とあるマルちゃん原理主義者の回顧録

霧野

第1話 神への冒涜

 ドタドタと廊下を走る足音が近づいてくる。あいつはいつもそう。声と生活音がいちいちうるさいのだ。ほら、もうすぐ。3、2、1……


 バーン!!


「センパイ! 昼めし出来ましたぁっ!」


「ドアの開閉は静かに。何度言わせる気だ」

「さーせん!」


 返事だけは良い。いつものことだ。



「今日のお昼は何?」

「今日は自信作です! 緑のたぬき、マシマシご褒美バージョンです!」


 踏み出しかけた足を止め、このアホな後輩に冷たい視線を浴びせた。


「……インスタント食品は、特にマルちゃん製品はアレンジ厳禁だと……何度も! 言ってる! だろうがっ!!」


 後半、ついつい語気が強くなってしまった。己の未熟さに恥じ入るばかりだ。だが、しかし……!


「マルちゃんのスープと麺、かやくのバランス、それは妙なる黄金比! 熟達した研究者達が額を寄せあい、またおそらく時には新しい風をも取り入れながら、計算し尽くし改良に改良を重ねて作り上げた至高のバランス!! それをお前のような料理どシロウトがアレンジするなど、言語道断!! ハラ掻っ捌いて東洋水産さまにお詫びしろ!」


 こいつは前にも『赤い月見うどん』と称し、冷蔵庫から出したてのキンキンに冷えた生卵を投入してお湯を注ぎやがった。おかげでスープはちょっとぬるくなるし卵はほとんど生のまま。あの時口が酸っぱくなるほど説教したというのに……


「さーせん!」

「お前はまた、返事ばっかり」


「まぁまぁセンパイ。お叱りは後で受けますから、食べてみてくださいって。今度のは自信作自信作!」


 くっ…! まるで反省していない。相変わらず調子のいいヤツだ。柳に風、暖簾に腕押しぬかに釘、かえるのツラになんとやら……



「のびないうちに、さぁどうぞ」


 屈託の無い笑顔で差し出されたカップ麺をしぶしぶ受け取る。緑のたぬきに罪は無いのだから。こ、こいつ! いいからさっさと箸を寄越せ。割り箸ぐらい自分で割れる! ん? 待て……この香り、さてはっ!


 蓋を剥がして、絶句した。


「じゃじゃ〜ん! 天かすと干しえびマシマシ、緑のご褒美たぬきで〜す!」



(さっきと名前が違うじゃないかーっ!!!)


 そう叫びそうになったが、問題はそこじゃない。マシマシ……マシマシ、だと!!!!


 割り箸をヤツの頭に突き刺さなかった自分を誉めてやりたい。私も大人になったものだ。少し前までの私なら、テーブルを飛び越えラリアット一閃、ヤツをリング休憩室の床に沈めていただろう。


 

 なんとか手の震えを抑えて箸を割り、麺をほぐして掬い取る。恐ろしくて、スープを先に飲む気にはなれなかった。


 恐る恐る啜った数本の麺を噛み砕き、飲みこむ。うむ、やはり……



「……手間を取らせて悪いけど、大きいフォークと小皿を持ってきて欲しい」


 ヤツは戸棚へ走るといそいそとそれらを取り出し、私の前に置いた。



……なんだ、その期待に満ちた顔は。


 こちらの手元を見つめながら、ウズウズした表情で瞳をきらめかせている。


……こいつ、もしや……



「お裾分けしてもらえるとでも思ってんのか?! バカかお前はぁ!!!」


 思わず声を荒らげたが、途端に脱力してしまう。その、捨てられた子犬みたいな顔はやめなさい。



 大量に投入されてふやけきった天かすと小エビを、フォークでそっと小皿に移す。今更そうしたところで、スープには大量の小エビエキスと天かすの油が流出している。おかげでスープの完璧なバランスが台無しだ。


「すんません。センパイこの天ぷらが好きだから、量が増えたら喜ぶかと思って」


 密かに嘆息する。わかってるよ。いつも喜ばせようとしてくれてるのは……ただ、もうちょっと私の言っていることを聞いて欲しい………



「お前は大のカレー好きだが、塊のルーをトッピングしたカレーを喰えるか?」

「ええ? なんすかソレ。無理ムリ、そんなん胸焼けっすよ」


 こんな喩えでわかってくれたら、苦労は無いか……



「センパイ、不味かったら無理しないでいいっすよ。自分が食います」


「いや、全部食べるよ。マシマシの分も。味は変わっちゃったけど、食べられないわけじゃない。マルちゃんに罪は無いし、せっかく作ってくれたんだから」


「センパぁイ………かっけえっす!!!」


 抱きつこうとするんじゃないよ、離れなさい。シッシッ!



「それもこれも、スープの懐深い味わいのおかげで助かってるだけだから。下手なアレンジは企業努力とその結晶に対する冒涜。お前の罪深さは毛の一筋ほども変わらない」



……だからその、すがる子犬のような目はやめなさいって………


 脂っこくて少々エビくさくなってしまった緑のたぬきを食べている横で、ヤツは真面目な顔で何やらスマホを弄っている。

 と思ったらいきなり立ち上がり、あらぬ方角へ向けて大きく柏手を打った。


「なんだよ急に、びっくりしたな」

「東洋水産さんの方角を調べて、お詫びしてます!」



……手を合わせ深々とお辞儀をしているこいつは、やはりアホだ。東洋水産はたしかにはいるが、神ではないぞ。拝んでどうする。いや、まてよ。もはや神か? イヤ違う違う、落ち着け。こいつのアホ言動は今に始まったことじゃない。引き摺られてどうする……



!!!」



 盛大に咽せた。お出汁が鼻に入って痛い。じゃなくて、おま……


「センパイ、大好き! 愛してる! ちゃんと謝ったから、結婚して!!」




………はああああ?!


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