


 シャルロットが言う――しかし。


「そんなもんは知らんよ。儂は商品を仕入れただけだ」


「……このっ」


 ジェイクがその物言いに短気を起こしかける――が、シャルロットがジェイクの腕を掴んで止める。


「――わかりました。いくらですか?」


「ロッテ!」


「ジェイクが怒るのも無理ないけど、でもこれじゃあ解決しないよ。取りあえず買い戻そう?」


 さっきの今でそんな風に言われては、ジェイクも耐えざるを得ない。思わず握りしめていた拳をほどくと、シャルロットは満足そうに微笑む。


 そして、


「――で、お爺さん。売値はいくらですか」


「十万ゴールドだ」


「な――」


 驚嘆の声を上げたのはテッドだ。


「おいジジイ! 買い取りは二千だったろ、売値が十万ってのはどういうことだよ」


「どうもこうも、そのままだ。お前が二千で納得して売ったんだろ? お前に剣の目利きなどできんだろうが、こいつはすごいぞ――モノは鋼の剣だが、おそらく一流の――いや、超一流の鍛治師が自分のもてる全てを注いで鍛えたような……そんな一振りだ。見る人間が見れば十万でも安いと言うだろうさ」


「……だからってな、父さんの剣でそんな胡乱な商売されちゃたまらな――」


「――わかりました、払います」


 憤るジェイクをまたもシャルロットが遮って告げる。


「ロッテ? 何言ってんだ、そんな金ねえよ!」


「そうだね。お金はない――けどものはある」


 そう言ってシャルロットは懐を探り――そして魔法の瓶を一つ、カウンターに置く


「これは、この瓶は――まさか世界樹の滴?」


「捨て値で売っても十万を下ることはないでしょう」


 シャルロットが取り出したその魔法の小瓶に老人が手を伸ばす。しかしシャルロットが直ぐさまそれを取り上げた。


「剣の対価に足りますか?」


「……いいだろう、儂ならそれを十五万で売れる。後で文句は言うなよ?」


「勿論」


「おいロッテ、お前――」


「いいよ、ジェイクの剣の方がよっぽど価値がある。剣、受け取って?」


 シャルロットはそう促し――そしてジェイクは老人がカウンターに置いた剣を手にした。同時にシャルロットが小瓶を置く。老人はそれをひったくるように手にした。


「これが、世界樹の滴……!」


「取引は成立でいいですね?」


「ああ、後からやめたは通用せんぞ」


「勿論。あなたの方も」


 シャルロットの念押しに頷く店主。シャルロットは満足げに頷き、


「さ、万事解決ね。宿に戻りましょ?」


「万事解決ったって、お前……剣の話だって本当かわからないんだぜ。業物だとは思うけど、世界樹の滴ほど価値があるかは……」


 微笑むシャルロットに、ジェイクは戸惑ってそう告げる。


「何言ってるの? おじさまが遺した剣よ? あんたには大事なもんでしょ。それに――」


「……それに?」


世界樹の・・・・滴が・・入っていた・・・・・小瓶・・と交換だもの。全然痛くないわ」


『……は?』


 シャルロット以外の三人の声が重なる。


「お前、何言ってるんだ? あれは確かに――」


「本物だよ。瓶はね――ねえ、ジェイク。見て」


「あ?」


 ジェイクはシャルロットが言いながら突き出した両の手を見る。ジェイクの目には相変わらずすらりと伸びた白魚のような指に見えた。


「えいっ」


 シャルロットはその手でジェイクの顔を包む。


「ええい、どさくさにまぎれてなにしやがる」


「いいから、ね?」


 さすりさすり。シャルロットは両手で包み込むようにジェイクの顔を撫でた!


 シャルロットの手はすべすべだ!


「どう?」


「……なにが。つか関係ある話してるか?」


「勿論。すべすべでしょ?」


「ああ。ま、あ――」


 答えながらジェイクははたと気付く。


「お前――」


 ジェイクは彼女の両手をつかみ、まじまじと眺める。傷一つない、艶やかな彼女の手――


「リドルさんのとこの網打ちで荒れたのに、前みたいにすべすべでしょ」


「これ、あんだけ網打ったのに――」


「手荒れ酷くて辛かったから、世界樹の滴を水で薄めて塗り込んでたの♪」


「――……じゃあ、あれは?」


 震える指で呆然としている老人が持つ小瓶を示すジェイク。シャルロットはぺろっと舌を出して、


「一月でなくなっちゃったから、天然にがりいれといた。お塩作ったときにでたやつね。手荒れに世界樹の滴使ったって言ったら、ジェイク怒るかなって」


「お前何してるの!? せめてエルフの傷薬の方使えよ!」


「世界樹の滴の方が効き目あるかなって」


「捨て値で十万の秘薬を使ってこの手を作ったってか、ああ?」


「ま、ま、怒らないでジェイク」


 言ってシャルロットは両手でジェイクの顔を撫でた! さすりさすり。


「気持ちいいでしょ? なんとこれがプライスレス!」


 ジェイクの手がシャルロットの顔に伸びる! 母直伝のアイアンクロー! 効果は抜群だ!


「痛い! ギブ! ギブ!」


「男のくせに女の顔を鷲づかみ……こいつただ者じゃねえ……」


 テッドは戦いている!


 ――そして、店主は手の中の小瓶を床に叩きつけた! ガラスが砕ける音が店内に響く!


「詐欺だ! 偽物だと? それじゃあ取引は成立しない! 返せ、剣を!」


「――取引は成立したはずでは? 商人が一度成立した取引をひっくり返すと?」


 シャルロットのターン! なんとかジェイクの手から逃れたシャルロットが、打って変わってとびきり冷たい声で言い放つ!


「ぐっ――商品が偽物なら話は別だろう! 嘘吐きめ!」


「目利きを違えた自分を棚上げして嘘吐き呼ばわりは酷いですね。嘘は言ってませんよ。私はあなたの言葉にはいともいいえとも言っていません。ただ。世界樹の滴は捨て値で売っても十万はくだらないと言っただけ。その真贋については触れてません。あなたが、自分で本物だと目利きして取引を成立させた。私に落ち度はない」


「くっ――この詐欺女!」


「詐欺。この私が? よく言いました――衛兵を呼びなさい。私とあなた、どちらが裁かれるべきかお父様の前で争いましょう」


「お父様……? まさか、お前――」


「……王女の私にお前呼び。不敬罪は――まあ見逃して上げましょう。尊敬は強いるものではありませんし……さあ、早く衛兵を呼びなさい」


「ぐっ……!」


 ずっとシャルロットのターン! 店主は悔しそうに唇を噛む!


「それでも王女か! 卑怯だぞ!」


「私の顔を知っていればもう少し違うやり方もあったんですけれど。もっと、権力に頼ったやり方とか」


「……くそ、行け! 失せろ!」


「取引相手に暴言はいただけませんね。まあいいでしょう、二度と会うことはないでしょうし」


 言いながら、シャルロットはカウンターの上に置いてあった金貨の入った革袋を手にする。


「貴様、それは置いて行け!」


「なぜ? 取引は剣と瓶――これは関係無いでしょう? さ、二人とも。失せろと言われてまで長居する必要はないわ。行きましょ?」


 そう言ってシャルロットは振り返りもせず、王女歩きで店を後にした! ジェイクとテッドがそれに続く。


 ――ジェイクは剣を取り戻した!



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