第11話・過去と別れ

 結局、農場で生き残ったのはカンリグとラックだけだった。カンリグは農夫へと戻るため、ラックは別れを告げるため農場へとゆっくりと戻っていった。二人共徒歩であり、結構な時間がかかった。

 ロンスタッドへと向かう途中行商人とわずかな時間を共にしたが、そこで噂話が聞けた。マイカードゥリアンが最北のボウビンシアを陥落させたという噂だ。



「つまり、お前が言っていた通り俺たちは踊っていただけか。もう長話も聞けねぇってのに」

「そうだね……といっても僕たちに何かできたわけでも無いけれど……」



 大陸最北で起きた出来事をどうこうするには、領主にだって当然無理だろう。それどころか王様にだってできたとは思えない。

 おそらくマイカードゥリアンはランシア王国を攻めているという偽の情報をうまく使ったのだろう。ラックの頭で分かるのはそんな程度だ。

 問題はその、そんな出来事で農場の仲間達が死んでいったことだ。交流があったのは生き残ったカンリグと、死んだ長話のソルーンぐらいだったが、ラックには死んだ彼らが不憫でならなかった。



「いずれ、このランシアにも本格的に攻めてくるんだろうか……」



 口調こそ物静かだったが、ラックの臓腑にカッと熱を感じさせた。その時こそ、黒騎士との決着の時だという気がしてならないのだ。それは自分でも理屈の分からない執着心だった。

 ロウファーの北にあるマイカードゥリアンという国自体はどうでもよかった。あの偉丈夫と己が運命で結ばれているということが、叫びたくなるぐらい誇らしかった。


 10日ほどの時間をかけてカンリグとラックは農場へと帰ってきた。なんでも無い出ていったままのよくある農場の姿。カンリグはそこに感じるものがあったのか、瞳を潤ませた。

 一方、ラックの方は特別なにも感じなかった。あまりの無感動さに、自分が人間でないかのようだった。

 二人は大歓迎を受けたが、カンリグがもみくちゃにされている横でスッと場を離れた。藪睨みのカンリグと呼ばれて疎まれていた彼の待遇が良くなることに満足しただけで、ラックはかつてと同じように農場の境である小川を登った。



「先生、ただいま戻りました」

「ほう……生き残ったのはめでたい。だが、戦に対する恐れが無くなった代わりに影を感じさせるようになった……」

「先生を知っている人物と戦いました」



 剣の師はいつものように釣り糸を垂らしていたが、ピクリと乱れが生じた。わずかに息を整えるような呼吸をしていた。



「そうか……会ったか、アンドレアスに。アレは何か言っていたか?」

「剣の錆を落とすこと。後々決着を付けること。それと僕と黒騎士が兄弟弟子であることを」



 ラックは腰に下げていた黒騎士の兜を、師に手渡した。眺めながら過去の物語が短く語られ始めた。



「アンドレアスと出会ったのは儂がまだカーヴィルにいたころだ。自分で言うのも何だが儂は裕福な貴族の出であったが、そうした家に付き物の気風に馴染めずにいた。そこで騎士の名乗りだけを買って、放浪した生活を送るようになった」

「では、黒騎士は先生と同郷……」

「ああ。黒騎士アンドレアスか。全く似合いの名だが、当時の儂には分からなかった。小さな貴族の家のアンドレアス坊ちゃんは、全く欠点の無い少年に見えた」



 黒騎士……アンドレアスにも幼い頃があったという当たり前のことが、ラックにはどうにも想像できなかった。

 しかし、自分と同じように師から剣を習い始めたという理由は分かるような気がした。



「事実、アンドレアスの剣才は確かなものだった。いや、天才的と言った方が良いか。儂が教える剣技を綿のように吸収していった。自分の技量のみに関心があった儂にとって、弟子の成長というものは全く新しい楽しみにもなった」



 ここまでの話の流れからして、苦い思い出があるだろうに老剣士の目は輝いていた。それはとうに過ぎ去った流星を追うような目だ。



「だが次第にアンドレアスの性質が表に出始めた。いや、単に儂には見せなかっただけで元からそうだったのであろう。そこには才気煥発な真面目な少年は無く、傲慢で思い上がった剣士がいた」



 それはおそらく野心と呼ばれる類のものであり、それに付随して現れた支配欲……なのだろう。親なし子として自身を抑制し続けたラックとは正反対の性質だった。



「当然に、そうした態度は周囲の反発を買った。ヤツの父君も気付き始めていたが……既に遅かった。成人した時には、アンドレアスは儂の剣技をほとんど習得し終えていた。そこで当時はよくある悲劇が起こった。父と子の争いだ」



 ラックも幼い頃から老剣士の技を教わっていたが、とても全てを習得したとは思えない。黒騎士との才能の差は明らかだった。



「当時は位の継承にも無骨な風習があった。だが、そこでアンドレアスはやり過ぎた。父を殺めてしまったのだ。幾ら硬骨な気風といえど、それを許す程ではない。そしてヤツは逃走してしまったが……今思えば、それすらわざとだったのかも知れん。父を殺さない程度に収める技量がヤツにはあった」



 親殺し……ここまで境遇が正反対であるとはラックも驚かずにはいられない。ラックには何もなかったが、宿敵は全てを捨てていた。



「しかし、その、アンドレアスがなぜマイカードゥリアンに?」

「それは流石に儂にも分からん。だが小国のカーヴィルより大国マイカードゥリアンで成り上がりたかったのかも知れんな。儂が知っているヤツのことはそれぐらいだ」



 老剣士は釣り竿をしまい、ラックと向き合った。



「儂がアンドレアスに教えたのは素早く勝敗を決める北方派の剣術。お前に教えたのは防と体力に優れる南方派だ。もし、戦うことあらば活路を見出すにはその違いしか無いだろう……ところで言い忘れていたことがあるのではないか?」



 師が黒兜を返してきたのを受け取りながら、ラックは己のことを告げることをすっかり忘れていたことを思い出した。



「僕はロウファーで騎士になることになりました。先生、今まで大変お世話になりましたが……近くを通るときがあれば必ず顔を出します」

「そうか。おめでとうラック。お前は何者でも無いところから、己の名を掴んだのだ。お前の才で最も優れていることは、名前通りの幸運ラックを掴み取る機微があることだ。兆候を見逃さないことを、これからも心がけていけ」

「先生、この剣は……」

「お前にやったものだ。錆剣の由来はよく分かってはいない。だが、戦を経る度に元の姿へと戻っていくことにはもう気付いているだろう。返さずとも良い」



 時は既に暗くなり始めていた。ラックはもう師と会えなくなる気がして、生まれて始めて涙ぐんだ。



「では、先生」

「ああ、達者でな。我が最後の弟子よ」



 ラックは涙が溢れないよう、懸命に努力しながら農場主へと話を付けてその日の内に出ていった。

 幸運を掴む騎士の話が始まるのだ。その始まりは涙であってはならない。

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