キミの星のうた

溟翠

第1話 ぴっちぃの旅ふたたび

 満天の星。

 荒れ野に立つ虚体の魂に怖ろしい沈黙が降りそそぐ。

 永遠すぎる時空の果てがまさに此処であるかのような、此処こそがその果てへと吸収されていくきわであるかのような地上に、独りぼっちで虚体のぼくは立つ。

 本当は、約束の地などなく、預言者もなく、では何故ぼくは荒れ野を行くのか?

 あの星空と、星明かりに浮かぶ地平線と、この魂の不安とが、辿たどり着いて安らげる場所は、どこにもないような気がする。



  ✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼



「もういちど、天国へ・・・行こうと思う」


 頭の中ではあの〈楽園〉を思い描いているのに、なぜ『天国』と言ってしまったのか、自分でもわからない。


「てんごく?」

「もういちど?」


 ぬいぐるみたちの視線がぴっちぃへ集まる。

 哀しいような、淋しいような、仕方ないような、よくわからない予感がぬいぐるみたちの心に湧く。


「ヒナちゃんの子孫に会えるかもしれない」

 いやこれは取って付けた言い訳だ。

〈かっぱっぱ〉と〈ぺん〉は、ここで気づく。

「・・・ネプチュン鳥島?」

 ほかのみんなも思い出した。


 天国じゃなくて、天国みたいな楽園。

〈ぴっちぃ〉のご主人さま〈ママ〉のために、〈イヤシノタマノカケラ〉を集める旅をした。あのとき訪れたネプチュン鳥島は、ドワフプルトで仲良くなったネプチュン鳥さんから教えてもらった、バラ色の楽園の島。島のほとんどがビイル薔薇のお花畑。その香りといったら、もうほんとに昇天しちゃいそうなくらい、うっとりするような良い香りなのだ。楽園なのにうっかり『天国』と言い間違えちゃうのもわかる気がする。

 島の人々は、ある社会的困難を当時は抱えていたけれど、その後情勢は変わっていったはずだ。ネプチュン鳥島人社会ではビイル薔薇精油中毒は克服されただろうか? 

 あのとき、フォーチュンドリャさんのご臨終に立ち会った。恋人のロージーさんは、ぼくたちの祈りのとおり、幸せな人生を送っているだろうか? お兄さんのアルチュンドリャさんは、飲バラをやめることができただろうか? ほかのバラ中の人々は・・・?



 ママがぴっちぃの実体をどこかへしまい込んで忘れたまま独りであの世へ旅立ってから半年余り。ぴっちぃはこのところ、この家のぬいぐるみたちとのお別れを予感している。〈かっぱっぱ〉〈ぺん〉〈ぶう〉〈ぞぞぞ〉・・・安直な名まえのやつばかりだな。かれらのご主人さまであるおにいちゃんたちが独立して家を離れ、子ども時代のおもちゃとともに、ぬいぐるみたちも処分されようとしているのだ。

 実体が処分されればぬいぐるみも、魂はあの世へ送られる。そこにはぴっちぃの大好きなじじさま、ばばさま、それから、あの旅に同行してくれたベビー毛布の〈もーにちゃん〉もいるはずだ。

 ママはもーにちゃんを覚えていただろうか? 彼女はママの命の一部だったんだよ。いやそれより、そもそもママの魂は無事にあの世へ辿り着けただろうか? どこかで迷子になってはいないだろうか? まさか地獄へ送られた、なんてことはないだろうな? ほんとにもう、死んでからも心配かけやがって。


 ぬいぐるみたちの実体が処分されてこの世からいなくなれば、こんなふうに〈虚体〉を形成することもできない。何十年も前から実体が行方不明のぴっちぃとは、おそらく永遠のお別れになるのだ。かっぱっぱとぺんは、もーにちゃんと再会して、あの旅の思い出を語り合うだろう。

 魂だけの虚体になっている自分の目の前で、仲間たちの実体と魂がいなくなってしまう。その〈門出〉を独りで見送り、祝福してやれるだろうか? そんなことをぴっちぃは考える。



 旅に出る〈理由〉をぴっちぃはこじつけたが、ぬいぐるみたちには解っていた。自分たちのほうも、段ボール箱ごと運び出されるとき、魂だけのぴっちぃとどんなふうにお別れの挨拶を交わせばよいのか、考えるのが辛い。〈焼却〉の儀式を乗り越えれば魂があの世へ送られる自分たちは、ぴっちぃの魂を独りぼっちでここに置き去ることになるのだ。見送られるのも見送るのも悲しい。


「ぼくも行く!」

「ぼくも! 連れて行って、ぴっちぃちゃん!」

 かっぱっぱとぺんだ。


 同情じゃない。かっぱっぱもぺんも、ぴっちぃほどではないけれど、それなりにぬいぐるみ人生経験を積み、最期が見えてきたいま、今度は自分のために、何かを見つけるなりケジメをつけるなりしておきたい。ぴっちぃがもういちど旅に出るなら、ついて行く。

「今度はもう、もーにちゃんに頼ることはできないんだよ。自分の力だけで、あの絶海の孤島へ旅をするんだよ」

「うん」

「とても長い旅になるかもしれないし、またここへ帰って来れるかどうかもわからないんだよ」

「う・・・うん」

 かっぱっぱが一瞬ひるんだのは、ぴっちぃの言った言葉の中身じゃなくて、それが〈ついて来るな〉という意味なのではないだろうか、とも感じたから。

「ぼくはそれでもかまわない」

 ぺんは決然と言い放つ。それからすぐに言葉を継いだ。

「どこかへ行きたいってわけじゃないよ。みんなと離れ離れになるのはそりゃあ辛いさ。でも、実体のほうはここに残るわけだし、ぼくはまた虚体になってでも、ぴっちぃちゃんの魂と一緒にいたいんだ。それに、ヒナちゃんの子孫・・・ぼくも会いたい・・・」

 ぺんのほうは、どちらが言い訳なんだか。

 昔の旅で、ネプチュン鳥さんたちと仲良くなったのは、ぺんがネプチュン鳥語をマスターしたおかげだった。ネプチュン鳥島の広い広いビイル薔薇畑を、ぺんはヒナちゃんと駆け回って遊んだ。それから、みんなでオニごっこをしたっけ。


 ほかのぬいぐるみたちは黙り込んでしまう。それでお別れになってしまうかもしれないのに、なのに・・・〈行くな〉と言うのも悲しいことなのだ。かっぱっぱとぺんもついて行ってしまえば残るほうは淋しい。でもぴっちぃちゃんをひとりぼっちで行かせるとなれば、旅立つ虚体の後ろ姿をどんな思いで見送らなくてはならないか、想像しただけで泣きそうになる。

「ねえ、ぴっちぃちゃん。ひと晩だけ、考えてみて。ほんとに行くかどうか」

 こぶたの〈ぶう〉、ぞうの〈ぞぞぞ〉・・・肩書をつけなくてもわかる。もう一度言うが安直なネーミングだ。白い部分がうっすら汚れてしまったパンダたちも、犬の〈まめきち〉(こいつはキャラクター名をママが読み間違えてそう名づけられた)も、ぬいぐるみ仲間たちは皆、ぴっちぃたちを行かせてやるべきか、引き留めたほうがよいのか、よく考える時間がほしいと思った。

 


 パパはいつものように起きてご飯を作ってご先祖様にお供えして・・・あれやこれやのルーティンワークを手際よくこなしていく。独り暮らしにも慣れてきたみたいだ。ママが死んでからも、しばらくの間は以前と変わらず、片付けものがあまり進まなかったが、やっとこさ断捨離でも始めようかという気になったらしい。手をつけられるところから少しずつ、モノを捨てていくようになった。そんなパパを心のなかで褒めたりダメ出ししたりしながら見守るぬいぐるみたちは、今日はいつもより心が無口だ。




「やっぱり行くんだね、ぴっちぃちゃん」

 夜。ぬいぐるみたちはヒソヒソ。でも今夜は、ほんとは声を上げて泣きたいような、苦しい気持ちだ。ぴっちぃは、やはり行くという。かっぱっぱとぺんも、ついて行くという。

『がんばれ~』

 と旗を振りたいほどの気分で手を振り見送った昔とは、家に残るぬいぐるみたちの思いは全然ちがう。

 決心は揺るがないけれども、一日考えるうちにぴっちぃにはもう一つの〈目的〉が思い浮かんだ。

〈フォーチュンドリャさんのお墓参りをする〉

 葬儀にも参列したぴっちぃは、ネプチュン鳥島の墓地の丘への道順を覚えている。人々が暮らす平地から、ビイル薔薇畑の中にあぜ道を通したように緩やかな傾斜の小道が続いていて、トコトコ歩くうちにいつの間にか墓地へ着いている、不思議な立地だった。

〈ここはすでに天国なのか? いや、まだ生きてるよね、ぼくたち〉

 虚体だけど思わずほっぺをつねってしまいそうな、本物の天国と地続きみたいな墓地だった。

 旅の言い訳がもうひとつ加わったわけだ。でもなんだか、こっちのほうが本当の目的であるような気もしている。フォーチュンドリャさんの魂を訪ねたいという以上に、なぜか心に引っかかるのだ、あの墓地の丘が。

 希望? いやちがう。むしろ絶望? そうかもしれない。絶望であるなら、そのどん底を見届けてやりたい。墓地が気になるということは、自分のぬいぐるみ人生も終わろうとしているのだろうか? ひょっとして、ついに実体が見つけ出される予兆なのか? そうだとしたらそれはめでたいことでもあるのだ。でもきっとそうじゃない。ぴっちぃの実体は、おそらくこの家の古い段ボール箱のどれかに、その奥に突っ込まれたまま、誰にも発見されることはないのだと思う。



「ぴっちぃちゃん、かっぱっぱ、ぺん・・・・」

 すでに泣きそうになり、はなむけの言葉が続かないぬいぐるみたち。

「なんて言えばいいんだろ・・・」

「ぶう、ぞぞぞ、まめきち、ぱんだたち、いいんだよ。何も言わなくても。その代わり、ハグを」

 旅立つ虚体の三人(三匹? 三体?)と順にハグを交わして、ぬいぐるみたちは魂を温めあい、それから、かれらを見送った。遠い旅へ。


  

  ✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼



 星のうたをきかせて

 キミだけに見えている

 プラチナの糸のように差す光 

 ひとかけらの夢のうた・・・ 

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