第13話 家族観が・・・ヘン?
モイラはドーレマの記憶の最初から、じいちゃんとともにあの家にいた。
じいちゃんよりもずっと寡黙な人だったモイラ。彼女に知的障害のあることをドーレマが理解できたのは、小学校低学年くらいのころだったろうか。モイラがよその家のお母さんやお姉さんのようではないなと感じるようになったころから、ドーレマはモイラを、それまでより弱い存在として、少しの心細さとともに、いっそう愛しく思うようになった。
人からお菓子などをもらって帰れば、モイラはそれを驚くほど正確に三等分し、じいちゃんの皿とドーレマの皿と自分の皿に盛り分けた。
ドーレマが分け前をあっという間に平らげると、モイラは自分の皿をドーレマに差し出して言う。
『お食べなさい』
ドーレマがいちおう、
『いいの?』
ときけば、モイラはもう一度、
『お食べなさい』
と、同じ言葉を繰り返すのだ。じいちゃんも、ドーレマの食べっぷりを面白がって自分の皿を差し出すものだから、結局ドーレマが全部いただくことになる。
モイラはドーレマに『何々しなさい』という言葉づかいをする。命令形であるにもかかわらず、語尾が上がる素朴なアクセントで、穏やかにそう言うのだ。じいちゃんの言葉と同じアクセントだ。まあモイラも、じいちゃんが育てた子だから。
モイラの言葉は、優しく、どこか遠くの人に話しかけているようでもあり、独り言のようにも聞こえる。
ドーレマが小さい頃はよくモイラの膝にも抱っこされていたし、手をつないで歩き、バラ野原でおままごとの相手もしてもらったが、おしゃべりが弾むわけではない。ドーレマの問いかけに答える言葉は、
『そうだよ』
とか、
『んにゃ(ちがう)』
とかくらい。他の人から話しかけられても、
『はい』
と訛りのあるアクセントで返事をするだけだった。話しかける人のほうも、モイラからそれ以上の言葉を引き出すつもりもないらしく、その時々によって、
『んじゃ、パトスさんによろしくね』
だの、
『モイラちゃんもごきげんよう』
だの、あえて『はい』以外に返答の必要のない挨拶を優しく言い残して帰って行くのだった。
時折思い出す出来事がある。
ドーレマはモイラに手をひいてもらい、買い物について行った。街の市場わきの道端で、若いお母さんが子どもを折檻しているのを見かけた。お母さんは巻き舌で醜い罵り言葉を次から次へと繰り出し、叫ぶように怒鳴りながら、子どもの頭を平手で何度も叩いていた。
ドーレマより少し小さいくらいのその女の子は、顔を歪め、唇をぷるぷる震わせ、目を見開いている。溢れ出しそうな涙を一滴も落とすまいと、
ドーレマとモイラは、耳に神経を集中させつつも、なるべくそちらを見ないように足早に通り過ぎた。見てはいけないものを見てしまったような居心地の悪さだった。
ふと、洟をすする音がして、見上げると、モイラが目を
その夜、いつものようにモイラのベッドへもぐり込み、モイラの手を握りながらドーレマは尋ねた。
『モイラ、じいちゃんに怒られたことある?』
『んにゃ』
いつもと変わらず、モイラはドーレマの背中をトントンする。
『ないの?』
『ないよ』
いつもと変わらない、優しくて平淡な声のトーンにドーレマはほっとした。
〈よかった。やっぱりじいちゃんはモイラを怒ったりしないんだ〉
ひとまず安心はしたものの、今日のあのときのモイラの涙は何だったのだろう? という疑問が残ってしまった。それは、モイラにも、じいちゃんにも、きいてみてはいけないことのようにも思えた。
ドーレマはじいちゃんからもモイラからも怒られたことがない。してはいけないことや危険なことは、教えてもらっていたのだろうが、じいちゃんもモイラも、ドーレマを叱ったり、声を荒げて怒ったりしたことは一度もない。
ドーレマはいつも、穏やかな微笑みに見守られ、温かい手に守られていた。それは時として、本物のじいちゃんやモイラには永遠に触れることができないもどかしさみたいなものを、ドーレマに感じさせてもいた。じいちゃん本体が、モイラ本体が、どこか薄紙一枚隔てた向こう側にいるような寂しさでもあった。
『一度も怒られたことがない、なんて、不自然だと思わない?』
家族であることの感覚について、デューンと話をしたことがある。
『不思議だとは思う。おれはドーレマに対しても、それに似た不思議さを感じるときがあるよ』
『負の感情が強力に封印されてるのかも・・・そうだとしたら、それが爆発したときはエライことになるわ』
口に出して言ったあと、〈封印〉という考えがそのとき初めて頭に浮かんだことにドーレマは気づいた。
『ひとごとみたいに言うなよ。本当にそうかもしれんぞ。それでなくても、反抗期に反抗できないように抑圧されてたひとは、大人になってから、どこかで人間関係に
『自分の感覚がどこかおかしいんじゃないか、って思うときがあるの。親がいないことを辛いと感じたことがないし、よそんちのお父さんやお母さんをいい人だとは思っても、羨ましいとか思わなかった』
『当たり前のように肉親のつもりだった人と実は血のつながりがなかったと知ったら、ひょっとしたらショックかもしれない。パトスじいちゃんやモイラさんは、肉親ではないことをドーレマに隠さず、それでも愛情に満ちた家族として暮らしていたんだよね。それはもしかしたら、とても高度な家族形態なのかもしれないよ』
ドーレマの家族観はたぶん独特なのだとデューンは言う。
肉親ではないことがある種の束縛から自由にさせてくれていたという考えは、学生のころ、外から学んだ観念的なもので、ドーレマの心の中からたどりついた実感をともなう解釈ではなかった。じいちゃんやモイラのためならきっとドーレマは喜んで何でもしただろうし、二人の存在が自分の何かを拘束することになるなんて、想像にすら湧いてこなかった。
もしかしたら、肉親に関わる本物の感覚や感情が、不自然なやり方で、本当に封印されてきたのかもしれない。
〈じいちゃんがとても巧みに私たちの心理を操っていたのかなぁ?〉
必要なものなのかもしれない何かが、自分の心からすっぽり抜け落ちているのだろうか?
パトスじいちゃんは、あの家を建て、墓地の管理をして、花を育て、道楽でバラもわんさか育て、ドーレマを育て、モイラの魂を送り、逝ってしまったけれど、もともと実在の、生身の人間ではなかったような錯覚に陥るときがある。
パトスの本当の家は、あの墓守の家じゃなく、墓の中にでもあったのだろうか? メリッタさんと結婚し、ロドゥちゃんが生まれ、どんな暮らしをしていたのだろう? ドーレマが育ててもらった頃のように、穏やかに、幸せに暮らしていたのだろうか?
ロドゥちゃんを事故で失くし、メリッタさんが自殺し、パトスはどれだけ泣いただろう? 何かを恨んだり、誰かを憎んだりしただろうか?
モイラの一生を守り、ドーレマを守りながら、この世とあの世の境界で、どのような
『天国ではな、酒はうまいしネェちゃんはキレイなんじゃ。たのしみじゃあ』
生前パトスは、ドーレマの将来のために貯金をしたり、ドーレマが困らないようにいろいろしてくれていたが、自分が死ぬことについては深刻に考えていないみたいだった。
『なんか、行ったことがあるみたいな言い方だね。誰かから聞いたの?』
『行った人からは聞いたことないな』
『あたりまえじゃん』
『朝起きたら死んどった、ってな死に方をしたいな』
『死んどったら起きられないじゃん』
そのとおりの幸せな(?)死に方をしたパトスじいちゃん。愛する人たちの魂と一緒に、あの世ライフ(?)を楽しんでいるかな?
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