第2話・徴募兵

 収穫期を終えた頃、ラックが飼葉を運んでいると農場主ヤヌックの家に騎馬がやってきた。見事な馬で、農場にいる駄馬たちとは別の生き物にさえ感じられた。

 乗っているのは兵士のようで大声でヤヌックを呼んでいた。ヤヌックが出てくると、くるめた麻紙を手渡し、さっさとどこかへ駆け去った。


 これがラックの運命を大きく変えることになるとは、誰も予想していなかった。


 その日のうちに農場の全員が集会場に来るよう伝言が駆け巡った。除外されたのは農場の人間ではないソウズ老人と、子供達ぐらいのものだった。


 集会場は村で一番大きな家だ。かつてはなにかの教会だったともされているが、真偽はもうヤヌックですら知らない。

 まだ暖かい気候だったが、皆がよく見えるよういくつもの火が灯された。中央の大きなテーブルには農場のおもだった男たちが座り、上座にヤヌックが座った。ラック達は壁にもたれかかって話を待っていた。



「領主様から使いが着た……マイカードゥリアンが攻めて来るそうだ」

「戦争か!」



 にわかに壮年の男たちは騒ぎ出し、まだ若い者たちはただ興奮するだけだった。

 戦争というのは農場にとって、極めて恐ろしいものだ。勿論、直接的に踏み荒らされた場合は恐ろしいも何もあったものではなく、全てを失う。

 しかし、そうでなくとも農場の所有・・するものを徴収される。ヤヌックもそれで頭を痛めているのだろう。



「食料の供出はなんとかなる。収穫期が終わったばかりだからな。冬支度は少しばかり無理をすることになるが、ともあれなんとかなる問題は……」

「うちから出す徴募兵ちょうぼへいですね……」



 たくさんのうめき声と疑問の声があがる。農場にとって、人を作業者が減ることの痛手を理解しているものの呻きは年かさの者から、疑問はなぜ無理やり出されなくてはいけないのかという声だ。

 本来、徴募兵というのは志願してなるものだ。だが、領主達は村や農場が当然出すものと思っているし、される側もそれはわきまえていた。



「うちの農場は大きなところではないが、それでも10人は出さなければならないだろう……」



 誰もその10人になりたくはなかった。自分の命が失われるかもしれない恐怖も前提に過ぎない。子供が生まれたばかりの者。両親が老いている者。理由は様々だが、好き好んで戦場に行きたくない者の方が多かった。

 そんななか、ラックはヤヌックに見られていることに気付いた。その理由はなるほど、と思い至る。これは家族のいない自分にとっては必然なのだと悟った。



「一人は僕ですね」



 ラックが口に出した言葉で皆の声が止まった。それはとりあえず一枠は埋まったという少しの安心感と、後ろめたい感情がないまぜになった結果だ。

 ラックにはふた親がいない。ヤヌックも口には出せなかったが、後継ぎであるヤヌックの息子を送るつもりはない。それは全員が理解していた。

 それでもラックは「祭壇に捧げられるヤギの気分はこんなものだろうか?」そうぼんやりと考えただけだった。


 縛りが解けると、集会場の騒がしさはより加熱した。ラックはそれなりに愛されていたし、真面目だった。それが若い身空で志願したのだから、押し付け合いが起こるのは当然だろう。

 次第に面倒になって、ラックは集会場から一旦、外へと出た。まだ涼しいとは言えないが、中の空気よりはずっと心地よい。風が吹くとラックはますますそう思った。


 ラックは先行きのことを考え始めた。真っ先に志願したのは別に愛国心や郷土愛でも無かった。どう話が転んでも自分が行くことは決まりきっていたからだ。親なしというのはそういうことだ。家庭がない以上はどうしても軽く見られる。

 途端に名乗りあげた自分が矮小で姑息に感じられた。そして戦争というものへの未知の恐怖が襲ってきた。修行でそれに耐えうる精神を養っていなければ、叫び声をあげていただろう。


 修行のことを思い出すと、ソウズ老人の下へ自然と足が向かっていた。老人は農場の揉め事など知らないようで、相変わらず小川に釣り糸を垂らしていた。



「先生。相談があるのですが……」

「戦のことか?」



ラックはなぜそのことを? という顔をしたが、言葉には出さなかった。師は釣り糸を垂らしていても、周辺の大抵な事柄を知っていた。



「騎馬の足音。人の熱気。そうした事柄に気をつけていれば、推測はつくものだ。お前が戦に対して不安を覚えていることもな。お前は寡黙だが、よく勘を働かせれば気付くものだ」

「先生は戦に出たことがありますか?」

「随分と昔のことだがな。お前に教えた剣技も、戦場で発揮するには、今言ったことが大事になる。敵は一人とも限らんが、何人も同時に相手にすることは愚かなことだ。上手く一対一にもっていくには周囲をよく知らねばならん……戦というものを教えるには自分で経験しろとしか言えん。だが、できるだけの言葉は伝えよう」



 いずまいを正したラックは師の言葉を頭に焼き付けようと集中した。素朴で見返りが少ない人生を送っているからといって、死にたくはない。



「まず気をつけるのは味方だ。押されて倒れ、踏み潰された者のなんと多いことか。そして、大事なのは足場だ。つまづくのは勿論だが、息絶えていない倒れた兵士が足を掴んでくることはよくある……教えだすときりがないな? 後は……相手の武器をよく見ろ。基本として長いほうが断然有利だ。後は騎馬に乗っている者には、勝ち目がないと思え」



 ソウズの教えは生々しかった。身につけた技巧を活かせる場はまるで無いと言っているようだった。あるいは、それをこそ伝えたかったのかもしれない。


「まぁお前らは木の槍を持って、相手の動きを止める盾にされるだろう。剣なんぞはその次だな。よく気をつけろ。お前がいなくなると話し相手がいなくなって、魚と交換できるものが無くなってしまう」



 随分と遠回りな励まし方だった。最近ではラックもソウズの感情の機微がよく分かるようになってきた。少なくとも孤児の自分にも待ってくれている人はいるのだと、ラックは迂闊にも目が潤みそうであった。



「先生。他の人が決まったら出発することになるでしょう。準備がありますので、こんな別れ方になってしまいますが……」

「ああ、気をつけろ。目と耳はしっかりと開けておけ」



 師の言葉を胸に刻んで、ラックはヤヌックの家へと戻り始めた。私物はわずかだが、それでも持っていく物はある。戦の前に、徴募兵の集合地点までの道のりがあるのだから食料をわけてもらう必要もある。


 戦場に行く前の緊張が忙しさで紛れることだけが、救いだった。

 皆、ラック達が帰ってくるとは思ってもいないようで、道中の堅焼きパンや干物を気前よく分けてくれた。先の戦争で夫を無くしたという老婆は、数回しか話したことがないのにラックの手を握って祈りを唱えた。

 ヤヌックの家では跡取り息子が奇妙な顔をして、ラックを見ていた。自分の代わりに死にに行く人間を見る目は、なんとも言えない不思議な感情がうずまいているようだった。


 ラックが驚いたのは、農場の娘たちがお守りを次々にくれたことだった。風変わりなラックを密かに想っている女性が数人いたのだ。流石に応えるわけにはいかなかったが、自分のような者を好いてくれる人たちがいるというのは胸をいっぱいにさせてくれた。


 結局貰ったもので雑嚢は思ったよりも膨らんで、私物よりもずっと多くなった。

 少なくとも道中は大丈夫だろう。案外に自分がいなくなったら泣いてくれる人がいるかもしれない。不思議な幸福感とともに、ラックは農場の最後の日を過ごした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る