第22話 傷痕
「ぴっちぃちゃん、ちょっと目を閉じてごらん」
なんて優しいアクセントなんだろう。アルチュンドリャの、ネプチュン語訛りのソーラーシステム共通語。かれの魂に抱かれるような心持ちで、ぴっちぃはそっと目を閉じる。
「ネプチュン様がフンパツしてくれるそうだよ。かっぱっぱちゃん、ぺんちゃんたちが召されていったあの世を、ぴっちぃちゃんにも少しだけ見せてくれるって」
〈えっ?〉
と息をのむぴっちぃの瞼の裏で、この島をぴったりと取り巻いているバラ色の霧が、ここから地続きのような彼方へ流れていく。
霧の渦巻の動き加減でわずかな隙間ができ、あの世(おそらく)の光景がチラリと浮かんだ。一瞬だったが、その一瞬に、ぴっちぃが見たかったものほとんどすべてが見えた。じじさまに抱っこされているもーにちゃん、幸せそうに笑っているばばさま、ぬいぐるみたち。もちろん、かっぱっぱとぺんも。
それから、なんとお雛さまと武者人形も見えた。お雛さまは、赤ちゃんだったママをおんぶして、ばばさまがバスに乗って買って帰った、小さいケース入りのやつだ。お内裏さまと三人官女と、桃の木とぼんぼり。よそんちの座敷に鎮座している段飾りに比べたら半分おもちゃみたいなものかもしれないが、丸くて可愛いお顔立ちのそのお雛さまがぴっちぃは好きだった。ばばさまはママが大きくなってお嫁に行っても毎年それを飾っていた。
武者人形は、じじさまとばばさまにとって初孫〈おにいちゃん〉が生まれたとき、やはりばばさまが選んで買ってくれたやつだ。外孫だけれど、お節句には毎年飾られていた。ママの実家にだ。
お雛さまも武者人形も、ママから大事にされたことは結局ないまま、遺品処理業者さんによって〈廃棄物〉として運び出され、処分されたんだ。
一瞬の間に、いろんな感情がぴっちぃの心に湧いた。余韻はどうであれ、ともかく懐かしいじじさまとばばさまと、死ぬほど(?)気になっていたかっぱっぱとぺんの幸せそうな姿を見ることができてよかった。
「ありがとう、海の神さま・・・・」
でも・・・もうひとつ、もしかしたらぴっちぃが一番見たかったもの・・・ママの姿・・・は見えなかった。ママはちゃんと(?)死んで、あの世にいるはずなのに。たまたまぴっちぃが見た場面の枠に入ってなかっただけかもしれない。でもなんだか、ママがちゃんとあの世へ入れてもらえなかったんじゃないだろうか、なんて悲しい予感もする。それは、お雛さまと武者人形の運命を思い出したからでもある。
大切なものを大切にしてこなかったママ。親に対してもそうだった。〈親不幸〉なんて一言で言ってしまうと、一般的で抽象的すぎて、実態が水で薄められたようにマイルドに感じられてしまうが、ひとつひとつの出来事は陰惨なことも多かったのだ。ママを大好きなぴっちぃからみても、じじさまとばばさまが可哀想に思えるくらい、ひどい仕打ちもした。ママがそのことに気づいたときには、じじさまもばばさまもこの世にはいなかった。
子育てにしても、大切にしなくてはならないあれやこれや、どんなふうに大切にすべきだったかというその方法とか、そういったことがわかるようになった頃には、すでに子どもたちは遠くへ離れて行ってしまった。
あれもこれも、わかるのが遅すぎるのだ、ママは。パパに対しても、パパが一生懸命頑張っていることや、パパの偉いところを、頭ではわかっているくせに、心ではそこから目を逸らして、気に入らないところばかりなぞっていた。
イヤシノタマノカケラを集めてテッラの街へ帰還してすぐ、不穏な気配がくっついてきた。もーにちゃんはそいつの名を〈ヌレオチババ〉とよび、
『あの世のものではないから、おそらくこの世のもの』
だと言った。イヤシノタマノカケラと一緒に、ヌレオチババの気配もママの息に吸い込まれていった。
あれから、ママの魂はいくぶん回復したはずだけれど、同時にヌレオチババを自らの内に棲まわせながらその後の人生を生きて死んだ。生きている間にそいつを上手く扱いきれたのかどうか、ぴっちぃにはわからないのだ。実体を紛失されてから、ぴっちぃの魂にはママの心が読めなくなったから。
ママの心は、死後ちゃんとあの世へ入るのにふさわしい心であり得たのだろうか? 行ないのほうは、魂だけのぴっちぃにも見えていたけれど、ママが誰をどんなふうに大切に思い、あるいは
いつの間にか、ぴっちぃの虚体を幽霊のアルチュンドリャが抱っこしている。哀しい回想にしょんぼりと浸るぴっちぃを、黙ってトントンしてくれる。
〈ぼくは願い続けていたんだ。もういちど、ぼくの実体がママに抱かれ、ママの最期のとき棺に同席し、一緒に火葬される。そんなぬいぐるみ人生の終わり方を・・・〉
転んで膝をすりむいたら、カサブタができて、そのうち傷は治っていくが、傷が深ければ皮膚に痕が残ることもある。いくつも傷を負い、大人になると、治癒に時間がかかったり、治りきらなかったりして、変色した傷跡が増えていく。
魂の場合はどうだろう? 傷は癒えるものなのか? 痕が残るものなのか? 歳をとるにつれて魂は、成熟していった部分と、柔軟さを失ってしまった部分とが、どちらも一個体に混在するようになる。いくつもの痛みと傷みを経て、魂は反応するのに疲れてしまい、拘縮する。柔軟性を失って壊れた魂を、経験を積んで成熟した魂が手当てをする。そのバランスが崩れることも多くなる。
ぬいぐるみ人生の場合は、〈肉体〉に相当する実体は、汚れたり破れたり毛が抜けたり、ボロボロになるばかりで、自然治癒することはない。ご主人さまの魂に呼応するので、ぬいぐるみの魂のほうも、成熟と脆弱のバランス、アンバランスの上でグラグラしてくる。ご主人さまから忘れられた魂の傷は自分で繕うしかない。よれよれのあて布、不器用に縫った針目・・・なんて不格好な継ぎ当てだらけの魂なんだろう。
アルチュンドリャの魂にも、不器用に自分で手当てするしかなかった傷跡がある。ぬいぐるみのぴっちぃを抱っこしながら、幼い頃の弟の姿や、抱くことも叶わなかった我が子や孫を思う。
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