ドラゴンと姫

狭倉朏

ドラゴンと姫


 王城を赤々と照らす炎の中、姫君は刃物をそのか細く白い首へと向けた。


 しかしお供の者たちが涙ながらにそれを押しとどめた。


 姫君は多くの腕にとどめられながら反論した。

 

「死ななければなりません」


 その声は凛としていた。

 

「私が死ねばすべて済むことなのですから」


 多くの涙に囲まれながらも、姫君の目には涙の一粒も浮かんでいなかった。


 なんと気丈なことだろう。

 

 父王と母君を失い、ただ一人遺された王家の血筋である彼女は、王城の広間で終わりの時を待っていた。


「どうか、離して……」


 姫君の言葉を遮るように悲鳴が上がった。

 

「来ました!」


 皆がそちらを注目する。


 火焔を撒き散らす赤いドラゴンが、通路の壁を巨体でなぎ倒しながら、こちらに向かって突撃してきていた。


「さあ、死ななくては!」


 姫君が語気を荒げる。


 しかしお供の者どもはその動きを押しとどめ続けた。


「どうかどうか。生きてくださいませ。姫様……!」


 ドラゴンは一目散に姫君に向かう。


 その道中で控えていた家臣たちが炎にまかれて事切れた。


 そして姫君の周囲にいた十人ばかりの家臣もなぎ倒される。


 一瞬のことだった。


「ああ……っ」


 凄惨な光景。身近な者たちの最期に、姫君の顔にようやく苦悶の表情が浮かんだ。


 しかしもう彼女をとどめる者はいない。


 彼らのあとを追うのに時間はいらない。


 ドラゴンさえ、いなければ。


 ドラゴンの咆哮が姫君の真正面にぶつかる。


 姫君は身をすくめた。


 ドラゴンの咆哮が空気を揺らし、姫君の体を震わす。


 刃物はその震えに耐えきれず取り落とされた。

 

「死ななくては……ならないのに」


 姫君はその意識を喪失した。




 姫君が目を覚ますとそこは火山であった。


 地面が熱い。


 横たえられていた頬が火傷したのかもしれない。


 熱く、痛みがあった。


 ここがドラゴンの住処なのだろう。


 彼女はそう直感した。


「火口に参りましょう……」


 そこに身を投げよう。


 他にめぼしい凶器もなく、ドラゴンの姿すらなかった。


「……死ななくてはならないのだから」


 すべてを失って尚生きる姫君はそう決意しよろめきながら立ち上がった。


 あちこちが破れた見る影もないドレスを引きずるようにして彼女は上へ上へと歩き出した。




 進んだ先、火口の近くにドラゴンは座していた。


 ドラゴンの下にはどこから集めてきたものか金銀財宝が敷かれていた。


 金銀財宝は角張って見るからに痛そうだったが、ドラゴンの分厚い皮の前ではどうということもないのかもしれない。


 そしてその中に鏡のように磨き上げられた宝石箱があった。


 王城の襲撃とともにドラゴンに盗まれたのであろう見覚えのある宝石箱だった。


 ドラゴンは真っ直ぐ宝石箱を姫君の前に差し出した。


 姫君は腹の底からのむかつきを覚えて顔をしかめた。

 

「……やはりそれが狙いだったのですね」


 だとしたら、姫君は死ななければいけない。


「……どうしても、私に『笑え』というのですね」


 ドラゴンと意思の疎通が出来るとは思っていなかった。


 しかし姫君の目にはドラゴンが頷いたようにも見えた。


 それは姫君の心が見せる錯覚だったかも知れない。


「愚かなこと……」


 家族や家臣を失った姫君が笑えるなどと思うとは、知性のあるわりに情のない獣らしいもくろみだった。




 まず、ドラゴンは前足で金銀財宝の中から果実を差し出してきた。


 姫君は首を横に振る。


 ドラゴンは果実を火口に放り投げた。


 次いでドラゴンは宝石を差し出してきた。


 姫君は首を横に振る。


 ドラゴンは宝石を金銀財宝の中に戻した。


 相手が獣とは言えだんだんと腹が立ってくる。


 このようなもので今の自分を笑わせようなどと、よくも思えたものである。


 最後にドラゴンが差し出してきたのは人間の首であった。


 王城で事切れた家臣たちの首が三個ばかり姫君に差し出された。


 さすがの姫君も息をのんだ。


 怒りと悲しみで声が震える。


「……貴様、貴様、どうしてよくも」


 彼女に力があればドラゴンに掴みかかっていただろう、そういう怒りが姫君の中を駆け巡っていた。


「ああ……そうか、そういう……ふ、ふふふ」


 姫君は理解した。

 

「くっ、ははは……!」


 思わず姫君は笑ってしまった。


 このドラゴンにとって姫君の愛しい人々の骸は戦利品。


 歓喜のアイテムであり、すなわち笑いのためのアイテムになりうるのだ。


 対する姫君の笑いは戦利品を前にした歓喜の笑いなどではもちろんない。


 愛しい人たちの骸をそんな風に扱うドラゴンへの怒りと、その行為の滑稽さへの笑いだった。


 しばらく乾いた笑い声を上げていた姫君だったが、その顔から一瞬で表情が抜け落ちた。


「ああ……ごめんなさい……笑ってしまった(・・・・・・・)!」


 姫君の顔が苦悶に歪む。悲鳴のような叫びで己れの行為を悔いる。


 次の瞬間、宝石箱が開かれた。


 巨万の富と光と幸福とそして災厄のすべてが詰まった国宝の宝石箱。


 王族の血を引くものの笑顔を映すことでのみ開かれる魔法の宝石箱。


 その宝石箱に姫君の笑顔が映ってしまった。


 たとえそれが苦悶に満ちた怒りのあまりの笑顔でも、笑顔は笑顔なのだ。


「――――――――!」


 ドラゴンが咆哮する。


 それが喜びの声だと姫君にも理解できた。


 宝石箱から溢れる宝石の波にドラゴンは埋もれる。


 ドラゴンは喜びの咆哮を何度も上げる。


 その顔はしわに囲まれ表情が読みづらいが、恐らく笑っているのだろう。


 先ほどの姫君と同様に笑っているのだろう。


 畜生のごとき生き物に宝石の何が必要なのか姫君には分からない。


 理解したくもない。


 しかしドラゴンとはそういう生き物なのだという。


 財宝を集める習性があるのだという。


 そうして集めた財宝をドラゴンがどうするかなど姫君は知らない。


 光り物に集るカラスのようなものだろうか。


 どちらでもいい。


 もうどうでもいい。


 宝石箱の中から溢れるのは財宝ばかりではない。


 遙か昔に王族の祖先が封印した災厄がその底には眠る。


 人への災厄。


 それがもたらすのはありとあらゆる災い。


 その鍵を彼女は開いてしまった。


 死に損なったばっかりに。


 姫君は氾濫する財宝に近寄り、探した。


 ドラゴンは姫君の行為を気にも留めない。


 しばらく探して、それを見つけた。


「ああ……今となっては何の意味もない……それでもこれがせめてもの罪滅ぼし……」

 

 光る宝剣。財宝の一つ。今の姫君にとっては何よりの宝。


「……お許しください」


 何への嘆願だったのか。


 もはや姫君を止めるものはなく、そのか細く白い首に刃物は突きたてられた。




 ドラゴンの住まう火山からは時折、女の笑い声がする。


 それは風の吹く音のようであり、山鳴りのようでもある。


 そしてそこには災いがある。


 病気、妖魔、呪詛。


 ありとあらゆる悪がその火山にははびこっている。


 人よ、近付くことなかれ。


 たとえそこに数々の宝物がドラゴンとともにあることを知っていても。

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ドラゴンと姫 狭倉朏 @Hazakura_Mikaduki

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