第1章 旅立ち ③

 ジェイクの言葉に、大臣たちが色めきだつ。


「貴様、調子に乗るな!」


「そのような大金、何に遣うというのだ!」


「持ち逃げするつもりに決まってる――王、こやつの言葉を聞いてはいけませぬ!」


 口々に声を荒げ、叫ぶ大臣たち。騒然とする謁見の間――そこに、シャルロットの悲痛な声が響く。


「待って、ジェイクはそんな人じゃない!」


 シャルロットの叫び声に、騒ぎ立てていた大臣たちは静まる。そこに王の言葉が響いた。


「――儂もそなたを子供の頃から知っておる。金を持ち逃げするとは到底思えないが、しかし五十万ゴールドは額が大きい。どうしてその金額なのか――そなたの考えを聞きたい」


 真剣な面持ちで尋ねる王に、同じく真剣な表情でジェイクが答える。


「多いですか? 夫が魔将軍討伐隊として出立するのを見送り、そして今度は隊で敵わなかった魔将軍の討伐に息子を送り出す母に遺す金額に五十万ゴールドは多すぎますか?」


「――その金額全てを母に託すと?」


「や、四、五千は路銀として持ち出すつもりですが、残りは」


 ジェイクは静かに告げる。自分が出て行けば一人きりになってしまう母だが、五十万ゴールドに近い額があれば、無理をしなければ食っていくには困らないだろう。


 ……寂しい思いはさせるだろうが。


「その額を用意していただければ、今日の午後にも出立します」


「……そうか」


 少年の力強い言葉に、アストラ王も口元を引き締める。


「――勇者ジェイクよ、アストラ王の名においてそなたの望みを叶えよう。五十万ゴールドを用意する――ただし、すぐにとは言えない。半日とは言わんが、しばし時間はかかるだろう。それまでに親しい者に別れを告げ、旅立ちの準備を整えるがいい」


「はっ」


 ジェイクは王の言葉にそう返し、破格の金額提示にざわつく謁見の間を後にした。




「――ちょっと、ジェイク! 待ってよ――」


 王城を出た辺りで、足早に歩くジェイクに小走りのシャルロットが追いつく。


「ロッテ、来たのか」

「来たのかじゃないでしょ、本当に旅立つつもり?」


 王城の回りにはお堀があり、城門前には大きな跳ね上げ式の橋が架けられている。その正面には王都――城下町が広がるが、城の左右、背面には広大な土地がある。それらは王国兵の訓練場と農地であり――その一角がジェイクとその母に当てられた農地がある。


 そして王都の食を支える農家は、王城近くの兵舎と並ぶ家屋が割り当てられていた。


 アストラ王都は言うまでもなくアストラ大陸で最も栄えている街である。だが全ての民が豊かな暮らしをしているわけではない。


 アストラ王もできる限りの制度を敷いている。しかし光が行き届かない影もある。食うに困る者もいれば、犯罪もゼロではない。


 王城は王都で最も安全な場所で、そしてそれを守る兵舎の並びに家屋があるのは、家畜や作物を守るという意味において理にかなっていた。


 その城からすぐ近くの自宅までの帰路を追ってきたシャルロットに、ジェイクは短い言葉で答えた。


「ああ」


「なんで? ルチア様のお告げが下りた勇者だから? ジェイクが行かなくてもいいじゃない! 魔将軍だってきっと誰が倒してくれるわ。農民のジェイクが行ってもきっとなにもできないわよ。その辺の魔物に殺されちゃうわ」


「なんだ、心配してくれるのか?」


「当たり前でしょう? 私、あなたのお姉ちゃんのつもりよ? 弟の心配はするわ」


「いや、さっきも言ったがお前はデキの悪い妹としか思えないが」


「王女に対して失礼過ぎない!?」


「……人目がない所ではただのシャルロットとジェイクでいてくれって昔お前が言ったんだ」


 それは、幼いシャルロットの痛切な願いだった。


 一粒種の王女として生まれ、蝶よ花よと育てられた彼女には当然ながら周りに同年代の友人はいなかった。心を開く相手がいなく、世話係の女中に腫れ物のように扱われ――両親である王と王妃は国務で忙しい。


 そんな中、寂しさを紛らわすために一人王城を抜け出して――そして小さなシャルロットは自分の二つ下、同年代の少年と出会った。


 しかしその少年は自分より小さいのに大人のようによく働き――そしてなにより利発だった。


 大人と同じように自分に接する幼子に、シャルロットは心の底から願った。


 友達になって、と。


 それ以来、今まで手のかかる少女だったシャルロットは見違えるように大人しくなった。城を抜け出し、ドレスを土埃で汚して帰ってくることこそ増えたものの、両親や女中たちにも心を開き、明るく、優しい少女になった。


 それが少年との出会いによるものだと知れるのに時間はかからず――そしてジェイクは王女の遊び相手として、畑仕事の合間に王城にも招かれるようになった。


「――っ、大体、おばさまにはなんて言うのよ? ジェイクが出て行くなんて言ったら絶対悲しむわよ」


「だろうな」


「だろうなって――」


 二人が話している間に、ジェイクの家に着いてしまう。


「ただいま」


「お邪魔します」


「邪魔するなら帰れ」


「そうじゃないでしょ。まだ話は終わってないじゃない」


「あら――姿が見えないと思ったらシャルロット様と一緒だったのね? シャルロット様、いつもウチの息子がお世話になって――失礼がないといいのだけれど」


 二人を迎えたのは、中年の女性――ジェイクの母だった。


「いえ、おばさま――お邪魔します」


「だから邪魔するなら帰れって」


 母の脳天唐竹割り! ジェイクの頭に母の手刀が振り下ろされる!


「――女の子には優しくしなさい?」


「……はい」


 効果は抜群だ!


「お昼用意できてるわよ。食べるでしょ?」


「……ああ」


「シャルロット様もよろしければいかがですか? 王城の料理人が作るものとは比べられるようなものではありませんけど」


「いえ、おばさまの作る料理、私大好きです。よろしければ是非」


「あらあら。光栄ですわ――大した物ではありませんが用意しますね?」


 母は嬉しそうに木皿を用意し、鍋から湯気の立つシチューを盛り付ける。新鮮な野菜がふんだんに使われた鶏肉のシチューだ。


「――鶏肉?」


 並んでテーブルに着くジェイクとシャルロット。その二人の前に置かれたシチュー皿を見てジェイクが言う。


「あなた昨夜お向かいさんの仔馬取り上げたでしょ? そのお礼にっていただいたの」


「おお、そりゃ働いた甲斐があるってもんだ。ロッテ、やっぱ帰れ。俺の分の肉が減る」


「絶対食べてくんだからね!」


「大丈夫よ、沢山作ったから」


 母はにこやかにそう言ってシャルロットと自分の分をよそい――そして、三人で声を揃える。


『いただきます』


 シャルロットがこの家の食事に呼ばれるのは初めてではない。特に緊張することも身構えることもなくシャルロットはそのシチューを口に運び、


「美味しいです、おばさま」


「光栄ですわ、シャルロット様」


「シチューだぞ、美味いに決まってる。不味いシチューを作るとかそれもう才能だからな」


「美味しいのなら素直にそう言いなさいよ……」


 ジェイクの言葉をシャルロットが窘め――そしてそれきり黙々と食事が進む。


 ――そして、ジェイクはスプーンを置いて口を開いた。


「――っ、母さん」


「なぁに?」


「……さっき、王城に呼ばれて顔だしてきたんだけど」


「うん」


「――……俺、勇者なんだって。王様にルチア様のお告げが下ったんだってさ」



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