第17話 尊厳死カプセル
尊厳死カプセル・・・そんなものを完成させてしまってよいものかどうか・・・開発ラボの中核にいるのに、デューンの心には時折迷いが浮かぶ。
レイヤが若年性認知症を発症して間もないころ、まだらボケの間隙を縫うように正気が戻るといつも、グル・クリュソワにひとつの願いを申し出ていた。
『尊厳死カプセルで死なせてほしい』
あの頃のレイヤは、精神が壊れつつあることをちゃんと解っていたに違いない。自分が自分であるうちに、最期を知っておきたい、できることなら、認知症が進行してしまう前に、〈自分〉としての生を終えたい、と・・・。
生きたいか死にたいか、どう生きたいかどう死にたいか、そんなことを考えて、仮に答えを導き出したとしても、それはきっと暫定的なもので、次の日には考えが変わっているかもしれない。レイヤは、生きるか死ぬかよりも、自分であることの〈意識〉を求めていた。その〈意識〉が、自分のコントロールの及ばない振舞いをするようになっていくのが恐ろしいのだ。
半ば狂気を帯びたレイヤの懇願に、グル・クリュソワも戸惑う。そんなやり取りを間近に見て心を痛めていたデューンは、ドーレマと二人でレイヤの友人のベテラン呪術師ヘーメラさんを訪ね、〈予言の夢見の
『かあちゃんが尊厳死カプセルで死んだ場合の運命をみたいのです』
それが言い伝え通りとても危険な呪術であることを、デューンとドーレマは後になって思い知ることになるのだが、ヘーメラさんは自らも覚悟を決めて
実際には当時、いや現在でも、尊厳死カプセルは人体実験を行なっていない。しかし、〈予言の夢見の
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人間が一人、リクライニング椅子で横になれるほどの直径の、ガチャポンカプセル型の装置。外装や内装はお客様のお好みでデザインすることができる。レイヤがオーダーしたのは、極彩色でややポップなサイケデリック模様。
『かあちゃんのシュミって・・・こんなんやったっけ?』
夢のなかでデューンは母の意外な一面を知って驚く。姉のグリンはヒュィオスを抱っこしてあやしながら手を振る。
『行ってらっしゃい。気をつけてね』
何に気をつけるのだ? 一泊二日の温泉旅行へ出かける人を見送るみたいに呑気な調子だ。
グル・クリュソワがナイトのように差し出す手に、お姫様姿のレイヤ(コスプレだ)は優雅に指先を被せ、タラップを上っていく。カプセルの入口へ到着すると、観衆(?)・・・実験を見守る研究者たち・・・へ向き直り、腿横あたりでドレスをつまみあげて可愛らしくお辞儀をし、慣れないドレスの裾さばきにもたつきながら回れ右をしてカプセル内へ進み、中心の安楽椅子に身体を預けた。
カプセルのフタが閉まり始めると同時に〈薬物ミストステップ1〉が内部に噴射され、レイヤは一時的に意識をなくす。自分が尊厳死カプセルの中にいることもわからなくさせるヤクブツだ。
やがて目が覚めてくるとき、レイヤはすでに〈自己意識〉を消されている。自分が誰で、これまで誰とどう生きてきたか、娘や息子をどんなふうに育ててきて彼らがいま何をしているかとか、孫に食べさせる手作りおやつの材料を買いに行かなきゃ、明日はバターが安いあっちのスーパーだ、とか、来週の仕事の予定とか、あ、洗濯物まだ取り込んでなかったとか、あれやこれやをすべて忘れ去っている。ただ〈快感〉を感知できるだけの意識状態だ。
カプセルの内壁いっぱいに、8Kもビックリなハイビジョン映像が映し出される。サラウンド音響つきだ。これらもお客様のお好みでオーダーできるのだ。レイヤがチョイスした動画は電光石火の稲妻が炸裂する過激なやつ。サウンドはガンガンなメタル。カプセルの外装からなんとなく嫌な予感はしていたが、ラボのほうもこんなコンテンツをよく用意できたものだ。第五大も、こんなんでよく許可を出したものだ。戦闘系のものは神経を興奮させるから、死にゆく者にはあまりふさわしくないだろうと考えられていたが、メタルはいいのか? そこらへんは、これは夢だから研究者も責任はもてない。
ぐずる赤ちゃんにメタルを聴かせるとすぐに眠ってしまうのは、脳がノイズをブロックするついでに覚醒スイッチも切ってしまうから、といわれている。でもひょっとしたら、ノイズの奥底に超越的な平安が隠されていて、赤ちゃんのピュアな魂がそれをキャッチできるからなのかもしれない。
ゴキゲンな映像とサウンドでレイヤの脳内は快楽で満たされ、程よいタイミングで薬物ミストステップ2が噴射される。ここが研究者たちにとって最大の難関となっているが、やはり夢だからそれも完成しちゃってるらしい。
レイヤは再び、そして最後の眠りにつく。脈拍の波形が徐々に滑らかに緩んでいき、心臓が停止する。そのとき、レイヤの閉じた目から涙がポチリと湧き、一粒、頬を伝った。
モニターカメラが捉えたこの光景がデューンの魂をかき乱し、苦しめることになった。ヘーメラさんが
さて続き。安楽椅子に内蔵された計器類がお客様のご臨終を確認したら、薬物ミストステップ3の出番だ。こいつは胸の透くような潔い働きをやってのけるヤクブツだ。カプセル内のすべての物質を分解する。もちろんご遺体も。カプセルそのものも。
かつて最初に尊厳死カプセル構想を立ち上げてまもなく、グル・クリュソワに研究を押し付けて失踪した精神科医が、
『ワタシは死体がコワイのだ。死体を見るのも、自分が死体になるのも。だから、死んだら即、消滅させたいのだよ、身体を。魂のほうは知らんが・・・』
とかブツブツ言ってたのが、グルに聞こえちゃったそうだ。何十年も前のことだが、そのことをグルがデューンに話したのは最近(注:〈予言の夢見の
『えーっと・・・そもそもなんで尊厳死カプセルを作ることになったんだっけ?』
素朴な疑問に答えようとして経緯を遡りたどっていくうちに、ひょいと思い出した、という。
そいつの行動は無責任であったとしても、グルと仲間の研究者たちは開発を進め、次世代へもつながった。それぞれの胸の内には最終的な結論ではないにせよ、なんらかの〈意義〉が掲げられているはずだ。
呪術にかけられたデューンの夢のなかで、カプセルは尊厳死を遂げたレイヤもろとも溶けてなくなった。一介の遺灰すら残らなかった。
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デューンの苦しみは、夢の影響から魂が回復する経過とともに相が変化していった。
『
傍で見守り、ともに苦しんだドーレマは、
『遺魂? モンダイはそこなのか?』
と戸惑いはしたものの、いいことを思いついた。
『そんなに技術が進歩しているなら、いっそ全自動で遺魂まで作ってからオール分解というのはどう?』
でもそれだったらやはり、火葬場直属の公務員錬金術師や、民間の遺魂製造業者の冶金系錬金術師たちの仕事が奪われることに変わりはない。そこでさらに思いついたのが、
『遺骨から遺灰を収集して、オール分解前にぽんっと排出する。ついでにその容器は尊厳死カプセル本体とお揃い相似形のガチャポン型にしよう』
という案。この〈名案〉をきっかけに、デューンは〈予言の夢見の
それから数年、ついに薬物ミストを夢ではなく現実の完成へと導く最終段階へ突入するのだ。
装置一式から遺体、そしてカプセル本体まで、ミニカプセルひとつ分の遺灰だけを残してすべて分解されるのは〈物質〉。救済されるのは〈魂〉。尊厳死カプセルそのものがひとつのシステムとして、一連の過程を進行させる錬金術的マシーンとなる。いくつもの分野から集めた研究者らが構成するラボのなかで、中心にいるデューンたち錬金術師はその過程を専門用語で〈オプス〉とよぶ。
ビイル薔薇はその芳香と麻薬作用を使う。中間世界由来のグラナテスは媒介物質の役割を果たす。交配によって出現したカルブンが究極の秘蹟を担うはずだ。ケーメくんの技はマキュリ地方から。第一質料メルクリウスの原産地だ。
* 〈予言の夢見の
『墓守の翁が拾って育てた捨て子は、本当はお姫様…じゃなくて、どこの馬のホネだか』第15話以降で・・・ *
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