今朝の夢から
Kojitomo
第1話
太陽はただ眩しい強い光の塊ではない。引力と熱と色も与えてくれている。光のない闇はただ暗いだけじゃなく、目を瞑るのも違う、上も下も右も左もわからないぐらいの漆黒なのだ。
夢の中だと気付くのはいつも色がないところからだ。夢の中では自分の言動も思い通りにはできない。知らない景色や人なのに、夢の中の「私」はどこに行って誰に会うのか、知っている。目線も俯瞰になっても違和感はなくて、現実のルールが通用しない。だけど、最初は夢だとは気付かない。リアルな質感や感情はしっかりあって、現実だと思い込んでいて、気付くと普通にあるはずの重力や温度や色がないのだ。もちろん痛みもない。あるのは、いつか感じたであろう感覚のみ。その感覚の程度が大きいか小さいか人それぞれ違うだけ。すべては頭の中での出来事。見える空にはまぶしい太陽や優しい月があって、その光でどこまでも世界は広がっている。
これは夢か。そうであってほしい。
気付くと周りはなにも見えない黒い闇の中だった。上のほうが一瞬点滅したような気がした。顔を上げると深く黒い空とうすい灰色の雲の間から白い星が見える。しかし、星だと思った光は消えてはまた光る。点滅する光の中でゆっくり自分の手を確認する。手は動くけれど、立っている足元は怖いほどの深い黒だった。そして普段は着ない白いワンピースを着ていた。
「こんな服持っていないのに」
違和感とともにぶわっと純白の煙が一気に迫ってきた。
(こわいこわいこわい)
咄嗟に手で煙をかきわけながら、足を動かした。前も後ろもわからない漆黒の闇の中、私は走ろうとした。とにかく急いで逃げなくてはいけない。
(イヤだイヤだイヤだ)
やっぱりうまく動けない。もう他のことなど考えられないほど不安で頭がいっぱいになる。
「なんで? どうして?」
つい声に出てしまう。心臓が耳元で大きく脈打つ、胸が苦しい。背後からゆっくりと確実に純白の煙がすぐそばまで来ていた。喉の奥がきゅっと締まって苦しくなって、その場にうずくまる。地面からも純白の煙が這ってくる。怖くなって居た堪れなくて、寝転んだまま上を向く。
空には私の不安とは正反対に、灰色の雲がゆっくりと動いて、晴れると今度は月が見えてきた。白いと思っていた月は黄色で、光は青かった。真っ白の煙は月の青白い仄かな光で、より輪郭をはっきりとさせ、まるで生き物のようにゆっくりゆっくり私に被さってきた。
手と足の感覚が無くなって、なんとなく冷えてくるようだった。重くて力がはいらない。強い圧迫感で目が覚めた。
流れる涙、全力疾走したあとのような心臓と呼吸。雫を拭おうとして、手がさっき見た夢と同じようにうまく動かせなかった。よく見ると指先はどの指も硬直して曲がったままだった。かろうじて親指と手首が動く。
もしかしてと、布団をめくろうとしたけど、思ったより布団が掴めない。なんとかめくって足を動かしてみる。私の足はそこにあったが、自分の意思で足先も足首も膝も動かせない。
うまく動かない手で触ってみると足は少し冷たくて手の温かさは感じた。また涙が出てくる。
私は夢であってほしいと、大声で泣きながら、なんでこんなことになったのか、思いだそうとしていた。
また、目を開ける。
今度は暗いけれど見慣れたカーテンといつもの自分のふとんとひやっとした静かな自分の部屋だった。心臓はドキドキしているけど、涙はまだ出ていない。でも、泣きそうなくらい悲しかった。いつもの枕とふとんの気持ち良さを感じたけれど、とても眠くて身体が重たくて動かない。耳元で鳴っている規則正しい心臓の音しか聞こえない。ふとあの白いワンピースは病院の服だったんだと気付いた。
今度は車イスに乗っていた。太陽の日差しが強いようで、長いスロープを上がっている車イスと私の影はくっきりと濃い。頭から汗も流れていた。またワンピース着ている、ということは病院なんだろうか。
ここまで来るのに大変だった。
(手がうまく動かないから、腕もだるい。歩いたらすぐの場所なのに。とても時間がかかった。)
くらくらする頭でそんなことを考えていた。
(それも今日で終わらせやる。)
スロープの上まで上がりきって、景色を見ることもなく、俯いて息を整えると躊躇することなく、自分で車イスを前に動かして、目下に連なっているコンクリートの階段へ落ちていく。
スローモーションのように、車イスが固いコンクリートに当たる衝撃と回っていく青空とモクモクとブロッコリーのような木々の緑と自分の肩や頭の骨への鈍い感触があまりにも鮮明でびっくりして、はっと勢いよく目が覚める。
吐き気がする。でも痛みがないってことは夢だったと冷静になった。すぐ寝たからさっきの続きだろうか。寝返りをして横を向き耳を枕にあてると、心臓の音が強くて胸が痛いほどだった。なんて夢なんだろう。衝撃がリアルすぎて気持ち悪い。
まだ暗くて壁にかかっているいつもの時計が見えない。朝ではないことはわかった。
気持ち悪さが消えるように仰向けになって、深呼吸を繰り返えす。ぎゅるぎゅるとお腹が動いた。今度はぶーーっと長めのおならも出た。スッキリしたら、可笑しくなって安心してきた。
ここはいつものふとんの中で私はまだもう少し寝れるんだと思うとまた安心できた。大きく深呼吸をして、身体中に空気を入れるようにできるだけゆっくり繰り返す。肺で酸素が血液に乗って心臓を通って、身体中の血管を巡って、二酸化炭素と入れ替わってまた心臓に戻って肺に行ってピンクの血になってぐるぐる巡っている所を想像していたら、また眠くなってきた。
じーっとこちらを見つめる目と穏やかな顔をしている人、近い。私はベッドに座っていた。見覚えのある白い壁に白いベッド。そしてワンピースを着ているってことは病院なのかもしれない。また戻ってきたようだった。
この人は誰なんだろう。それなりに近くにいるのに、彼の目線は動かず合っていなかった。どうやら目が見えていないようだった。誰だったけ? 向こうにも椅子があるのに、私のベッドの端に座っているってことは親しい人なんだろう。
そうだ、こないだ自販機の前でお金落として困っていたんだった。うまく動かない手で私も必死でお金拾って...。断片的に車イスから見上げたにこやかな横顔を思い出す。
「なに?どうしたの?」
とても優しい声だった。穏やかな表情。一緒にいて安心しているがわかる。とても心地よくて、私たちはいつもこうやって話をしていたんだろう。お互いがこの状況に慣れているのがわかった。
私は本当に見えていないのか興味津々で、合わない目を見つめてみた。瞳にキラキラ動く光が大きく広がっていた。振り返ると窓いっぱいに花火が広がっていた。綺麗に大きな何重にも重なった円を描いてキラキラと消えていく。私は嬉しくなって声をかけた。彼は花火の光に照られて、少し困って笑っていた。
私は窓を開けようと手を伸ばしたけれど、思うように動けなかった。動かない足を両手で持ち上げてなんとか動かし、窓を開けた。花火の音に窓ガラスが振動する。夜の風はカーテンを少し揺らした。外の景色は怖いくらい真っ暗でどこなのかまったくわからなかった。
「で、秘密ってなんなの?」と彼に聞いた。
私はなんでそんなことを聞くのか、わからなかったけど、スラスラ言葉が出てきた。
「......。」
しばらくの沈黙のあと、穏やかな表情は消えていて、さっきとは明らかに雰囲気が変わっていた。彼は少し震えた手をゆっくりと差し出した。私はその手をまっすぐ広がらない自分の手の平に包んだ。
私はその手の感触を知っていた。温かいけれど手袋のようなゴツゴツした大きな手。どこかで。どこで?握った手に力が入る。
彼は私の手を自分の左側頭部に引き寄せた。指先に明らかに髪の毛とは違う、でこぼこした皮膚が広範囲にあった。びっくりして思わず手を離そうとする。しかし、握り返されて今度はきつく抱き締められる。彼の肩ごしに白い壁に反射した花火の色が赤になった。部屋じゅうが赤に染まり、強い光でできた影は怖いほどの黒だった。
どくんと心臓が耳元で鳴りはじめ、喉の奥がきゅっと締めつけられて息苦しい。私は込み上げてくる何かに怖くなって彼にしがみついた。
それは、私の頭の中に入ってきた映像。ひとつの視点から見ている先に人が銃で撃たれて倒れる。暗闇の中で拳銃の閃光の度に早送りのように場面や景色が変わっていくけれど何人も撃たれてるのははっきりわかった。
覗いているひとつの視線の先で照準を合わせる。なのに、誰かに銃を向けられて、目が合ってしまった。いままでそんなことはなかったのに。その瞬間、背中の毛が逆立ち全身が強ばった。驚きと恐怖で目を瞑りながら感覚のない指先で引き金を力いっぱい引く。目を開けると相手の頭から赤い血が出てきて倒れる。見ていられなくて目線を外すと、すぐ横を見ると隣にいた男の人が撃たれていた。ひとつの視点は急いで撃たれた場所を探す。男の人の左胸から血が出ていた。何も持たず素手で上から止血しようと押さえつけた。血はどんどんと出てきて止まらない。男の人に腕を引っ張られて、耳元で何かつぶやいた後、押し出される。ひとつの視線はゆっくり立ち上がり、その場から走っていく。わかっているように階段や路地裏のような狭い道をすり抜けていく。
走っている間、撃たれた男の最期の言葉を繰り返す。
「逃げろ逃げろ逃げなきゃ」
一言一言つぶやく度に、髭の生えた横顔といつか繋いだゴツゴツした大きな手の温かさを思い出された。涙で前がよく見えない。何かにつまずいて転ける。初めて涙が流れていたことに気付いた。拭おうした手に乾いたたくさんの血が付いていた。
「なんで......、どうして......」
虚しさでもう動けなかった。顔を上げることもせず、そのままうずくまり、声を上げて泣いた。居た堪れなくなって空を見上げた。涙で空の色も月がどこにあるのかも、わからなかった。そして強い白い光と強い衝撃とで、映像は真っ黒になった。
私は押し寄せてくる映像と感情にびっくりして、しがみついていた彼から力いっぱい離れる。改めてその見覚えのある顔を見つめる。そしてもう一度、左側の前髪をあげて側頭部を、震えの止まらない手で触る。でこぼこした大きな傷あとがある。
「...なんで、......どうして?」
すべての記憶が繋がって、発狂しそうだった。嗚咽とともに流れてくる涙のひとつひとつを感じながら、覗いているひとつの視点は私自身であり、何人も殺していたのは私であり、そして初めて目が合った後、私が頭を撃った人は、目の前にいるこの人だったと気付いた。
「いつから、私を私だと知っていたの?」
彼は目を閉じて大きく息を吐いて話だした。
君を殺すため銃を向けた。
お互いに殺すことが当たり前の世界で、自分が生きるために誰かを殺してきた。それは君も同じだった。あの時、初めて目が合った時、もうここで終わっていいと思った。そして君も終わりにしてあげたいと思ったんだ。たぶんずっと前から願っていたことだったのかもしれない。だから銃を向けた。
頭を撃たれて、やっともうこれで終わったんだと思った。けれど、意識が戻ってしまった。でも、目が見えなくなっていて、記憶も曖昧で、なんでこんな怪我をしたのか、自分が何者なのか、何も覚えていなかった。そして、君に出会ってしまったんだ。俺が見えていないことも忘れて話しかけることも、自分も不自由なのに一生懸命助けてくれることも、目は見えないけれどいつも楽しそうだった。でも気配が消えるほど静かな時もあった。いま思うと気配を消すことは俺たちの必須だったんだ。消えている気配も目が見えなくてもわかってしまうことも、身体に染み付いた名残だったんだ。
記憶をなくしていたあの時間は本当に幸せだった。何も知らず君が俺自身が誰とか関係なく自由だった。
でも、今夜の花火の爆音や火薬のにおいで、記憶が蘇ってきてしまった。身体がそれを忘れていなかったからだとつくづく実感した。だけど目が見えなくなって、もうこれで誰も殺さなくてもいいんだと思うと、ほっとしていた。君が殺す相手だとわかった今も、君を殺すことができなくて、心からほっとしている。
話を聞きながら、圧倒的な記憶と後悔に押し潰されそうだった。ずっと言いたくても言えなかった言葉があった。嗚咽も止まらないまま溢れてくる言葉。
「......ごめんなさい。」
復讐の螺旋は消えず受け継がれてきた。そうすることが正義であり、「普通」だと思っていた。恨みや怒りだけの世界。殺すことを正当化し、殺されないために、誰かを殺してきた。
謝ることも、省みることも、敬うこともしなかった。そうやって育ってきた。
だけど、他の同世代の女の子は、殺すことも殺されることにも怯えることもなく、平和に笑っていることに気づいてから、誰かを殺してまで生きている自分に矛盾を感じていた。そこまでして自分に生きる価値があるのか、と。
記憶がなくなって、初めて殺される恐怖から解放されていた。何者でもない私の身体を心配してくれて、一人で動けるように手伝い見守ってくれる優しい人たちの中で、私はありとあらゆる感情を取り戻していった。
だけど、この不自由な身体を恨んだ。なんで自分だけこんな目に合うのか、怒っていた。でもそれは私が持ち合わせていた「普通」な感覚だった。障害を受け入れられず、怒って、悲しんで、否定して、落ち込んで。この悲観的な思考から解放されるのは「死」しかないと思った。階段から落ちてみた。でも、結局死ねなかった。残ったのは小さな擦り傷だけだった。
白いベッドの中でうずくまりながら、何かに負けてしまうようで悔しかった。もう私には逃げる道はない。もうこの身体で生きていくしかないのだ。
太陽の光も届かない谷底があるなら山頂もあるはず、この不自由な身体で、いくら時間がかかってもそこまで登ってみたいと思った。
私たちのいた世界は光のない真っ暗な闇だった。しかし、私たちは出会ってしまったのだ。闇がなかったことにはできない。これからずっとお互い同じような闇を抱えたまま、それでも私たちは生きていく。すべてが共有できるわけじゃない。光が満ちている平和な世界で、自分自身を見つけた。引き換えに自分を育てた人たちを亡くしたとしても、私たちは生きていくのだ
これから私たちにできること、それは、苦しめられるすべてを恨むことより、後悔するより、責めることより、すべてを
波が引くように、すっと目が醒めた。
外はさっきより明るくなっていた。いつもの部屋でふとんの中で手足を動かしてみる。感じる柔らかいシーツの感触が、さっきまでの悲しみが、現実のものではないことに気付かせた。
いつもそうなのだけど、夢の中で動くことも走ることも話すことも、覚める時も自分でコントロールできるわけじゃない。そもそも夢は入眠と覚醒の間に見るたった15分ぐらいの幻覚なのだ。
悲しみや胸がいっぱいになるほどの決意も、まだそこにあったけれど、もう眠くなかった。
夢はいつも起きるとその記憶がなくなっていく。5分もすると忘れてしまう。ケータイなんてみたらすぐに忘れてしまう。
ため息をつきながら起き上がると、涙が出てきた。流れる涙の温かさを感じながら、目を閉じると泣いていた記憶が一気に甦る。ああ、もうヤバい。こうなってしまうと、もう忘れることはできない。ふらふらとトイレへ行ってみたけど、やっぱり記憶が残っていた。
私は、何もなかったかように、コップに水を入れてゆっくり飲み込む。口の中に冷たさと喉を通っていく感触のひとつひとつがすべて現実のものであることに、安心していた。
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