第1章 旅立ち ④
ジェイクが絞り出すようにそう言うと、母、そしてシャルロットも手が止った。
「……そう。それは王様が?」
「ああ、魔将軍の討伐に行ってくれってさ」
「そう。あなたはどうするつもりなの?」
「行くよ」
「――!」
たまらずシャルロットは立ち上がった! 悲痛な声で叫ぶ!
「おばさま、違うんです! きっとお父様は寝ぼけてて――」
「俺にもルチア様のお告げが下りたんだ。何も違わないよ」
「あんたは黙ってて! ――おばさま、きっとお父様が討伐隊を募って魔将軍を倒してくださいますから、ジェイクが旅に出る必要なんてないんです! だからジェイクの話を真に受けることなんて――」
「シャルロット様、どうかお座りになってください」
母は落ち着いている! 真剣な表情でシャルロットを宥めた!
ジェイクの母が纏う得も言われぬ空気に、シャルロットは言葉を無くし――そしてしゅんとして椅子に腰掛けた。
――母が、静かに告げる。
「ジェイク――そしてシャルロット様。私はいつかこの日が来ることを知っていました」
「え? おばさま、何を――」
「……この子を産んだ時、私と夫ルーカスにルチア様からお告げが下りました。この子はいにしえの勇者の生まれ変わりで、いつか魔王に抗うべく立ち上がる日が来ると。その日までこのことを誰にも漏らさずに、心優しい少年になるよう大切に育てよと。きちんとお告げ通り育てられたか心配でしたが……シャルロット様にそうまで心配していただけるのでしたら、きっとうまくいったのでしょう」
「おばさま……」
シャルロットの瞳から大粒の涙が零れる!
「どうして――そうだ! おばさま、三人で逃げましょう? 魔将軍は他の誰かに任せて、私たち三人で――私、宝石箱から持ってるだけの指輪と髪飾りをとってくるわ。城下町で売ればそれなりの額になるはずよ。私たちが食べてく分にはきっと困らないわ!」
「……そいつは名案だ。で? どこに逃げるんだ? この大陸の北半分は魔王軍の支配下だぜ。中部は最前線――南部の町か? 村か? 王女と勇者の逃亡なんて追われない訳がないだろ。すぐに見つかるさ」
ジェイクが泣きながらまくし立てるシャルロットにそう言う。
「ここから東に漁村があるわ! そこで船を出してもらって他の大陸に――」
「多分、六つの大陸で
「なによ、さっきから否定的なことばっかり――あんた死にたいの?」
「そんなわけないだろ」
「だったら――」
「でも、誰かがやらなきゃいけないことで――その誰かってのは勇者の生まれ変わりである俺なんだよ、きっと」
ジェイクがそう言うと、シャルロットは今なお零れる涙を拭い、
「――ジェイクのバカぁ!」
そう叫んで家から飛び出していった。
シャルロットが出て行って――家の中はしんと静まる。その静寂を破ったのは母の方だった。
「……追わなくていいの?」
「うん……ルチア様のお告げで、俺が戦わない未来の光景を見せられた。アストラは魔物で埋め尽くされてて、母さんは殺されて、ロッテは殺されてなかったけど――魔物に死ぬより酷い目に遭わされてた。あんな未来は受け入れられない。ロッテにどんなに止められたって行かなきゃならないんだ」
「そう……」
「まあ、俺が行ったところで魔将軍を倒せるかなんて全然わからないんだけどさ。やれるだけのことはしようと思ってる。狩りは得意だし、少しは戦えるだろ。俺が出てっても母さんが食うに困らないように王様に約束は取り付けたからさ」
「バカね。いいのよ、そんなこと――ちょっと待ってなさい」
母はそう言うと席を立ち、自分の寝室へ――そして戻ってきたときにはその手に一振りの剣を抱えていた。
それをテーブルに置く。
「これは……?」
「あなたのお父さんは、あなたを勇者として戦わせないために自分が魔将軍を倒すんだって討伐隊に志願したのよ。でもそれが叶わなくて、あなたが戦うことになってしまったらってこの剣を遺していったの」
「これを……」
ジェイクは父の形見の剣を手に取り、抜いてみた! それはごく普通の鋼の剣だった――しかしジェイクは力強い何かを感じた!
ジェイクは鋼の剣を鞘に納めた!
「持って行きなさい。お父さんが使っていた鎧もあるわ。きっとあなたを守ってくれる」
「ああ、そうだな。きっとそうだ」
「……さあ、冷めないうちに食べちゃいなさい」
「うん……」
母に促され、ジェイクは食事を再開する。そして母の様子を窺いながら言った!
「まあ、なんだ……俺が出て行ったら母さんも寂しくなるだろ? 母さんはババアだけど目鼻立ちは整ってる方だし、わがまま言わなきゃ貰ってくれる奇特な奴もいるだろ。なんだったらそういう相手探してさ――」
母の手がジェイクの顔に伸びる! 母のアイアンクロー!
「痛え!」
「私がなんだって?」
母の細い指がさらにこめかみにめり込む! ジェイクはもがき苦しんでいる!
「このっ……ルチア様のお告げが下りた勇者がババア主婦の握力に屈してたまるかよっ……」
「――なんだって?」
「お母様は美人後家なので男がほうっておかないんじゃないかなっ!」
母は満足げに頷いてジェイクを解放した! しかしダメージは甚大だ!
「……俺より母さんが行った方が勝算あるんじゃないか?」
「バカ言ってんじゃないわよ」
「いや、この怪力なら武闘家あたりに転職すればワンチャン――」
「そうじゃなくて」
食事を再開した母が諭すように言った。
「別に寂しくはないよ。あなた、ちゃんと帰ってくるんでしょ? 世界を救って」
「――!」
なんでもないことの様に言うその母の言葉は、別れの言葉を口にしない母の優しさだった。ジェイクは食事をする母の顔を心に刻みつける。
「あ、ああ――勿論さ」
「で? 食べたら出発するの?」
「や、しばらくしたら城から使いの人がくるはずだ。そしたら王城に行って、一度家に寄る。出るのはそれから」
「そう……風邪ひいたりしないように気をつけなさい?」
「夏だぜ、今」
「北の方は寒いわよ、きっと」
「ああ、そうか……途中の町で防寒着でも買うよ」
「うん、そうしなさい」
それきり二人の会話はなく、食事は進み――
城の使いが訪れた。
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