第11話 錬金術師デューン

 ドーレマはデューンと、結婚するまで七年近くつき合って、お互いのことをすっかり解っているつもりでいたけれど、結婚してから解ってきたことも意外と多い。


 デューンの起床は毎日、日の出前だ。そして庭へ出て、薄明のなかで、雨の日ならコンサバトリーの長椅子の上で結跏趺坐けっかふざの体勢をとり、瞑想をする。なんでも、これは錬金術師の日課なのだそうだ。フュリスがとても早くに目を覚ましてしまったときなどは、フュリスを膝に抱いて瞑想している。フュリスは目を開いたままだったり、半分ウトウトしながらだったり、それでもおとなしく抱かれ、パパの胸に耳を当ててその呼吸にほっぺで触れ、気持ちよさそうにしている。


 墓守の家のコンサバトリーには、お隣の火葬場の職員たち、その半数近くを占める公務員錬金術師たちが毎日のように立ち寄り、お茶やおしゃべりで寛いでいくのだが、物心ついた時分からそこに住んでいて、火葬場の錬金術師たちとも身内同然のつき合いをしているドーレマも、彼らが毎朝瞑想してるなんて知らなかった。パトスじいちゃんが生前、『錬金術師の瞑想が云々』みたいなことを言ってたかもしれないが、ドーレマの記憶に残るような話題ではなかったようだ。

 じいちゃんと仲良しだったグル・クリュソワもそんなこと言わなかったし(いや、この人はそもそもプライベートなことをなにも語らない人だ)火葬場の職員たちが錬金術師の瞑想について語るのを聞いたこともない。


 それって、雑談にのぼらせると穢れに触れてしまうような、神聖な〈ぎょう〉なのだろうか? あるいは、一人一人に固有な絶対秘密の技法とかがあるのだろうか? とか思ったら、そういうわけでもないらしい。

『朝起きて、トイレ、洗面、着替え、んで瞑想。ほとんど自動的というか機械的というか、人に語るまでもない生理的ルーティンワークみたいなもの』

 なのだという。

 錬金術師の仕事をある程度解っていたつもりのドーレマも、デューンと暮らし始めてみると、どれほども知らなかったのだなぁと思う。

 まあ呪術師にも、まじない現場へ赴く際には身の穢れを祓う所作を行なうとか、業務上のルーティンはある。だけど、デューンの日課の瞑想は、それよりももっと禁欲的な修行みたいな趣きなのだ。

 一言で言えば物質を操作する仕事、それと並行して人間の精神におけるなんらかの変容に参与する仕事、なのだろうが、頭と身体だけ動かしていればできる仕事じゃなくて、魂ごと、全精神を集中させないといけない局面があるという。そういうときのデューンは断食もする。もともと、だいたい生きていけたらごはんは食べても食べなくてもどちらでもよいデューンだが、ここぞという必要のあるときには、はっきりとした意志をもって〈断食行〉をおこなうのだ。

 

 そんなわけで、それまで井戸端会議よろしく軽くおしゃべりを交わしていた錬金術師のおっちゃんおばちゃんたちが、ドーレマには急になんだか偉い人たちに思えてくる。

 たまに家へ〈宿題〉を持ち帰り、リビングの大テーブルの隅で書物に取り組み、調べものなどをしているデューンは、学生時代にも見たことがない修行僧のような横顔だったりする。

 ラボの中でデューンが所属しているのは尊厳死カプセルの薬物ミスト製造斑。人間の死に方に革命を起こすことになるかもしれない、考えようによっては恐ろしい研究だ。〈対象〉を〈対象化〉しつつ〈対象〉そのものに深く〈没入〉する、錬金術師デューンの孤独を垣間見る。



 瞑想のほかにも、結婚してからわかった面白いことがいくつかある。

 ふたりの大学時代からの親友スィデロくんとユキちゃん夫妻が、毎年テッラから新茶を送ってくれる。デューンは袋をハサミで丁寧に開封して茶葉を茶筒にあけ、空になった袋の匂いを嗅ぐのだ。

 ドーレマも毎年同じことをやっていた。袋の底に茶葉の粉が少し落ちているし、空になってもなお芳しい香りを残している新茶の袋。嗅がずにはいられないのだ。

 ほかにも、ローズマリーの穂先を集め、さっと水洗いしてキッチンペーパーに包んで水滴を拭き取る。そのキッチンペーパーを、捨てる前にいちど広げて、ローズマリーの移り香を嗅ぐ。

 もうひとつ。新札の紙の匂いもつい嗅いでしまう。

 誰でもそうなのかな? 私たちだけかな? なんだか同じような習性を持っているものだなぁと、笑ってしまう。


 口数が少なく、声も掠れ気味なデューンが、お風呂で鼻歌を歌うことは、つき合い始めた頃から知っていた。墓守の家の露天風呂に一緒に浸かり、同じ旋律が二人で歌うとテンションかかりまくりのポリフォニーでパンクでシュールな合唱になる。結婚してフュリスが生まれてからは、フュリスもあーあーと声を出してはしゃぎながら三人で大合唱している。お隣の火葬場は夜間は宿直の職員さんしかいないし、反対側の隣はバラ野原だ。家族がみな音痴であることは、火葬場の職員しか知らない。


 デューンからみれば、結婚してから、ドーレマの〈家族観〉みたいなものを新鮮に感じるときがある。

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