せせらぎよりも君の声

真田あゆ

episode1

せせらぎの音。ずっと大好きな川の水が流れる音。誰にも邪魔されるはずのない静謐な空間。僕だけが知っている特別な空間。美しい川の流れだけが僕を知っている。


はずなのに。いつから変わってしまったのだろうか。人の気配がする。


「ねえ。」


ほら声もする。


「あなたに、恋をしました。だから、付き合ってください。」


急にそんな風に言われたらきっと誰だって「は?」と思うことだろう。だから、僕が思わず「は?」と言ったのも必然だと思う。


「いやいやいやいや。は?じゃなくて。返事を言ってよ!」


じゃなかったら何があるというのか。しかも、急に返事と言われて答えられるような強者がいやがるんなら見てみたい。


「えっと。僕は君のことを知らないのでごめんなさい。」


でも、寛容な僕は取り合え文句なしに答えてあげた。


「私はあなたのことを知っているので大丈夫です。」


この人は、僕と話をする気があるのだろうか。本当に僕を好きなのだろうか。全くそうとは思えない。さて、どうしたものか。と考え得るが何も思い浮かばないので、逃げることにする。


「え、なんで逃げるの?」


「え、なんで逃げないの?」


あまりのトンチンカンな質問に素で質問を返してしまう。知らない人に声をか  けられたら、逃げる。一般常識だろう。この子、頭のネジ抜けてんの?


「私が自己紹介してないから逃げるの?」


いや、してても逃げますけど。意味わかんないし。


「じゃあ、教えてあげよう。」


「いえ、結構です。」


「なんで⁉︎」


「いや、興味ないんで。」


「ははっ。そういうとこ大好き」


いや、マジでこの子何言ってるかわからん。拒否られて「好き」っていう人初めてみた。もう本当に逃げよう。


「待って待って待って。私の名前!棗 優希!いちおう君のクラスメイト。君は知らないかもしれないけど!君の好きなところは、優しいところと真面目なところ、センスいいところとその他!趣味は映画鑑賞。5月1日生まれのB型。」


いや、別に聞いてないし。というかクラスメイトだったんだ。棗さん?へえ


「教えてくれえてありがとう。おかげで君に付けられた”不審者”というレッテ


ルは払拭されたよ。おめでとう。でも、君は僕のこと何も知らないだろうか


ら、君とは付き合わないよ。」


「知ってるよ。」


知ってるって、所詮名前と俺の出席番号くらいでしょ。


「違う。いっぱい君のこと知ってるよ。4月6日生まれのA型。趣味は読書。よく行く場所は、図書館。甘いものが好き。辛いものも好き。でも、苦手。シングルマザーのお母さんに育てられた。お兄さんがいる。小説も好きだけど漫画も好き。雨の日になるといつもより不機嫌になる。中学生時代にあったことがきっかけで他人に興味を持たなくなった。いや、持てなくなった。か。」


さも、「知ってるでしょ?」と言いたげな顔でこっちをみてくる。


それよりも彼女は何故俺の中学時代のことを知っている?誰も知っている人がいないはずの学校に入学するためだけに上京してきたのに、どうして知っている人間がいる?


「私は、あなたと同じ中学校にいた。あなたが私を助けてくれたのに、もう忘


れちゃったの?一ノ瀬 樹くん。」


「あ。」


思い出した。僕がこうなったきっかけ。助けられなかった女の子。彼女だ。どうして今まで忘れていたのか。彼女は、誰よりも僕を知っている。僕よりも。


「思い出してくれて嬉しいよ。樹くん。」


心からの笑みを浮かべて言う。


憎くないのか。僕のことが。


「憎くないよ。大好きだよ。助けてくれたもん。」


違う。助けてない。助けられてない。


「そんなことない。助けてくれた。三上さんは、恨んでるかもしれないけど」


ほら、助けられてない。嫌な思いをさせたままだ。癒えない傷を残した。僕が生き残っても、別に喜ぶ人なんていないし。そのままほっといてくれればよかったのに。そんな偽善、自分を苦しめるだけだ。


「違う。私が君のことを好きだから、率直にいっただけ。」


そう。だから?僕には、関係ないよ。君が僕のことを好きでも僕は君のことを好きじゃない。好きになってはいけないから。


「誰が決めたの樹くんはそうやってすっごく自分を傷つけてるけど、君は助けこそすれ、傷つけてなんていない。君は、ちゃんと私を援護してくれた。それで十分だよ。三上さんだって、樹くんに助けられたことに変わりない。」


そんなことない。僕は逃げ続けていた。僕がどんなに小さくてもいいから勇気を持って、三上さんか奴らに声をかけていればこんな状況にはならなかった。


「今日はね、ほんとは君にきて欲しいところがあってそのお誘いに来たの。


君がここに通ってるのは昔からのことだから知ってるし、君のことが好きなの


も本当。ねえ、別に死ぬのは今日じゃなくてもいいんじゃないかな?どう。君


がそういう風に罪の意識を感じているのなら、私に罪滅ぼしをする気はないか


い。」


君はそうやっていたずらっ子のように笑うけど。僕には君に返せるだけの笑顔がないんだよ。そんな権利持ち合わせていないんだ。でも、もしそうすることが君のいうように君への罪滅ぼしになるのなら。喜んで馳せ参じよう。


「仰せのままに。棗さん。」


「酷い人だなあ。君は私が君に昔のように”優希”と呼んで欲しいことを知って


いるくせに。」


呼べないよ。君を傷つけた僕には呼べないよ。


「呼びなさい。罪滅ぼしの一環として。」


そういう風に言われると、抗えないことを君は知っているだろう。

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