鈴花と泂淵と《蟲招術》 その1


~作者より~


 こちらのSSの時系列は、書籍第2巻の終了後です。


 ネタバレはできる限り避けておりますが、書籍版をお読みいただいたほうがさらにお楽しみいただけるかと思います~(*´▽`*)


◇   ◇   ◇


「あっ! 鈴花! よーやく帰ってきたぁ~っ! おっそーい! もう、待ちくたびれちゃったよぉ~っ! ――いったぁっ!」


「ふぇっ!? け、泂淵けいえん様っ!? だ、大丈夫ですかっ!?」


 牡丹妃ぼたんひ玉麗ぎょくれいのご機嫌うかがいのため、さくと一緒に牡丹宮に出かけていた鈴花が、報告のために珖璉の私室に入った途端、卓についていた泂淵が椅子を蹴倒しそうな勢いで立ち上がった。


 そのまま鈴花に突進しようとした泂淵だが、さっと手を伸ばした珖璉に後ろから衣を掴まれ、体勢を崩して卓に身体を打ちつける。


 がたたっ! と鳴った大きな音に、泂淵の叫びが重なった。


「何するんだよっ、珖璉っ! 痛いじゃないか~っ!」


「何をするんだと聞きたいのはこちらだっ! お前こそ、鈴花に何をする気だっ!?」


 書き物をしていた筆を置いた代わりに、泂淵の背中をむんずと掴んだままの珖璉が、目を吊り上げて泂淵を睨む。


 見惚れずにはいられないほど整った美貌なだけに、険しい顔をすると背筋が凍えそうなくらい迫力がある。


 が、泂淵はどこ吹く風だった。


「もっちろん、鈴花に会えた喜びをあらわすに決まってるじゃないかっ! そのあとは、鈴花の《見気の瞳》についてあれこれ聞いて、この間の事件のこともじっくり教えてもらって、《見気の瞳》で――」


「帰れっ! いますぐ!」


 珖璉が苛立たしげに叫ぶ。


 いつも冷徹な珖璉がこんな風に感情を露わにするのは珍しい。


 泂淵が立ち上がると同時に、鈴花を庇うようにさっと前に出てくれていた朔の陰から、鈴花はそっと尊敬する主の様子をうかがった。


 朔だけでなく、珖璉のそばに控える禎宇ていうも、何かあったときはすぐに動けるようにと身構えて


「やはり、お前を後宮に呼ぶべきではなかった……っ! おとなしく真面目にするというお前の言葉を信じたわたしが愚かだったな……」


 珖璉が額を抑え、「はぁぁぁ~っ」と深いふかい溜息をつく。


 己を責めるような口調は、苦いことこの上ない響きを宿していた。


「あ、あの……っ。泂淵様がいらっしゃるなんて、何かあったんでしょうか……っ!?」


 こう見えて泂淵は術師を統べる名家・蚕家さんけの当主であり、筆頭宮廷術師の地位についている実力者だ。


 先日、ようやく謹慎が解けた泂淵だが、謹慎していた間の仕事もたまっていて忙しいはずの泂淵がわざわざ後宮に来ているなんて、只事ただごとではない。


 また後宮で《蟲》絡みの事件でも起こったのかとびくびくと尋ねた鈴花に、珖璉に衣を掴まれたまま、泂淵が身を乗り出す。


「何かあったって、鈴花に会いに来たに決まってるじゃないかっ!」


「ふぇっ!? わ、私、何かしでかしましたか……っ!?  あっ、それとも、まだ呪具がどこかに……っ!?」


 震える声で尋ねると、「へっ?」と泂淵が目を丸くした。


「まだ呪具があるワケ!? どこどこっ!? どこにっ!?」


「ひゃあぁぁっ!?」


 珖璉に掴まれた衣を引き千切りそうな勢いで迫ろうとする泂淵に悲鳴が飛び出す。


「泂淵! 呪具などないっ!」


「落ち着いてくださいっ、泂淵様っ! おい鈴花! 余計なことを言うなっ!」


 珖璉がもう片方の手で泂淵の肩を押し留めて叫び、鈴花の前に立ちふさがった朔が怒鳴る。禎宇までもが泂淵の腕を掴んでいた。


「すっ、すみませんっ! すみません……っ!」


 わけがわからず、鈴花はとにかく謝罪を紡ぐ。


「だ、だって、お忙しい泂淵様がわざわざ後宮に来られるなんて、理由がわからなくて……っ!」


 おろおろと視線をさまよわせると珖璉と禎宇、朔が何とも言えない微妙な顔になった。


 ぶっ、と吹き出したのは泂淵だ。


「鈴花ったらナニを言ってるのさ〜♪ ワタシが後宮で誰よりも会いたい相手なんて、鈴花に決まってるじゃんっ!」


「ふぇえぇぇっ!? こ、珖璉様じゃないんですかっ!? 牡丹妃様とか……っ!?」


「珖璉はともかく、牡丹妃はけっこうどうでもいーかな」


「ぼ、ぼぼぼ牡丹妃様のことを『どうでもいい』なんて……っ!?」


 驚愕のあまり、気が遠くなりそうだ。


 上級妃である四妃のひとりであり、皇帝陛下の寵愛も深く、いまをときめく牡丹妃にそんなことを言うのは、龍華国広しといえど泂淵しかいないに違いない。


 というか、鈴花に会いたいという意味がわからない。


 意外だったのは、『珖璉はともかく』と、珖璉には会いたいと思っている点だ。


 確かに、珖璉は泂淵に対してはずいぶん気安い口調で話すし、泂淵も同様だ。


 ……いや、泂淵の場合、誰にでも同じ口調という可能性も否定できないが。


 不正を防ぎ、後宮の平穏を守るという官正と、《蟲招術》をよからぬことに使う術師を取り締まる立場の筆頭宮廷術師ならば、協力しあうことも多いに違いないが、珖璉と泂淵のやりとりには職務以上の親しさを感じる。


「泂淵様は珖璉様とかなり親しいんですか……?」


 好奇心に背中を押されて尋ねると、泂淵が笑顔であっさり頷いた。


「もっちろん♪ ワタシと珖璉は幼い頃から――むぐっ!」


 にこやかに答えかけた泂淵の口を珖璉が後ろから強引にふさぐ。


「無駄口を叩くな」


 告げる声は低く、不機嫌だ。


 泂淵は幼い頃から、珖璉とどんな関係があるというのだろう。


 鈴花にはさっぱりわからないが、ひとつだけはっきりしているのは、泂淵の言葉を遮った珖璉は、鈴花にそのことを知られたくないと思っているということだ。


 それに気づいた途端、鈴花の胸がずきんと痛む。


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