第2話 ネプチュン鳥島へ

 キミだけの宇宙が放つ普遍のうた

 揺りかごも墓場もキミひとりのものさ

 羅針盤ひとつで泳ぐ孤客のキミのうた



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 目覚めると船室の窓越しにきらりきらりと光を跳ね返している海面が見えた。隣のベッドへ顔を向けるより先に、目の前に書き置かれたメモをみつける。


『フュリスが目を覚ましたので、デッキで朝日を見てきます』


 寝相の悪いドーレマの突き蹴りから護るために、デューンがフュリスに添い寝してくれていた。そのベッドはすでにきちんと整えられている。

〈デューン、ちゃんと眠れたのかな?〉

 一日目の飛行機では、フュリスがぐずりかけると、交代で抱っこしてあやしながら通路を行ったり来たりうろうろしなくてはならず、ほとんど眠れなかった。そこからさらにフェリーで丸々一日かかる移動二日目は、一等船室を予約しておいて正解だった。個室ゆえ他の乗客に気兼ねしなくていいし、疲れてもいたから熟睡できた。夜中にフュリスがぐずって起こされることも一度もなかった。ドーレマは。・・・ひょっとしたらデューンがあやしてくれていたのかもしれない。


 ドーレマもベッドを整え、身支度をしていると、フュリスを抱っこしたデューンが戻ってきた。独り言のように、

「ただいま」

 と呟き、ドーレマが起きているのを見ると、

「おはよう。ただいま」

 と言い直してにっこり笑う。デューンもフュリスも鼻のアタマと頬がぽっと赤らんで、白い肌とのコントラストがなんだか可愛い。

「おはよう。おかえりなさい。寒かったのね」

 フュリスを挟んでデューンを抱きしめ、冷えた肩をさする。

「うん。波を見るとほとんど無風かなと思ったけど、やっぱり高速で進んでるんだね。デッキは風が強かった。でも、水平線から日が昇ってくるのは壮観だったぁ~」

 潮風を喉に受けたからか、デューンのもともと掠れた声がもうワントーン薄くなっているが、目を輝かせ、息を弾ませるように語る。

 外の風に当たってきてゴキゲンなフュリスをデューンの腕から引き取り、ふわふわのまるい頬に口づけ、改めておはようのあいさつをする。

「つめた~い」

 ほっぺを指で突っつくと、フュリスはきゃっと笑ってドーレマの首に抱きつく。

「あと3時間くらいだね」

 いよいよだ。ドーレマにとって初めてのネプチュン鳥島・・・。


 なんだか待ちきれないようで落ち着かなくて、早めに荷物をまとめ、ドーレマはソファーに腰かけて窓の外を見遣る。


 ベッドの上にちょこんと座ったフュリスに、デューンがみかんを食べさせている。きれいに等分に皮を剥き、ひと房ずつ分けて筋をとり、袋の閉じ目を爪先で開き、食べやすいようにしてフュリスの口に入れてやる。

 時計の秒針が別世界の遠いものに感じられるような、のんびりとした動作。フュリスはデューンのそんな所作をおとなしく見守り、小さな唇の前にひとつ差し出されると、それを差し出す指先から差し出す人の顔へ目線をたどり、微笑みをひと投げしてから口で迎えにいく。デューンは人と目を合わせることがあまり得意でないけれど、フュリスの微笑みを真っ直ぐに穏やかに受け止め、黙って微笑み返す。フュリスがもぐもぐしながらもパパへ笑いかけるものだから、お口に入れたものがよだれと一緒に垂れたりもする。

 デューンがフュリスに食事をさせる時間は、日常の他の時間とは異質な、聖別された時間のように思える。命の波長と魂の波長がそこでとてもゆったりと同調している。

 それをやはり微笑みながら眺めるドーレマは、幸せで胸が締め付けられる。


 記憶にはないけれど、おそらくドーレマもまだ半分赤ちゃんだったこれくらいの頃、パトスじいちゃんからこんなふうに食べ物を口に入れてもらっていたのだと思う。

 ドーレマがじいちゃんに笑いかけながらゆっくりと食べ物を口に入れ、もぐもぐしてごっくんするまで、じいちゃんものんびり待ってくれていたに違いない。モイラがそんなふうにしてくれていたのが、うっすらと記憶にあるから、おそらくじいちゃんがするとおりにモイラもそうしていたのだろう。遡ればモイラもじいちゃんからそんなふうに食べさせてもらい、大きくなったのだ。



 デューンの、果汁で濡れている細長い指に、ドーレマはふと胸がときめくような艶っぽさを感じてしまう。しかしそれはセクシュアルな感覚とは紙一重で違うような気もする。その指先と、そこにフュリスの柔らかすぎる可愛い唇が触れることに、セクシュアルを通り越してもっと根源的な命の営みに近い尊さみたいなものも感じて、見とれてしまうのだ。

 デューンの手は、左手薬指の指輪が少し浮いてきて、指との間に隙間ができている。

 結婚したときドーレマは、マイルド・ブリザリアンのデューンを少しは太らせてあげよう、なんて考えていた。朝はとくに、あまり食べ物が喉を通らないから、野菜や果物、牛乳、蜂蜜・・・栄養のありそうなものをミキサーにかけ、スムージーを作って飲ませている。夕食も、自分と同じものを、少なくとも同じ分量だけ(もっと食べてほしいけど)出して食べてもらっているのに、全然太らない。

 いまフュリスにみかんを食べさせているデューンの指を見れば、むしろ前より痩せたのではないかとすら思える。


 母親のレイヤによく似たきれいな顔立ちも、こころなしか精悍になり、学生時代憧れていたデューンの姿に比べると、大人の男の色気が漂うようになってきた。と言えば聞こえはいいけれど、もしかしたら生活の苦労とか、なにかを黙って我慢しているのだとすれば可哀想だなと思うくらい、ストイックな風貌に見えるときがある。


 仕事のほうは順調なようではある。この渡航で大きく前進させるのだから。

 ソーラーシステム第五大学が全学を挙げて研究を進めているプロジェクト。デューンの父で同じく錬金術師のグル・クリュソワ教授が立ち上げた〈尊厳死カプセル〉開発事業。そのラボラトリーの中核を担う研究員としてデューンは働いている。仕事のストレスがあるとすれば、研究の性質上、それはもう一生モノだから仕方がない。

 物理的には完成しているものの、人の精神に作用する薬物製造を成功させることは、デューンの代でも叶わないかもしれない。交通手段のない次元へ橋を架けていく、工法からして試行錯誤の手探りで進んでいく、気の遠くなるような仕事には違いない。

 元々の発案者であった精神科医は、精神を病み、計画をグル・クリュソワに丸投げして失踪してしまった。このようなプロジェクトの只中にありながら心の均衡を保つことは、それ自体がきっと重労働なのだ。


 もうひとつ、デューンの心に影を落としているのが、母レイヤの若年性認知症だ。

 ドーレマからみれば、レイヤは憧れの大先輩呪術師・・・だった。にこやかで可愛い呑気なおばさんだったレイヤ。ヘタをすれば実年齢よりとおも若く見えていたのに、五十代で若年性認知症を発症してからは、年相応な雰囲気になっていった。顔立ちや肌そのものはさほど変わらないのだけれど、輝くような生気が表情から消えていき、何を考えているのか読み取れなくなり、レイヤがレイヤでなくなったような気がする。

 そんなレイヤを見るのはドーレマも辛いし、デューンはもっとずっと心を痛めているだろう。

 ドーレマ達が住んでいる北部霊園墓地は、ソーラーシステム第五大学都市を見下ろす高台にあり、デューンの実家は大学のすぐ近くにあり、互いにわりと近いから、ドーレマとデューンは日曜日ごとにレイヤの様子を見に行く。デューンは職場の研究室から帰宅途中、実家へ立ち寄ることもある。

 レイヤは介護サービスを受けながら自宅で夫のグル・クリュソワとふたりで仲良くやっているようだ。グルとレイヤの会話を聞いていると、論理は噛み合っていないのにどこかで妙に解り合っているようで、ほほえましくもある。



 物心ついた頃には、パトスじいちゃんとモイラがいて、ドーレマが十五のときにモイラが亡くなり、それから五年あまり後にじいちゃんが亡くなり、デューンと結婚するまで、墓守の家でひとり暮らしだった。

 家族で暮らす日々のドタバタや笑い声が何年かぶりに戻ってきて、忙しいけどドーレマは幸せだ。

 生まれ育った環境がまったく違うはずのデューンだが、子育てのあれやこれやを見るにつけ、自分と同じように、愛情を注がれ大事に育てられて大人になった人なのだなと思う。

 新しく築いている自らの家庭で、デューンもどうか幸せでありますように、とドーレマは祈る。

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