第41話 その手を取れば
♠
文化祭前日の夜。
この日、怜はまたしても手伝いを頼まれたということで学校に残り、その間に俺は部屋で二人分の夕食を作って彼女を待つ。
静かな部屋の中で。
怜の私物だらけになったこの部屋で。
二つ並んだ歯ブラシやコップを見ながら。
彼女の帰りをじっと待つ。
「ただいま」
「おかえり、怜。遅かったな」
「うん、明日からは文化祭だもん。みんな気合入ってて」
「そっか。じゃあ早く寝ないとだな。風呂入ってるよ」
「ありがと。奏多君、大好き」
帰ってすぐ、キスをするのはお決まりだ。
今となっては、彼女が俺にストーカーをしていたと思っていたあの頃が黒歴史に思えるほどで。
すっかり彼女に夢中だった。
「じゃあ、一緒に入ろ?」
「いいの?」
「うん、一緒がいいなあ」
「わかった」
甘えんぼな怜。
ちょっと嫉妬深い怜。
でも、そんなところも可愛い俺の彼女、怜。
彼女との生活は、それはもう幸せで。
夢なんじゃないかって思うくらいに満たされていて。
でも、彼女の柔らかい身体もあたたかい体温も、全て幻なんかじゃない。
それを確かめるように今夜も彼女を抱いて。
一緒に眠りにつく。
◇
「おはよう綾坂さん」
翌朝。
早くに学校に着くと、既に文化祭モードになっている学校の校庭にはテントや出店が並ぶ。
そして多くの生徒が仮装したり早速何かを食べながら歩いていたりと、にぎやかなお祭りムードに染まっていく。
「楽しそうだな、文化祭」
「うん、あんまり派手にやらないって訊いてたけどやっぱりいいね」
「怜も何か食べるか?」
「じゃあフライドポテトでも買おうかなあ。奏多君は?」
「俺はそこのコーヒー買うよ」
「ブラックだね」
「ああ」
二人で買い物をする時も、ずっと手をつないだまま。
店をやってる生徒たちからも「いいねえ、熱いねえ」と冷やかしを受けるがそれも心地好くて。
もう、怜がいない日々なんて考えもつかない。
想像もできない。
これからもずっと怜を離さないし、離れたくない。
はは、なんだよ楽しいなあ。
怜は最高だ。
俺、こいつに好きになってもらえてよかったよ。
はは、ほんと、幸せだ。
♥
あはは、奏多君の表情、最近すっごくよくなったなあ。
難しそうに考え込む顔も好きだったけど、やっぱり笑ってる彼の方が素敵。
考えるのをやめたんだね。
うん、それがいいよ奏多君。
私が一つずつ、貴方の記憶を埋めてあげるから。
待っててねー、奏多君。
♠
「そろそろ劇の時間だ、怜」
「そだね。体育館いこっか」
午前中、多くの人で賑わう学校の文化祭の雰囲気を楽しみながら、演劇部の出し物の時間が近づくと体育館へ。
少し早く到着すると、舞台の上では男子二人が漫才をやっていて。
微妙に滑ってるような空気を出しながらも、最後にいいオチがついてドカンと体育館が盛り上がる。
そのあと、パイプ椅子に所狭しと座っていた生徒がぞろぞろと出て行って。
また、ぱらぱらと別の生徒が入ってくる。
女子ばかりだな。
まあ、演劇なんて男子は興味がないのか、それとも演劇部の友人ばかりが集まってるのか。
女子ばかりの空間に少し居心地を悪くしながら最前列に怜と座ると、彼女が隣で爪を噛む。
「……」
「どうした怜? 友達の舞台だから緊張するのか?」
「……まあ、そうかな。あはは、まあいいや。見てから考えよ」
そう言って。
彼女は前のめりになっていた体を起こす。
黙り込む彼女は少しばかり不機嫌にも見える。
女子が周りに多くてイラついているのだろうか。
「えー、それでは続きまして演劇部による……」
アナウンスが流れる。
そして舞台の幕が上がると、制服姿の女の子と、学ランで男装した女の子が向かい合っている。
さっそく劇が始まるようだ。
まず、男子役の女の子が言う。
「お前は誰だ? 俺はお前なんか知らない」
どうやら、記憶喪失の男子が主人公のようで。
続いてセーラー服の子が言う。
「私はあなたの幼馴染だよ? なんで覚えてないの?」
なるほどなるほど。
幼馴染を忘れてしまった男子と、それを待つ女の子の話……。
なんだろう、この設定に見覚えがあるけど。
「俺はお前なんか知らない。嘘をつくな」
「なんでなの? 私はずっとあなたを知ってるよ。クラスのみんなも覚えてるじゃん」
「あれもお前が言わせてるに決まってる。いい加減にしろ」
「なんでなの? あなたのお母さんだって知ってるでしょ?」
「そ、それは……」
「記憶なんてなくていいよ。私はずっと、貴方を愛してるから」
「……そ、そう、なのか?」
「ええ、だからこっちに来て。私の手をとって」
「……」
「待て!」
そこに、もう一人が割って入る。
大人の男性の恰好をした子だ。
「この女が言ってることは全部嘘だ。騙されるな、こっちにこい!」
なんだなんだ?
つまりこの女の子が言ってる話は全部嘘で、男は騙されてるって。
……なんだこの違和感は?
「この女は学校中の人間を使ってお前を騙してる。堕ちたらダメだ。戻れなくなるぞ!」
「な、何をいってるのか僕にはさっぱり」
「さあ、こっちにこい」
おじさんの恰好をした生徒が手を差し伸べると、バーンと照明が落ちる。
そして、
「え?」
俺がスポットライトに照らされる。
その後、舞台にもライトが当てられて、男子役の子も、ヒロイン役の子も、みんなが俺を見て、言う。
「お願い、私たちの手をとって!」
これは、観客参加型の劇、なのか?
戸惑いながらも、思わず立ち上がってしまった俺は思わず怜を見る。
すると、暗闇の中からその大きな目をこちらに向けて。
「奏多君は、どっちをとるのかなあ」
と。
笑う。
ニヤッとして、暗闇から白い歯がこぼれる。
「ど、どういうこと、だ……」
突然の出来事に慌てる俺に対し、なぜか怜だけが冷静で。
舞台にいる子たちも、客席のみんなもなぜか焦っている様子で。
そんな中で怜が一言だけ。
俺にだけ聞こえるような声で言う。
「奏多君は、私のこと愛してるもんね」
そう言って、立ち上がり。
皆の前だというのに、キスをされた。
「んっ!?」
「ん……ねえ、私のこと、好きだよね」
「と、怜……あ、あの、これは」
「私は嘘なんかついてないって、昨日わかったもんね。ねえ、奏多君」
「あ、ああ」
「だったら言って。その手は取れないって。はい、マイク」
なぜか、どこからか持ち出してきたマイクをそっと俺に渡す。
するするっと俺から離れた怜は、再び席に着くと、足を組む。
俺は、何が何なのか刷らわからない状況のまま。
マイクを通して言う。
「俺は、き、君たちの手を、取れない」
そう話した瞬間だった。
客席の一人が「きゃーっ!」と悲鳴をあげて走り出す。
すると客席の生徒たちの数人が出口に向かっていき。
しかし皆、出口のところで止まる。
「あ、開かない? な、なんで」
「早く開けてよ! ヤダ、私ヤダよ!」
「訊いてたのと違うじゃない! どうなってんの!」
パニックだった。
薄暗い体育館の中で、女子たちの悲鳴がこだまして。
舞台にいる人間はみな、膝から崩れ落ちる。
「ど、どうなってんだこれ……」
「あーあ、せっかくの文化祭が台無しだねえ。奏多君、ちょっとこっち来て」
「う、うん?」
俺は怜に呼ばれて体を近づける。
すると耳元で怜が囁く。
「おやすみ」
首元にチクリと何かが刺さったような感触と共に。
目の前が暗くなった。
♥
「あー、残念だなあ。みんないい子だと思ってたのになあ」
観客の数人と演劇部の五人。
私が用意した以外の人が紛れてたからおかしいなって思ってたけど。
裏切りが多いなあ。
人望がないなあ私って。
だからお金で買える信用なんてあてにならないんだよねえ。
「こ、こないで綾坂さん!」
「あはは、奏多君をそっちに引き込んで、彼に被害者代表として警察にでも訴えてもらう計画だったのかな? でもダメだよー、彼はもう私にメロメロだからー」
「や、やめて! お願いだから痛いのはもう」
「だったら最初から言うこと訊いておけばよかったのにね。あははは、痛い痛いで済むかなあ? 今度は死んじゃうかもねー」
「ひ、ひっ……」
壁際に追い込まれた連中の怯えた顔を見ていると、うんざりする。
こいつらの親に仕事をあげて、借金も全部チャラにしてあげて、それでいて大学まで保障してあげてもなお言うことがきけないゴミばかりで。
頭が悪いというか、まあクズみたいな親から生まれた子なんてそんなもんなのかなって。
みんな、私のことを悪魔みたいな目で見てくるけどさあ。
あんたたちみたいな寄生虫に飯食わせてあげてるのが誰か知ってるのかなあ?
「さ、みんなお仕置きだよ? えへへっ、ちょっと血が出たらごめんね」
「……わーっ!」
一人が、私めがけてとびかかってきた。
ほら。
自分が悪いのに人のせいにして。
私を殴り飛ばしてチャラにしようって?
無理。
死ね。
「ぎゃあーっ!」
「あはは、スタンガンって便利だよね。軽いし、電圧もすぐ変えれるし。もう少し強くしたら、死ぬのかなあ」
倒れた一人を見て、またしても悲鳴が大きくなる。
泣きながら、まるで今から死ぬみたいな顔で、いかにも自分たちが被害者だってツラしてこっちを見てくる。
でも、被害者は私なんだけど。
よくしてあげたのに裏切られて、辛いのは私なんだけど。
ねえ、私の方が辛いんだけど。
「お願い、殺さないで!」
「あ、綾坂さん! 私はもう逆らわないから、だからどうか」
ねー。
クズほど、自分のお願いばかり主張してくる。
まず、自分たちがやるべきことをやってからお願いしろって話なのにね。
しかしまあうるさいなあ。
黙らないかなこいつら。
もういいや、一人ずつ痛めつけようと思ったけどみーんな眠らせてから考えよっと。
だって。
「奏多君が起きちゃうでしょ」
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