黒、白、そして青

チクタクケイ

あなたが幸せならば

上 変化


 僕は死ぬのかもしれない。

 寒すぎる夕暮れ時。スラムの片隅で惨めに座り込む僕は、きっと凍死する。いや、そうなるに違いない。

 ……今日は、少しだけいい事があったはずなのに。一応の住まいである小屋の、屋根替わりのベニヤ板がそろそろ限界だった。だから瓦礫の山を漁っていたら、良い感じのトタンを見つけて。

 だけど、他のヤツに奪われてしまった。更には、思い切り顔を殴られた。素直に差し出せばよかったのに、雨漏りが気がかりでつい拒否してしまったから。

 冷たい石畳と堅い外壁、そしてジクジクと痛む頬。それらにどんどん生気を吸い取られるような感覚。惨めで惨めで堪らなくて、両目からボロボロと涙が零れる。涙を流す気力はまだあったらしい。

 僕はいつもこうだ。少しでも嫌な事があると、小枝レベルの耐久性しかない心がぽっきり折れてしまう。そして意味もなく涙を流す。『みみっちい事を引きずりすぎだ』と呆れられた事は数知れない。けど、それでも僕の心はすぐに曇る。今の曇天にだって負けないぐらい濁ってしまう。

 どうせ、この国では僕に生きる価値はない。薄汚れたスラムで、痩せっぽちの僕なんかが息絶えるなんて、そう珍しくもないのだから。あぁ、死ぬ――。

「何してんだハナタレ」

 前方からの呆れ声。鼻を啜りながら、ぼやけた視界のピントを声が聞こえた方に合わせる。

 すると、目の前では長い付き合い(腐れ縁ってヤツ)であるジルが此方を見下ろしていた。彼がいつも身に着けているゴーグルのレンズ越しから見える銀の瞳は、今日もキラキラ輝いている。僕の錆色とは大違いの綺麗な色。

「僕はもう死ぬんだ……」

「はぁ?」

 最期の言葉として、今日の不幸をジルにぽつぽつ語る。

 けど、話を吐き出し切った途端、いつも通り溜息を吐かれた。

「馬鹿か。ったく、いつまで経っても甘ったれだな。この前、大人数にボコられても生きてたお前が、たかがその程度で死ぬわけないだろ。大体、それぐらい――」

「殺してでも奪い返せ? 君が昔、やったみたいに」

「……服、穴開いてるぞ。だから言ってるだろ、みみっちい事で泣くなって」

 話を逸らしたジルは、僕の胸元に目をやる。確かに、元からボロっちい服が涙によって穴だらけだ。

 人間に見られたら、驚愕されるか怖がられるんだろう。けど、此処には僕みたいな害しか生まないバケモノか、ジルみたいに種族の特異な能力を人間に危惧され、迫害された亜人しかいない。だから、此処の住人からしたら普通の光景。

 住人のほとんどは、迫害して此処に追いやった人間を嫌っているらしい。僕は人間との交流があまりないから、恨む理由がイマイチピンとこないし、ジルは人間との混血だからか、そんなに嫌ってないけど。

「死ぬなら屋根の下で死ね。今日は雨が降る。腐敗して膨れ上がったお前の死体が道端に転がっているなんて真っ平御免だ」

 踵を返したジルは、この街では珍しい上等なコートを翻すと、狼の獣人らしい無駄のない足捌きで行ってしまった。

 僕が惨めな気持ちになっているとパッと現れて、そしてすぐにパッと去ってしまう。ジルはそんなヤツだ。此処の大人達は彼の名前を聞いただけで震え上がり、子どもは彼みたいに上等な服を手に入れられる強い大人になりたいと憧れる。僕は、彼とはいい思い出がないのであまり尊敬はしていない。もう十年は経つ付き合いの所為で今更恐れも抱けないけど。

 殴られたからか、くらくらする頭を押さえながら立ち上がると、あっさり僕の体は動いてしまった。僕の体が貧弱だったら良かったのに。そうすれば、意味もなく生き永らえずに済むのに。

 一度そんな事を考えてしまったら、もう駄目だ。僕の心は再び曇り、みみっちい事を考えてしまう。もう少し愛想がよかったら、話すのが上手だったら、ジルみたいに知恵が回ったら。

「危ないですよ」

 今の気候とは真逆の夏風みたいな声に、はっと我に返る。どうやら、ずるずる歩いている間に労働者が住む歯車街に移動していたみたいだ。

「こんな人通りが激しい所で、ぼんやりしていては駄目だよ」

「ごめん、なさい。リントヴルム、サン」

 人間の中でも下層階級の人々が住む街とはいえ、流石に穴ぼこのボロを着てたら悪目立ちするので、縮こまるように道端に寄った。

 まぁ僕に注意した、丘の上にある街に住んでいるんだろう身綺麗な人間……もといリントヴルム、さんも、かなり目立つけど。

「いやいや、事故を未然に防げて良かったです。今日も良い天気だね、少年」

「曇り空、ですけど」

「ははは、君と出会えた事で僕の心は晴れやかなんですよ」

 大仰な仕草が、どこか違和感を覚える人間。それに唯々僕は首を傾げる。

 変な人間だ。偶に歯車街で残飯漁りをしていると、必ず話しかけてくる。上層階級の人間からしたら、スラムの住人なんてゴミ置き場で蠢いている屑のはずなのに。

「今日も残飯漁りかい? 体を壊してしまうよ。そこの屋台でサンドイッチでも奢ってあげましょう」

 ぴっとリントヴルムさんが指差した方から漂うのは、香ばしい匂い。

 それにつられて、以前ジルによって口の中へと押し込まれたサンドイッチの味を思い出した。

 ゴミ箱から掘り返したカビだらけのカチカチパンとは違う、ふわふわもちもちのパンと、それに挟まれた不思議な味のオムレツ。飢え過ぎて一歩も動けなかった自分にとって、この世のモノとは思えない食べ物だった。ジルによると、歯車街で最近流行っている異国由来のサンドイッチらしい。

「えっ、……と、お腹減ってないし、いい、です」

 口の中でじゅわじゅわと溢れている涎を零さないようにしながら、首を横に振った。

 心惹かれる提案だ。けど、本能的にこの人を信用するのは、良くないと思った。

「そうですか? じゃあこれをあげよう。今夜は雨が降るらしいからね。体を冷やさないようにするんですよ」

 僕に真っ黒な傘を押し付けたリントヴルムさんは、くるりと踵を返して行ってしまった。その態度によって断れなかった僕は、ただ呆然と小さくなっていく彼の背中を見送るしかなかった。

 そうしているうちに、僕のそばかすだらけの鼻頭にぽつりと冷たいものが落ちる。

 ぽつぽつ、と周囲が濡れていく。慌てて傘を開く頃には、天候は完全に崩れた。

僕がムダに大きな傘を差して突っ立つ間にも、労働者達は帽子や上着を雨具代わりにして、忙しなく移動していく。またモクモクと煙を上げる工場に戻るんだろう。

どうしてずっと働くんだろう。……なんて、底辺の自分が考えたって意味がない。すぐに忘れて、住処に戻るとしよう。早くしないと、雨漏りでベッドが濡れてしまうかも。

 この雨だと、流石に外に出ているスラムの住民はいなかった。当たり前のように活動している労働者達の方がおかしいんだ。

 いや、それよりも今夜の寝床だ。そればかりが気になって気が急く。だから、誰もいないのをいい事に水飛沫を立てながら走った。……走ろうとした。


「どちらへ、向かっていらっしゃるの?」


 偶に聞こえる、教会の鐘の音に似た清廉な声は、走り始めようとした僕を止めるには充分な要素だった。

「ね、どちらに、向かっていらっしゃるの? この雨で、誰もいないから、わたくし困っているの」

 上品な、聞きなれない言葉遣い。癖で俯いてしまう顔を恐る恐る上げて、その言葉を発する主へと視線をやって……――――。




 月が、僕の目の前にいる。

 ぱたりと、雨が止んだ。僕の片手にあった傘も、ぱたりと地面に落ちた。





「ここは、どこなのかしら。たしか、以前訪れた時は、銀狼族が統治する森があったはずなのだけれど、随分と様変わりしてしまったのね」

 雲の合間から、月明かりが差込む。それによって、目の前にいる彼女の長い髪が、星屑を散らした夜空のようにキラキラと輝いた。

 人じゃない存在だと、本能的に理解した。だけど、ジルみたいな、何らかの種族じゃない。

 まるで、僕みたいな。

「……ここは、塵芥じんかい街。人間に必要じゃなくなったモノを捨てる、ゴミ箱。君みたいなのが、いていい場所じゃ、ない」

 どうにか彼女に警告をしたが、真上にある満月のような穏やかな微笑みは変わらなかった。

「『君みたいなの』って、どんな?」

「君は、綺麗だよ。まるで、本のお姫様みたいな君は、こんな最下層じゃなくて、上層にいるべきだ」

 笑顔を絶やさないどころか、クスクスと笑い声をあげた彼女は、僕の方に近付いてくる。

「本のお姫様って、どんな方なの?」

「綺麗な服を着ていて、笑顔が可愛くて、皆の、人間達の人気者で……。……ダンス、そう、大きなお城で、ダンスを――⁉」

 細っこくて真っ白な手が、僕の傷だらけの手を掴んだと同時に、僕の体は、辻道の中心へと誘われた。

「どんな歌が、お好き?」

「えっ?」

「情熱的な歌? 悲しい歌? それとも、優しい歌?」

「や、優しい歌」

 咄嗟の回答にさえ、笑顔を見せてくれる彼女は、不思議な足運びをする。その動きに合わせて、ヒラヒラした彼女のドレスが揺れる。

「お姫様じゃなくても、お城にいなくても、踊れるわ。さ、踊りましょう」

「無理だよ、踊ったこと、ない」

「いいのよ。肩の力を抜いて? ダンスは、楽しむものよ。分からないのなら、簡単なステップを、教えて差し上げましょう」

 彼女が踊り方を丁寧に教えてくれたけど、変な足運びはとても難しい。僕の踊りは明らかにヘンテコだろう。

だけど、それでも彼女は優しい歌を奏でながら、一緒に踊ってくれた。

「わたくしには、上層どころか、この世の何処にも、居場所なんてないの」

「僕にもないよ。スラムの、はぐれ者。塵芥の中でも、何の役に立たない本物のゴミ」

「まぁ。そんな風には見えないわ」

「まさか。こんな汚くて、何も出来なくて、その日食べる物の調達で手一杯なのに」

「わたくしは、あなたが自由に見えるわ。とても、羨ましい」

「そうかな。何も手に入れられなくて、いつも死にかけているけれど。まぁ、バケモノだから、死にやしないけどね」

「手に入れる手段が、分からないのね。わたくしは真逆。決められたモノだけ、手に入れる方法を与えられてしまったの。皆を幸せにするよう、生まれたから」

「たしかに、僕と真逆だね。僕は、皆を不幸にする方法しか教えられなかったよ。そのためだけに生まれたから」

 彼女の声は、優しい。その声で奏でてくれる歌は、遠い過去を淡く思い出す。此処に住み始めるより以前のことは、本当はあまり思い出したくないのに。なのに、この歌はとても素敵だと思った。

「その歌はどこの歌? この辺りの言葉じゃ、ないよね。君の故郷とか?」

「わたくしには、故郷なんてもの、ないわ。大昔訪れた、レンオアム帝国の、子守歌よ」

「レンオアム? そんな国の名前、初めて聞いた」

「この国に滅ぼされた国ですもの。知らなくても、仕様がないわ」

「君は、外国、ってヤツに行った事があるんだね。僕はほとんどの日々をこの街で暮らしていたから、羨ましいや」

「そう、転々としていたわ。ちょっと前までは、あなたの言う上層にいたの。けれど、嫌になって逃げてしまったのよ」

「上層って、毎日温かくて美味しい食事と、雲みたいなふかふかの寝床があるって聞いたよ? それって、君にとって嫌な事?」

「わたくしは、人間じゃないもの。ただ、椅子に座って、人間の『ご主人様』に、微笑みかけるだけ。お屋敷を飾り立てるための、鑑賞物。食べ物がなくても、生きていけるから、温かい食事はないし、眠らなくても、平気だから、ふかふかのベッドもない。沢山装飾された、ドレスは貰えても、歩くために必要な、靴は貰えなかった」

 ふと、彼女の足元へ視線をやると、細い足首には似合わない鉄輪があった。真っ白な足が動くと、端に僅かに残っている鎖の残骸がぽろりと地面に落ちて、乾いた音を立てる。

 この街に、また一つゴミが増えただけの珍しくない光景。なのに、なぜだか虚しい。

「君は居場所が欲しいんだね」

「そうよ。だから、銀狼族の方にお会いしたいの。昔、銀狼族の族長が、困った時には、銀狼族がいつでも味方になると、約束して下さったから」

「知り合いに、銀狼族のヤツがいるよ。会いに……あ、でもアイツは神出鬼没ってヤツだから、どこにいるのか分からないや」

「その方の、おうちは、どちらなの?」

「彼は……ジルは、塵芥街の外れにある銀の森で暮らしているんだ。あそこは、入らない方が良いよ。昔、人間達が焼き払った月舟の森の、ほんの僅かに残った場所らしいけど、焼け死んだ銀狼族の呪いで、ジル以外のヤツが入ると雷に打たれてしまうんだって。雷は、とても痛いよ。僕でも三日は動けなかった」

「そうなのね。風の噂で、火災があったと聞いていたけれど、そんな事に、なっていたなんて……」

 明るい星空みたいに輝いていた瞳を暗くさせた彼女は、パタリと止まる。パートナーの僕も、勿論その場で停止した。

 歌も途切れたから、当然周囲は静まり返る。その、シンとした雰囲気に堪えられなかった僕は、彼女の瞳にもう一度星屑を散らしたくて、口を開く。

「明日なら、ジルに会えると思う。だから、僕の住処で待ってればいいよ」





 ジル以外の誰かが、住処にいるなんて初めてだ。

「素敵なおうちね」

 ジルだったら押しかけて来た途端に情け容赦なく占領する椅子に、僕が勧めてからやっと遠慮がちに座った彼女は、物珍しそうに小屋の中を見渡す。

「本が、沢山あるのね。お好きなの?」

「うん。空腹とか、惨めな気持ちとかを忘れさせてくれる、いい暇潰しになるんだ」

 けど、そういう時に限ってジルが襲来してくるんだよな。ついでに食料を持ってきてくれるのは有り難いけど、調理は僕に任せて、文句ばかり言うから困るんだ。

 『スラムの底辺が本読んで何の意味があるんだ』っていつも煩いけど、そもそも読み書きを教えてくれたのは、ジルなのに。

「素敵ね。わたくしも、本は好きよ。作った物を遺そうとする生物達の努力の証は、とても興味深いもの」

「そうだね。ここにあるほとんどは、人間が作った本ばかりだけど、人間はすごく沢山の事をゴチャゴチャ考えていてすごいなあって、読む度に思うよ」

「五百年前から、この国で魔法を使う人間が、減り始めているからだわ。人類が叡智だけで生きていける事を、証明したいのよ。その努力は、素晴らしいけれど、とても親切な銀狼族のような、高度な魔法が使える存在を迫害するのは、間違った努力ね」

 ほんの少しだけ顔を顰めた彼女は、膝の上に置いた手をぎゅっと握り締めた。皆を幸せにするよう生まれたらしい彼女には、ジルのような存在が迫害されている現状が、我慢ならないんだろう。

 だけど、はっと気恥しそうに口元を押さえた彼女は、すぐに元の微笑みを取り戻した。

「いけない、もっと、素敵な事を考えなきゃ。えぇっと、そうね……、名前! あなたの名前を、まだ尋ねていなかったわ」

「僕の、名前? 僕の名前は、ニ……」

「に?」

「じゃなくって、エーギル。僕の名前はエーギル」

 初対面だったジルに『だっせぇ』と酷評されたトラウマが蘇ってしまい、ついジルから代わりに与えられた名前を名乗ってしまった。全く、これだから僕は弱虫泣き虫意気地なしだと皆にバカにされるんだ。

「君の、名前は?」

「あ……、ないの。周りの生物は、好き勝手に色んな名前を付けてきたから、あなたも、お好きな名前を付けたらいいわ」

「えっ、……マーニ。マーニはどうかな」

「北部地域の伝説に出てくる女の子と一緒ね。素敵な名前をありがとう。じゃあ、今日から私の名前は、マーニね」

「うん。あ、寒いよね。ストーブを――」

 初めてのお客様(ジルはノーカウント)をもてなす準備をしようとしたのに、タイミング悪く外からドアを殴る音が聞こえてきた。壊れるから強く叩くのはやめてくれって毎回言っているのに。

 ドアを開けると、コートのフードを被ったジルがやっぱりいた。

「雨が酷くて森にいられない。だから明日までは此処が俺の寝床だ」

「そんな横暴な」

「はぁ? 拾ってやった恩も忘れたのかよ」

「こういう時にすぐ恩着せがましくなるヤツだよ君は」

「うるせぇ。……おい、誰かいるのか?」

「あっ、ちょっと!」

 手に持っていたトタンを僕に押し付けたジルは、無遠慮に住処に入ってくる。これだから狼ってヤツは。感覚の鋭さですぐにバレてしまう。

「……なんだコイツは」

「もしかして、銀狼族の方? えぇ、そうね、間違いないわ。族長のカイン=フレキ様にそっくりだもの」

 珍しくゴーグルを外して、マーニを凝視するジルの表情はかなり険しい。けど、その不愉快そうな顔に対して彼女はとても嬉しそうな様子だった。

「おい、雨漏りしてるぞ。さっさとそれで補修してこい」

「え、けど」

「いいから、出ろ」

「わたくしと二人っきりでお話したいみたいよ。彼は恥ずかしがり屋さんなのね」

 盛大な舌打ちに急かされた僕は、仕方なく外に出る。手早く終わらせようにも、再び雨が、しかもさっきより酷く降り始めた所為で、補修が完了する頃には結構な時間が経ってしまった。

 慌てて屋根から降りて中に戻ると、机を隔てて向かい合う二人は黙って椅子に座っていた。

「あぁ、エーギル。とても、濡れているわ。傘を持って行かなかったのね」

「だ、大丈夫だよ。こんなのすぐ乾くから」

 そういえば、丈夫そうな傘を貰ったばかりだった。マーニの事で頭が一杯になって、すっかり忘れていた。

 濡れただけなのに、とても心配してくるマーニに狼狽えていると、唐突に鈍い音が小屋内で響き渡った。

「机蹴らないでよ。君の馬鹿力で壊れる」

「世間知らず共の会話で虫唾が走ったんだ」

「無頼漢め。ここの物は、全部僕が直したり作ったものなんだから、壊したら流石に怒るぞ」

 僕の警告に返事さえしないジルは、机に脚を乗せてふんぞり返った。もうこうなったらダメだ。食事を出さない限りは沈黙し続ける。そうしてうやむやにされてしまうんだ。まったくもう。

 溜息を吐きつつ、僕とジルを代わる代わる見ながら不安げにするマーニに改めておもてなしをすることにした。

「着替えた方が良いよ。外に風呂場があるんだ。シャワーを浴びて体を温めてきて。あ、着替えはそこの木箱の中から体が合いそうな物を選ぶと良いよ」

「お風呂場があるの? 暖房もあるし、本当にここは素敵なおうちね」

「本を頼りに作っただけだよ」

「それは、とてもすごいことよ」

 僕のやる事を何かと称賛してくるマーニによって恥ずかしくなり、彼女に着替えと傘を押し付けて外の風呂場に案内した。

「……アイツをどうするつもりだ?」

 余所から来たマーニがよっぽど気に食わなかったらしいジルは、僕と二人きりになった途端に会話をする意思を見せてくれた。珍しい。いつもなら沈黙し続けるのに。

「どうって、マーニがこの街に住む気なら、その意思を尊重するべきだよ。彼女、居場所がないんだって」

「アホか。あんな得体の知れないヤツ、上層の街に追い返して来い。もともと上層で上手くやれてたんだろ。あのナリなら、道に突っ立てば上手いこと趣味人に拾われる」

「ダメだよ。人間を簡単に信用したらいけないって常日頃から君が言っているじゃないか」

「それとこれとは話が別だ」

「別じゃないよ。僕と彼女は同じなんだから」

「馬鹿なヤツらの所為で生まれちまった、害しか生まない怪物のお前とアイツが一緒? 笑わせんな。いいか? アイツは俺達とは一線を画す存在なんだぞ」

「それぐらい、分かってるよ」

「分かっちゃいない。あの女、族長だったカイン=フレキと知り合いで、そいつと俺がそっくりだって? カイン=フレキは銀狼族の始祖だぞ。生きていたのは三千年も前だ。あれは亜人でも、勿論お前みたいなバケモンでもない」

「魔法使い、とか? たしか、魔法使いは永遠に近い寿命だって聞いた事がある」

「違うな。魔法使いが人間に化けたバケモンってとこはアイツと同じだが、魔法使いはまだ人間の臭いがする。アイツは――」

「彼女が何者かなんて、どうだっていいよ。彼女を追い出す気はない」

「やめておけ。あんな得体の知れない女、いつかヤバい事になるぞ」

「いやだ。僕だって、自分自身のことは何も知らない。何も知らなくても、君はこの小屋を与えてくれたじゃないか」

「お前は無知のままでいいんだよ。だけど、」

「いやだって言ったらいやだ‼」

 衝動のままに、机に拳を叩きつける。直後、そこそこ厚い木材で作ったはずの天板が鈍い音を立てながら割れ、ジルの足置きと化していた机は倒れた。

感情任せになるとこうだ。だから怒るのは嫌いなんだ。僕の周りに存在する全部が簡単に壊れてしまう。

「……エーギル、おまえ」

「どうせ、彼女がこんなスラムには住みたがらない事ぐらい分かってるよ。けど、僕は彼女と話していて、とても楽しかった。こんな楽しい時間を、もっと続けたいと思ったんだ」

「そうかよ、……好きにしろ」

 溜息交じりにジルが人差し指を振るうと、壊れてしまったはずの机は元通り。純血の銀狼族と比べたらしょぼい魔法しか使えないと言っているけど、それでも普通の人間と比べたら十分すごい。僕なんて、塵一つ動かす事だってできないのに。




「今日は、とても楽しい日だわ。誰かと一緒にお喋りしながら食事をするなんて、三千年ぶり。しかも、一緒にこうやって横になるなんて、初めて。わたくし、知ってるわ。こういうの、お泊りパーティーって言うのよ」

「パーティー? すごいや。僕、生まれて初めてパーティーってヤツに参加してる」

パーティーという言葉は、目が冴えそうなぐらいワクククさせてくれた。人間がやるものだとばかり思っていたから、こうやって僕達がベッドに寝転がるだけでやれるものだとは知らなかった。

「馬鹿みてぇ」

だけど、マーニを隔てた先にいるジルだけは呆れた声で悪態をついてくる。

「まぁ。どうして、そんな乱暴な口を利くの? やっぱり、カイン=フレキ様にそっくりね。私が素敵な気持ちになっている時に、呆れ顔で今のような事を仰るところが特に!」

「始祖様がどんな気持ちでアンタの相手してたのかよく分かるぜ。……おい、狭いぞ、そっちに寄れ。もしくはベッドから降りろ」

「いたっ⁉ 蹴らないでよ! というか僕のベッドなんだからジルが降りてよ。君が一番体が大きい所為で狭いんだよ」

「なら、わたくしが降りるわ。寝なくても大丈夫ですもの」

「マーニはいいよ。お客様なんだから。だけどジルは普段森の地面で寝転がってるんだから、床でもいいだろ」

「てめぇ…………」


 あぁ、楽しいな。ずっとこんな日が続いたらいいのに。



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