セブンスター SILENT SMOKE





 ようやく火傷をせずに、五本の指の間にセブンスターを挟むことができるようになったその日に、観覧車が止まった。客たちの吐いた溜息で、曇天が余計に曇って見えた。



「きらきら光るお空の星、一本どうだい?」



 定番の売り文句も、覚えた指さばきも。今日は効果がない。

 墓石のように押し黙り、ぽてぽて俯いて去る客たちを見送っているうちに、煙草はじりじり焦げて、灰に変わって短くなった。こうなってはやむを得ない。ゴミとなったそれを灰皿に押し込んでいると、後ろから知り合いが話しかけてきた。


「きみも商売上がったりだな」

「本当に。一体何があったんだ、ジョージ?」

「どうもこうもない。ユーリが言うには、また窓が割れやがったんだとよ」


 失望の言葉を並べる代わりに、肩をすくめてみせた。今年に入ってもう三度目だ。知り合いは着ぐるみを脱いで、ぱたぱたと顔を手で仰ぎながら言う。

「設計士が怠慢なんだ。重量オーバーなんて言って、曇り止め装置をケチるから、こうなる。てっぺんで何も見えなくなりゃ、そりゃ客もガラス叩くってもんさ」

「だからって、こう緊急停止ばかりじゃ困る」

「そりゃそうだけど」


 まともに見上げれば三日は首が痛む大観覧車——それがここの唯一にして一番の目玉なのだ。客はこぞってそこからの眺めを見て、あとは適当に流して帰る。煙たい街を上から見下ろすのは、従業員としての贔屓目を抜きにしても、なかなかどうして愉快なことだ。


「やあ、親愛なる従業員たち!」


 立ち話に興じていると、この区画の管理者で、オーナーの実の息子でもあるピーター・ジェイムズ氏が、ずんずん歩いてきた。遊園地ここのスポンサーは大手煙草会社ロバートソンなので、管理者といえば当然皆、エリート中のエリートということになる。


 この国では昔から、賢い子供に対して、「果ては官僚か煙草会社勤めか」と言うものだ。


 その言葉を体現する生き証人としての誇りと共に、氏は、事あるごとにその優秀さを振りまいてみせる。おまけにかなりのヘビースモーカーときてもいる。全く模範的としか言いようがない。

「こりゃあどうも、ピーターさん。お客がみんな帰っちまいましたね」

「ハハハ! ジョージ、その通りだ。僕も非常に遺憾だが、きみたちこそ災難だったね。特に今日は、ニコラスのキャラメルフレーバーが良い仕上がりだったのに」

 俺の手から漂う甘い残り香を嗅ぎながら、ピーター氏が言った。

「いやいや、そんな。恐縮です」

「ハハハ、謙遜しないで! 全く完璧な香りだよ。もしまだ今日の分が残ってるなら、今からシアターに行って、お客さまに振る舞ってきてくれないか。あそこには固定客が多いから、観覧車が壊れたくらいで帰ったりしないのさ……ジョージ、きみは上がっていい」

「わかりました」

 かくてしがない煙草配りの俺は、シアターへ向かう。黒いサスペンダーで吊ったズボンのポケットに、キャラメル風味のシガレット数箱、メッキの剥げかけたライターを入れ、陽気な口笛を吹いて歩く。憂鬱を吹き飛ばすように。


 敷地中の広告が、5メートルおきに目に入る。


 壁のポスターに、街灯のフラッグ。粋なピアノとトランペットが奏でる曲に混じって、誘いかけるのは若い女の声。または老いた紳士の声。


[まだを吸ってるの?]

[ロバートソンの煙草、浄化された毎日]

[フィルターがリニューアル!]

[安心で安全な受動喫煙をあなたに]


 園内の静寂も相まって、安直に欲がうずいた俺は、そそくさと自分用の安煙草を取り出し、火を点けた。至福の一本を手に見回せば、煙の中にもぼんやりとアトラクションが見えた。キャプテン・ジャックのトレジャーハントでは、出入り口に立ついかつい船長の人形が、溶岩を投げる動きを繰り返している。ガイドポールにつけられた電飾がチカチカと光り、ライフル銃の音が鳴る。ゴールドラッシュの洞窟はその反対側でひっそりと佇み、土産屋の軒先には、Tシャツにプリントされたカートゥーン・ゴーストが不気味に揺れていた。


 

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